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​正信偈に聞く

 48-1 

​平成24年8月24日

 みなさん今日は、暑うございましたから、いかがであろうかと思っていましたが、いつものように皆さんお参り頂きまして有り難うございました。

今日も引き続き道綽禅師のところに入っていきます。

 

道綽決聖道難証・唯明浄土可通入

(道綽禅師は、聖道門では悟ることが困難であることを明らかにして、ただ浄土門のみが通りやすく、入りやすいことを明らかにされた。)

万善自力貶勤修・円満徳号勧専称

(さまざまな善を自力によって勤め励むことを退けられ、欠けることのない徳を完全に備えた名号を専ら称えることを勧められた。)

三不三信誨慇懃・像末法滅同悲引

(三不三信と三信の教えを懇切に説いて、像法と末法と法滅のいずれの世でも、大悲の本願は同じくはた

一生造悪値弘誓・至安養界証妙果

(一生の間、罪悪をなす者も、阿弥陀の誓願に遇うならば、極楽浄土に往生して、涅槃と言う妙なるさとりを得る。といわれた。)

 

 前回は、歴史的具体的な道綽禅師の御生涯について、古田先生のテキストに依りながらお話を致しました。そして、その中で特に道綽禅師は「時」ということを強く強調されたということを申し上げたと思います。

「時・じ」という事と「機・き」ということ。この「機」というのは人間のことです。仏教では、人間という言葉はあまり使われませんで、「衆生・しゅじょう」という言葉が使われていますが、衆生というのは迷える存在という意味で言われるわけです。そしてその衆生は、例えば六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を迷いの世界として説かれております。

その中で「地獄から修羅」までは、苦に責められて仏法を聞く能力がないといいますか、耳を持たない。

 そして「天上界」は撃楽の世界でございますから、享楽に溺れて仏法が聞けない。ただ人間だけが、善・悪に迷う。だから人間だけが仏法を聞き、それによって迷いを転じて悟りを得ることができる能力を持っているというわけですから、人間のことを特に「機」というわけです。

 マシンという動く機械の「機」です。またはチャンス(機会)と言う時の「機」ですね、そういう時に使う「機」です。これは人間だけが仏法に依って迷いを迷いと感じ、悟りを求める。そして、やがて悟りを得る能力を得る。そういう意味で人間のことを「機」というわけです。

だから教えは「法」ですね。それに対して、法に依って救われていく可能性を持っておる者が人間、つまり「機」足り得るという意味ですね。しかし機足り得る者であっても時代というものがある。特にそういうことを強く強調されたのが道綽禅師だということを中心に前回はお話致しました。

 その「時」というのは「正像木の三時」と、つまり正法の時代、修法の時代、未法の時代、その三つの時代が説かれておるわけです。

 「正法の時代」というのは、お釈迦様がお亡くなりになって五百年の間。その間は、お釈迦様の説かれた教えがあり、その通りに修行をし、悟りを得ることができる。ところが、それを過ぎると「像法の時代」になる。

 「像法の時代」というのは、「像」は仏像の像という字ですから、形と言う意味になるわけです。だから教えは経典です、そしてその通りに修行もする、しかし悟りを得る者はいないと言う時代。形というのは、修行をしている者がいて、その形はある、しかし悟る人はいない、それが千年続く。

 それを過ぎると、つまりお釈迦様が亡くなって千五百年過ぎると「末法の時代」になる。

「本法の時代」は未法万年という言い方もありまして、教えは経典としてあるわけです。しかしまともな修行をする人がいない。だから悟る人などあり得ない。これはお釈迦様の予言といいますか、時代が変わって来ると自分の教えによって悟る者はいなくなるということを言われておるわけですが「正像末の三時」としてお釈迦様の教えの中に言われておるわけです。

そして道綽禅師が生まれられた頃、すでに末法に入っていた。現在でもはっきりしない面があるのですが、経典に依ってはお釈迦様がいつ亡くなられたかという年代がはっきりしない面があるのです、だからいろいろ説が出てくるわけです。しかしどちらにしたところで道綽禅師がお生まれになった時にはもうすでに経典などを通して、いよいよ未法に入ったということが強く言われる時代であったわけです。

 しかも、この時代は、ちょうど日本で言うと戦国時代のように、中国ではいろいろな国が分裂して在る時代です。そういう中で道綽禅師が十四歳の時に出家されるわけです。出家の動機については道綽禅師が仏道を求めて出家をなさったというより、家が貧しかった。しかし頭のよい子どもであったからと言われております。当時、仏教は非常に盛んであって、その教団の中に入ると、生きていけたわけです。つまりお坊さんになれば生活はできる、そして頭もいいということから、道綽禅師は出家されたのだろうということが言われておるわけですね。

