​正信偈に聞く

 2-1 

​平成20年4月21日

古田先生の『正信偈』のテキストを、皆さんと一緒に勉強いたします。

 

『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)「行巻」の後、「信巻」の前に配置されている意味。

 

こういう項目がございます。前回お話ししましたように、正信偈は『教行信証』の行巻末尾に入れてあるわけでございます。別の言い方をしますと「信巻」の前にあるわけでございます。それは何故かと。偈文(げもん)は『教行信証』の中では、この『正信偈』だけで、他のところは普通の文章で散文でございます。これは、やはり特別な意味があるのではないかということを、古田先生は注意しておられるわけでございます。次に、末法・悪世の思想(仏教の危機史観)と書いてございます。次に、

 

  • 末法(『大集経』「月蔵分」正法・像法・末法)

正法 五百年  教 行 証

像法 一千年  教 行 ×

末法 一万年  教 × ×  

 

末法(まっぽう)。これは『大集経 だいじっきょう』と読みますが、『月蔵分 がつぞうぶん』、その後に、正法(しょうぼう)、像法(ぞうほう)、末法(まっぽう)と。そして、正法というのは五百年、像法千年、末法一万年。そして正法の後に、教・行・証、そして像法の後に教・行と、証は✕にしてありますね。そして、末法一万年、これは教だけで行も証も✕にしてあると、こういうものが書いてあります。次に、

 

  • 五濁悪世(『法華経』『涅槃経』)

  劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁

 

五濁悪世(ごじょくあくせ)と書いてあります。そして『法華経 ほけきょう』、それから『涅槃経 ねはんぎょう』があげてあります。そして五濁の中身が劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)と。次に、

 

  • 危機意識

北斉 南岳慧思(6世紀) 『立誓願文』

北斉 信行禅師(540~594) 三階教

唐  道綽禅師(562~645) 浄土教

唐  善導大師(612~681) 浄土教

 

「危機意識」となっておりまして、次に北斉 南岳慧思(なんがくえし)『立誓願文』(りつせいがんもん)、北斉 信行禅師(しんぎょうぜんじ)三階教(さんがいきょう)、唐 道綽禅師(どうしゃくぜんじ)浄土教(じょうどきょう)唐 善導大師(ぜんどうだいし) 浄土教となっております。次に

 

  • 末世の愚悪の凡夫の救済(親鸞聖人)

「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」 (聖典P627 )

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」 (聖典P640~641)

 

末世の愚悪の凡夫(ぼんぶ)の救済(親鸞聖人)、そして「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と、二つの歎異抄(たんにしょう)の言葉が引いてございます。

 これは、「行巻」と「信巻」の中間に『正信偈』がおかれているという意味を、