 ところが道綽禅師の生まれた国が隣の国に滅ぼされることが起こるわけです。隣の国(北周の武帝)は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)して徹底的に仏教をつぶして道教を立てていくという政策を立てておった国ですから、経典を焼いてお坊さんも殺されたり還俗させられたりしたわけです。ですから道綽禅師は殺されはしなかったのですが、還俗させられます。

 だから十四歳に出家しますけれども、十六歳の時に還俗させられてしまうわけです。ところが今度は北周が随から滅ぼされます。そして戦国時代が終わり、中国は隋の国によって統一されるわけです。日本で言えば聖徳太子の時代です。

 隋という国は仏教を非常に大切にしましたから、一回還俗させられた道綽禅師がまた出家をなさるということが二十一歳の時にありました。何か自分の道心ということでなくて、貧しさから出家をし、それも政治によって還俗させられ、また政治によって出家をするというように、道綽禅師の生涯というのは非常に国の政治によってかき乱され、その中で、目の前で緑典を焼かれ、中にはお坊さんも殺されるというような事まで、道綽禅師は見て大きくなっておられるわけですね。そしていよいよ末法の時代に入ったと。

 その中において、教え(経典)と時代との関係を通して、聖道門の仏教というのは正法の時代における教えであって、その教えは立派であっても、それによってたすかっていこうとする人間の機の問題があるということを強調なさるわけです。

 道綽禅師はそれを「井戸」に喩えておられるわけですね。深い井戸がある。その井戸の底には我々の喉を潤すきれいな水がある。しかし釣瓶の紐が短い、そうするとどんなにいい水があると解っておっても釣瓶が喉を潤すきれいな水まで届かない。ちょうどそれと同じで、どんなに立派な教えがあっても、それに依って救われる能力が我々の方にない。

 釣瓶の問題は機の問題です、人間の能力の問題ですね。そういう例えで、聖道門の教えに依って悟りを開くということは不可能である。そして浄土の教えに依る以外にないのだということに気づかれ、そのことを強調され、そして自ら念仏申して、そして多くの人に念仏を勧められたのが道綽禅師だということをお話しました。

 しかし、その道綽禅師がお念仏の教えに帰されるについては、曇鸞大師がおられた玄中寺にたまたま道綽禅師がお参りになった。そこに石碑があって、石碑の中に曇鸞大師のお徳を褒めたものが書かれてあって、それを読まれて曇鸞大師の教えに初めて気がつかれて、像法の時代に曇鸞大師のような人でさえ聖道門をおいて浄土に帰された、そして今は未法であり、まさしく仏教は地に落ちている、そういう時代において、聖道門で悟りを開くということは不可能だということに道綽禅師は気づかれたという話をしました。

 二十一歳で二度目の出家をなさるわけですが、道綽禅師は涅繁経の学問をなさるわけです。当時、中国では道綽禅師は涅槃経の有名な学者になっておられました。その道綽禅師が四十八歳の時というのですから、今と違って人生五十年といわれるような時代に、曇鸞大師の徳が書かれた玄中寺の碑文に依って回心されます。

 前回は、聖道門を捨てて浄土門に入られたということを中心にお話を申し上げました。これが「道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす、」と言われる意味ですね。そして「万善の自力、勤修を貶す。円満の徳号、専称を勧む。」というところを申したわけでございます。

 道綽禅師が念仏を喜び、念仏を勧められた方でありましたから、当時民衆の中に念仏を喜ぶ人が多くなったと言われておりますね。その中の一つに道綽禅師は袋の中に小豆を入れて、子供に念仏を勧めて一回の念仏に小豆一つをやると、そういうようにしてお念仏を勧められたという話を前回しましたけれども、そういう人だったようですね。日本でいったら良寛さんのような人ですね。子供や民衆の中に入って行って仏道の大切さを伝えられたという、そういう感じの人だったのかなあということを道綽禅師に感ずるわけです。

 

 当時、道綽禅師が「時代」と「機」ということを仰るについて、今はそういう時代じゃ無いのだからと、いわば寺代に迎合して聖道の教えを捨てて浄土往生の念仏を勧めなられたということではないわけです。そこに非常に大切な問題がありまして、今日はそのことを中心にお話をしたいと思います。

 経歴の中にも書いておりましたが、道綽禅師は、始めは涅槃経の教えを中心に勉強をなさっておられたのですが、その涅槃経を捨てて観無量寿経に依っていかれます。

「仏説無量寿経上・下二巻」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」を浄土の三部経と言いますが、その中で、特に「仏説観無量寿経」を中心にしてお念仏の仏法を勧められます。しかし、ただ単に観無量寿経ということでなくて、背景に大無量寿経があるわけです。

 中国では、道綽禅師が出られた時期は浄土の教えを説く人たちだけでなくて、他の仏教界でも問題になったお経は観無量寿経でした。中国では、宗派がたくさんありますが、日本で言う今の宗派とは違います。インドでお釈迦様の教えが弟子によって文字になりました。御存じのようにエジプト・インド、そして中国は古い時代から文化が栄えた国ですから、インドの仏教文化とか芸術が中国に入って中国で非常に栄えます。その時にサンスクリットで書かれたお釈迦様の経典は漢字に翻訳されるわけですね。たくさんの漢文で書かれたお経が中国で生まれるわけです。経典の翻訳が国家的な事業として行われた時代もあったようです。

 その時に経典を読んでみると内容にかなり矛盾が出て来たわけです。例えば、ある秘典には「一切衆生 悉有仏性」と、どんな者だって、人間には仏性がある。だから必ず仏になる能力があると書かれた経典もあるわけです。涅槃経はその代表的な経典です。

 別の経典には、修行によって悟りを開くのだから、もともと能力のない人もいる。例えば一闇提(いっせんだい)というような者は、もともと能力がないと書いた経典もある。そうすると、たくさん経典がある中で、いったいお釈迦様の根本精神は何なのかということを考え始めたのが中国の仏教界です。

 一番中心になる経典、それがどこにあるかということを中国の人は考えます。例えば、華厳経というお経があります。華厳経と言うお経がお釈迦様の教えの根本だと言った人が華厳宗を立てます、これは一種の学派なのですね。賢首大師法蔵という人がそういうことを言ったということを習いました。その流れを日本に残しているのが東大寺です。奈良の東大寺は華厳宗の本山です。東大寺の仏様は阿弥陀様でもお釈迦様でもないのですね。毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)という仏さまなのです。

正信偈 48ー2

​正信偈に聞く

 48-2 

​平成24年8月24日

 当時・日本国中に国分寺を造ります。「一即一切」一は一切が関係しあっているという意味ですから、日本国中は仏様のおはたらきで国家安穏・五穀豊醸になるのだという形で受け取ったわけです。

 それかと思ったら法華経という教えが中心だということを言った人が天台大師智頭という人です。それを日本にもたらした人が伝教大師です。そして比叡山を開くわけです。これは法華経を中心に仏教を見ていくわけです。そういうようにたくさん宗派ができてくるわけですが、当時、中国の仏教はどの宗派も観無量寿経を大切にされるわけです。

 その観無量寿経はみなさんも御存じのように韋提希という、つまり「王舎城の悲劇」です。王宮における悲劇です。その国のビンバシャラ王は、よくお釈迦様を知っていたといわれます。そしてお釈迦様がお悟りを開かれてから一番初めにご縁を結んだ人だとも言われております。このマカダ国は、当時の新興国家として非常に大きな国になって、しかも文化の中心であったともいわれております。だからお釈迦様も出家をして修行をされた所はマカダ国でした。

 お釈迦様は今でいうとネパールの人です。昔はインドだったでしょう。ヒマラヤの麓です。カピラバッツという小さい国の王子として生れたと言われています。二十九歳の時に出家をして、ガンジス川の畔でお悟りを開かれたということもあって、ビンバシャラ王と深い御縁があったといわれております。だからお釈迦様が悟られてからビンパシャラ王はお釈迦様を非常に大切にして、お寺を造ったりしてお釈迦様を支えたわけです。そこで王舎城の悲劇が起きるわけです。お釈迦様にとっては最晩年の悲劇だといれますね。

 だから仏とも法と解らんような家で起こった悲劇ではないわけですね。それだけに問題が深刻なわけです。そういう中で奇握希と言う人がお釈迦様の教えによって、お念仏して救われたという経緯が詳しく書いてあるのが観無量寿経です。その観無量寿経には「定善十三観」「散善九品」、そして念仏が説かれているのです。定善・散善は修行です。

「定善」は息慮凝心(そくりょぎょうしん)といわれまして、慮りを止めて、一心に心を凝らす。座禅ですね、それが十三通りも説いてあるのです。

「散善」というのは廃悪修善(はいあくしゅぜん)悪を廃して善を修すと、それを徹底していけばお悟りが開けるということを説いてあるのが散善です。

 「定善」というのは定心といいまして、心を凝らすから定です。「散善」は散心といいまして、我々の普通の日常的な心で、心ころころと言うぐらいですから心は動きますから散と言っているのです。心は散心です。そして定善についてはその内容が十三通り詳しく書いてあります。

「散善」は人間の機類によって、九通りに人間を分けて、それぞれにいろんな修行が説いてあるわけですね。九品(くぼん)と言いますけれども、「上品上生・上品中生・上品下生」、「中品上生・中品中生・中品下生」、「下品上品・下品中生・下品下生」と、これで九通りになります。各それぞれの能力に応じて修行が説いてある。それで「散善九品」というのですね。

 修行がいちいち細かく書いてあるわけですから、経典を読むことで、たとえば華厳経を中心にした仏教、法華経を中心にした仏教と学問的には経典を読むことでその教えは分かるのです。例えば、今の法華経に説かれているさとり、「諸法実相」をさとる為の修行の方法は法華経には書いてありません。だから具体的な修行になったら、この観無量寿経に書いてある「定散二善」の方法で修行をする、それぞれの宗派の教えにもとづいて読んでいくわけです。ですから観無量寿経が非常に大切に読まれた時代だったのですね。しかし宗派によって読み方がそれぞれに違うわけです。

ところが道綽禅師は観無量寿経をみんなと同じようには読まれなかったわけです。そこに道綽禅師が時代と機の問題をとり上げて観無量寿経の中心を散善の「下品下生」の教えに見ていかれます。そこにお念仏が説かれているのです。そしてその根拠が大無量寿経の如来の本願、第十八額です。第十八額を中心に見て行かれたのが曇鸞大師ですが、それをふまえて道綽禅師は、観無量寿経は定善・散善を説くお経ではなく、本願念仏の教えを説かれたお経だと頂かれたのです。

 お配りしました資料は観無量寿経の「下品下生」のところを抜粋したご文です。この「下品下生」を中心に道綽禅師は観無量寿経をみていかれます。親鸞聖人がお書きになった正信偈にも「一生悪を造れども、弘管に値いぬれば、安義界に至りて妙果を証せしむといえり。」という言葉があるでしょう。

 皆さん、私たちは一生悪を造っているとは思わないでしょう。悪いこともしているけど善いこともしていると思っているでしょう。道綽禅師は「一生悪を造れども」と自分のことを言っておられるわけです。他の宗派の人は、いろいろ修行ができる立場に立って観無量寿経を見たわけです。ところが道綽禅師は「下品下生」に注目をしておられるわけです。そこに道綽禅師の浄土教を説かれているわけがあるのです。

 

 仏、阿難及び韋提希に告げたまわく、「「下品下生」というは、或いは衆生有りて、不善業たる五逆・十悪を作る。諸の不善を具せる此くの如きの愚人、悪業を以ての故に悪道に堕すべし。

多劫を経歴して、苦を受くること窮まり無からん。

此くの如きの愚人、命終の時に臨みて、善知識の、種種に安慰して、為に妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。此の人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友、告げて言わく、「汝若し念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と。是くの如く心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するが故に、念念の中に於いて八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪の如くして其の人の前に住す。一念の頃の如くに、即ち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中に於いて十二大劫を満てて、蓮華、方に開く。観世音・大勢至、大悲の音声を以て、其れが為に広く諸法実相・除滅罪の法を説く。聞き已りて歓喜す。時に応じて即ち菩提の心を発す。是れを「下品下生の者」と名づく。是れを「下輩生想」と名づく。「第十六の観」と名づく。」

(仏説観無量寿経 一三〇〜一三二頁)

 

 ここに書いてあるのは、善いことは何一つしなかったということです。とにかく悪という悪を積み重ねてきた悪人です、愚人と書いてありますけれども、「愚」はものの道理が解らないということです。誰だって始めから悪人で生まれて来た者はいないわけですから、何かの縁によって悪を犯す。その時に直ぐに立ち直ればいいのですけれども、立ち直れない、どんどん深みに入っていくわけです。その時に、そういう自分が悲しい者だと気づけばいいのですけれども、気づけない。ただ、その時、その時の自分の思いでもって、どんどん悪の中に入っていくという者は、教えからいうならは愚人なのですね。悪人というより愚人なのです。

 そして「此くの如きの愚人、命終の時に臨みて、」というわけですから、臨終です。ここが非常に大事なのです。悪を重ねていくうちに人間は開き直る。

 私は刑務所に行きますが、そういうことが話題になりますね。やっぱり開き直る。悪いことをしていると言って悲しんでいる時はまたいいのですが、どんどん深みに入って来ると「なにを言っておるか、偉そうなことを言っている奴も根性はわかっているぞ」と開き直ってしまう。そうすると、どんどん悪が深まっていくわけです。そういう人が、今命が終わろうとしている時ということです。本心が帰ってくる。そうして生きて来た自分自身の生き方に深い悲しみをもつ心が出てくるということです。苦しみ出すわけですね。

 「此くの如きの愚人、悪業を以ての故に悪道に堕すべし。多劫を経歴して、苦を受くること窮まり無からん。」ということは、私のようなものは命終われば地獄だ。そして地獄でどれだけ苦しむかわからんのだと思うというわけですね。そういう意味で苦しみだすわけです。

 開き直っているときは、他人と自分を比べておるわけです。「どいつも、こいつも」という時は他人のことを言っておるわけです。その中で俺を悪人と言っておるという、人と比べているわけです。

 ところが「命終わるとき」というのは他人のことではないわけです。自分自身の人生そのものに向き合ってしまう、それが臨終という意味でしょう。人のことではない、自分自身が生きて来た生き方に対して、初めて自分と向き合ったということです。それで私のような者はどこまでも未来水劫、苦を免れんだろうと言って苦しみ始めるというわけです。それが臨終の悪人なのですね。

その時に「善知識」と書いてあります。つまり正しい教えに導く先生という意味です。誰かわかりません、偉いお坊さんかもわかりませんし、そうでないかもわかりません。普通の人で仏法に御縁のあった人であるかもしれません。とにかくその悪人の側におって、その人が苦しんでいるのを見て非常に悲しむわけです。そしてどうかして、その人を救ってあげたいということを思うわけです。

「種種に安慰して、為に妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。」ここで言われている「念仏」は南無阿弥陀仏ではありません。「定善」なのです。

 私たちは念仏ということを小さい時から称名念仏で習っているわけです。念仏といったら南無阿弥陀仏と称えるのが念仏だと決めているわけですね。もともと念仏というのは、仏を念ずるということですから、仏様を心で想うということが、念仏のもともとの意味です。それを南無阿弥陀陀仏が念仏だと教えたのが道綽禅師や善導大師です。その流れを法然上人が受けて日本でも念仏と言えば称名念仏になったのですけれども、もともと念仏というのは仏を想うということです。

善知識がその臨終の悪人に言うわけです。「お前のような者のために阿弥陀如来という仏様がおられるのだ、そしてお前のような者をこそ阿弥陀如来様が大悲なさる。だから仏様のことを心で想え、そしてお浄土のことを心で想えと勧める」という意味ですね。

「此の人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。」仏様の事など思ったこともない人間に「想え」と言ったって、しかも自分の命はどんどん迫って来ておるわけですから。だからただ苦しむわけです。

「此の人、苦に逼められて念仏するに遑(いとま)あらず。善友、告げて言わく、「汝若し念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と。ここで「称」が出てくるわけです。

「是くの如く心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。」と書いてあります。

 だから心で仏様を思う事ができないのであれば、南無阿弥陀仏を称えなさいというわけです。そのとき、ここには書いてありませんが、善知識も称えてやったでしょうね。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と自分も称えて言わせたでしょうね。そして善知識の教えに従って、

「心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。」と言ってありますから、十声、南無阿弥陀仏と念仏をさせたというのですね。

 「想え」と言っていたが間に合わんというところから、称名が出たという事です。それが非常に大事なのですね。源信僧都のところで出てきますけれども、「無他方便」という言葉があるのです。やっぱり源信僧都も観無量寿経のこの「下品下生」のところは大事にされました。「他の方便なし」です。方便と言うのは手だてです、そうすると南無阿弥陀仏申す以外にない。道綽禅師はそう受け取られたのですね。

 これは特別な人の問題ではない、むしろ我々がみなそうではないのか、そうでしかあり得ない者が修行したくらいでどうかなるのか、お釈迦様が生きておられた時であるならば、そして時代がそれにふさわしい時代であるならば、それは可能であったかもしれないけれども、むしろ今の時代と言うのはそういう時代でないと、ここに書いてある。

「不善を具せる此くの如きの愚人」というのが、私たちのすべての問題ではないかと思われたのです。

 だから注意なさったわけです。「仏名を称するが故に、念念の中に於いて八十億劫の生死の罪を除く。」というわけですから、未来永劫迷っていくであろう罪がなくなっていくと言う意味ですね。「命終の時、金蓮華を見る。」金色の蓮華が目の前に現れるということでしょうか、「猶し日輪の如くして其の人の前に住す。」というわけですから、大きい運華でしょうかね、「一念の頃の如くに、即ち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中に於いて十二大劫を満てて、蓮華、方に開く。観世音・大勢至、大悲の音声を以て、其れが為に広く諸法実相・除滅罪の法を説く。聞き已りて歓喜す。時に応じて即ち菩提の心を発す。」つまりお念仏して、生まれたことによって法に対する心が育っていったということが書いてあるわけですね。これに注意されたのが道綽禅師なのです。

正信偈 48ー3

​正信偈に聞く

 48-3 

​平成24年8月24日

 だから他の宗派の高僧とはこの観無量寿経の見方が全然違うわけです。「下品下生」のところに注意されるわけですね。じゃあなぜ「不善造悪の愚人」がお念仏して救われたかという根拠として、大無量寿経に第十八願という本願がある、そこに「乃至十念」ということが説かれている。「たとえ私が仏になりましても」そこに阿弥陀如米の本願が説かれている。そこに「乃至十念」という言葉があります。わが名を称える、十念と、わざわざありますからね、そこに根拠を見たわけです。

 しかしこんな悪人が、念仏してなぜたすかったのかというと、それは本願があるからです。全ての人間は本願のはたらきの中に在りながら、それに気づかずにただ自分の計らいや業に引きずられている。ところがその者が、ここでは臨終ということが大事な問題なのですね。

 私たちは、これから気を付けようという思いがどこかにあります。聞きながらたすかるという人は少ないのです。「これはいいことを聞いた、今から気を付けよう」という、今からがあるのです。臨終は今からがないのです。今からがない、しかも救われようのない私と如来の本願とが接触する。

 清沢先生は、親鸞聖人の宗教というのは「有限と無限との対応」と言われました。「有限」と言うのは我々のことです。衆生のことです。「無限」と言うのは如来のことです。「命無量」というのは無限でしょう。無限には姿形はありません。それを真実と顕してあるわけです。

「対応」というのは、有限をどんなに積み重ねても無限にはならないわけです。有限は無限の中にあるでしょう。だから無限というのは、姿形はないです。姿形があったら有限です。だから無いのと同じですね。我々の理性で言えば無いのと同じです。

 ところが無限というのはどういう形であるかといったら、有限の自覚を与える働きとしてある。「私は有限である」と、親鸞聖人の言い方では「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」ということです。

 

弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。

(歎異抄 第一章 七六七頁)

 

 だから「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生」ということを、私たちは思えるかと言ったら思えないです。私たちはどこかでいいところがあると思っています。だから、どうかすればどうかなるかと思っています。南無阿弥陀仏は光明無量・寿命無量です、無限です。無限なるもののはたらきを顕しているわけです。だから念仏申すということは、念仏申してどうかなるということでなくて、念仏となってはたらいてくださっている無限なるものと、有限の私の出遇いの場ということです。それが信心です。だから「対応」といってある。「対」というのは有限と無限が対するのです。一つにならないのです。

 しかし、ただ単に「対」しているのかといったら「応じている」。有限を離れて無限はない、無限を離れて有限はない。衆生を離れて如来はない、如来を離れて衆生はないという関係です。切っても切れない深い関係を顕すのが南無阿弥陀仏と言う「名号のいわれ」だというのが蓮如上人の一貫した言い方です。それを清沢満之先生は「有限と無限との対応」と言っておられます。

 それは、無限を無限と感じ受け取る場所は有限の自覚です。有限の自覚を観無量寿経では「不善造悪の凡夫の自覚」という形で説いてあると受け取られたのが道綽禅師です。そして、そこに働いておる無限なるものが本願です。本願をお釈迦様は第十八願と言う形で説いてあります。本願を受け取る衆生の場は、有限なる自覚という意味です。

 「場」をこういう形で受けとっておられるかというと、「不善造悪の凡夫の臨終」というかたちで場所を設定したと、道綽禅師は受け取られたわけです。だから、まだ自分が修行や学問をすれば、有限なるものが無限なるものに届くと言うものの考え方は、もともと間違いで、お釈迦様は人間の関心に合わせて修行や学問をさせて、それで本当に無限なるものに遇えるかといったら遇えるものではないと知られた。じゃあどういう形で遇えるかといえば、有限の自覚において、救われようのないわが身と本当に知ったところで、知らせた真と出遇う。それが善導大師でいえば「二種深信」と、親鸞聖人は「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」といっておられるわけです。

金子大栄先生が「老」というのは人生経験の深い人といわれました。「少」というのは人生経験の浅い人といわれました。人生経験の深い人と人生経験の浅い人は旨くいかないですよ。家庭で言えば、嫁と姑の関係です。人生経験の深いものから考えれば人生経験の浅い者は馬鹿に見えるのですよ。そうすると人生経験の浅い者は老人を見たらせからしい者に見えるですよ。「老とは人生経験の深い人、少とは人生経験の浅い人」、それが善人・悪人になります。

所詮、凡夫なのだけれども、凡夫と思えないわけです。善人は善を誇る、悪人は感に開き直る。悪を悪と本当に悲しむことができれば、悪も決して救われない縁にはならない。ところが悪を知りながら開き直る、ですから結局は救われない。

 だから「老少善悪」というのは区別ですね。「老少善悪」の人を選ばれないのが如来の本願なのだと。何故選ばれないのかと言えば、如来の本願は罪悪深重煩悩熾盛の衆生を救わんがための本願」だからです。だから知来様より有り難いものはないわけです。しかし、如来様によって救われるより他に救われようのないわが身と気づくというのはどういう場所なのか、それがここに書いてあるわけです。

 道綽禅師は臨終でしょう。今から心がけるということが間に合わんのが臨終です。今から心がけていかんならんという時にはまだ先があるわけです。ということは、どうかしようと思えばどうなるという思いが人間にはいつもあるわけです。そういう者は有限の自覚がたりないわけです。道綽禅師は「念仏一つ」ということを、人と比べて、私は悪人であの人たちは善人、だから善人は聖道で行きなさい、私は悪人だから念仏より他にありませんと、そういうことを言われたのではないのです。本当に、聖道門で有限の自覚が成り立つのか。聖道門なら上に上がって、上がって上がり切らなければダメでしょう。ところが我れわれの身の実相はどうか、一皮むけば結局、悪人でしかないのではないか。偉そうなことを言っている者も、結局は悪人でしかないのではないか。

 清沢満之先生は「自力無効」という言い方をされます。つまり自分の努力や我慢で何か自分を飾っていこうとしたり、善を徹底していこうとすることは親鸞聖人の言葉で言えば「計らい」ということです。蓮如上人も「自力のこころをふりすてて一心に弥陀をたのめ」と言うのが「お文」の一貫した言い方です。

 それはどういうことかといったら自力が間に合わん、自分で努力すれば間に合うと思う心が間に合わんということです。清沢先生は随分苦労しておられます。哲学から仏教に入った人ですけれども、「有限と無限との対応」といわれます。それが最後に出て来た言い方です。

 道綽禅師は、そういうことを観無量寿経の「下品下生」を通して見ていかれます。だから他の諸師たちが観無量寿経を見る見方と、道綽禅師が見られた見方は全然違うわけですよ。

 念仏一つということがどこで成り立つかといったら本願があるからです。観無量寿経には本願は説いてありません。本願が説いてあるのは大無量寿経です。だから大無量寿経を通して観無量寿経を見た人は、道綽禅師が初めてです。

 天親菩薩や曇鸞大師は、大無量寿経を通して浄土論・浄土論註を書かれます。しかし観無量寿経の問題ははっきりしていないのです。ところが道綽禅師は曇鸞大師の教えを通して、本願を背景にして観無量寿経を読んでいかれます。つまり大無量寿経に帰っていく、そういう形で念仏の教えを立てた人は道綽禅師が初めてなのです。

 だから念仏一つで助かりますよ、だから子供に南無阿弥陀仏と申せと、そういう時には、この子どもにも本願がはたらいているということを見ておられるわけです。当時「摂論家」と呼ばれていた人々がいました。摂論家というのは「摂論」は「摂大乗論」という書物のことです。「家」は、その摂大乗論に依っている人々という意味です。その人たちが「別時意」ということを言いだすわけです。

 確かに観無量寿経に「下品下生」ということが説かれていることは当然、皆知っておるわけです。ところが善い事を何一つしたことのない者が、念仏してやがて浄土に生まれるということは信じられない。念仏したぐらいで救われるかという事を考えるわけですね。そうすると「諸着万行」と「念仏」を比べるわけです。いろいろな修行や学問があるわけでしょう。それと南無阿弥陀仏と比べてみたら、南無阿弥陀仏は値打ちがないわけです。しかも悪いことをした者が南無阿弥陀仏して極楽に生まれたということが説いてある。その時に、観無量寿経はお釈迦様が説かれたお経ですから、間違っておるとは言えないわけです。

 そういうことから、摂論家の人々から「別時意」ということが言われるわけです。お念仏した時とお浄土に生まれた時が別だという意味です。それで「別時意」というのですね。その時に「喩」を言っておられるのが面白いのです。今でいったら、百万円貯金をするとするでしょう。それでも今日の一円から始まるというのですよ。一円また一円と貯めて百万円になると。だから今日の一円が百万円と繋がっているということは疑いがないというのです。

 ところが今日一円貯金をしたのが百万でないということとを、そこは誤魔化してある。一円また一円と貯金をしなさいと言ったって皆なかなかしない。ところが、それが百万円になると言えば、今日、一円また一円と預金することに弾みが出来て来るというわけです。だから死に際に念仏してお浄土に生まれたと言うのは「別時意」だと。つまり、称えた時とお浄土に生まれた時は別だと。称えた時にすぐ浄土に生まれるのではないということを言いだしたわけです。

 これは判りやすいですね。みんなの心の中に南無阿弥陀仏と称えたぐらいでたすかるやろうかという思いがあるわけです。それは分別があるからです。「有限と無限との対応」というような深い心はないですから、お釈迦様は一円ずつ貯めていたら百万日すれば首万に成るわけだから、今しなさいと言ったって、すぐ答えがでればいいいけれども、答えがでなければしたくないじゃないですか。そういうこと言えばしないようになるから、お念仏しなさい、そしてそれはやがて浄土往生に繋がるというのをそう言わないで、すぐに往生できるように言ってあるのだ。そこに隠れている意味がある。つまり、みんなを励ますために直ぐに往生できるように説いてあるのであって、実は違うと。こういうことを言うわけです。それで一時、人々が念仏することを止めたと言われています。その時に道綽禅師は、そんなことはないと、「宿善」ということがある、と。ここで「宿善」という言葉が出てくるのですよ。みなさん宿善と言う言葉を聞いたことがあるでしょう。

 念仏して浄土に生まれる。道綽禅師は「因を隠す」と言っておられますね。つまりお念仏申したら救われるから念仏申せと言うたら、みんな誰でも念仏申すかと言うたら、そうじゃない。ところがこのお念仏の教えを聞いて、本当にそうだなと、私等のような者でも救おうとして、大悲を発し、本願を発し、浄土を建立して、お念仏を成就なさったのだという教えを聞いて、本当に尊いことだと言うて、お念仏申す人がおるならば、それは宿善があるからだ、と。つまり過去があるというわけです。本人の気づかない過去がある。

 だから仏縁のない人に何ぼ話したって教えは聞こえない。ところが仏縁のある人は、今まで聞いたことのないような人だって聞こえてくるというのです。つまり過去がある、と。

 だからお念仏仏申しなさいといった時に、「ああ、そういう尊いことがあるのか」と言ってお念仏申す心は、その人一代でできた心ではないという言い方ですよ。その人の中にずっと、その人さえ気づかない、勧めた人さえ気づかない過去がある。「宿」ですね、宿というのは昔ということです。

 だから「別時意」と言っておるけれども、それは過去があることを無視している。道綽禅師は「定善」ということを言われるのですね。これは非常に大事な言い方でしょうね。だから宗教的なものに感ずる心というようなものは、そんな一代二代でできるようなものではないのだと、そういうことを道綽禅師は言われるのですよ。

 摂論家の人が、願はあると。つまり助かりたいという願はあるけども行がない。南無阿弥陀仏は行にならん。「唯願無行」ただ願のみあって、行ならば定善十三観とかああいうようなものは行になる。ただ南無阿弥陀仏と申す事は、願はある、救われたいという願はあるけれども行にはならない「唯願無行」ということを言うのですね。

 道綽禅師の弟子が善導大師ですが、道綽禅師は「宿善」ということを言われます。善導大師は、「願行具足」ということを言われます。南無阿弥陀仏には願も行も具足している、備わっていると言われています。

 「お文」の中に「願行具足」ということが度々出てきます。これは善導大師の教えです。南無阿弥陀仏は行だと、「大行」だと、それは「如来の行」だと。つまり無限なるもののはたらきです。そして我に気づいて欲しいとはたらいておる。それに気づける場所を観無量寿経では「無善造悪の愚人」のところにおいてあるわけです。

 だから、それは私の願でなくて、如来の願が行になっている、南無阿弥陀仏は如来の行です。無限なるものが有限なるものにはたらいてるはたらきです。だから私が南無阿弥陀仏申すということは、それは私が私の分別で申すようなこととは違う。無限なるものが無限なるものを知らせたいとはたらくものが有限に届いた姿だと。そうすると有限なるものが無限なるものに遇うたときは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生」という自覚で無限なるものに触れる。こういう言い方ですね。とても大事な問題です。

ほとんどの宗教は現世利益です。「除災招福」です。災いを除いて福を得ようとする、現世利益です。こういう宗教は「有限と無限の対応」という宗教の基本的な問題が抜けているわけです。キリスト教の場合は、無限なるものに神をおいて、神と人間との関係を説こうとするわけでしょうね。仏教は、そういう固定的な神というようなものを置かないのです。禅宗の人たちは直観という形でいいます。ひらめく、直観です。

ですから庭を箒で掃除をしていた。そしたら竹藪に誰か知らんけれども石を投げたら投げた石が竹にポンと当った。そして石が跳ねて次の竹に当たってポンと音をたてた。その音を聞いてパッと悟りが開けたという、有名な話があります。それは自己というものをずっと追い詰めていたのだと思います。それが今の竹に石が当たる音を聞いて、パッと悟ったと、それは理屈ではないわけです。その時に自分自身が本当に有限を圧縮していたものが破れた、無我という形で開けた。天と地が一つになっていく、ああいう直観でしよう。

真宗の場合は、南無阿弥陀仏という名号が説かれているということが大事ですね。だから念仏申すと。それは、そう申してどうかなるという話でなくて、そうでしかあり得ないわが身を大悲なさっておる如来の呼び声です。何かそういうことを教えてあるのが、お念仏の仏法なのですが、それの根本といいますか、一つの教えのもとを道綽禅師が開かれてる。だから道綽禅師は我々がお念仏の仏法を聞いていくときに非常に大切な人なのですね。時間がきました、今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

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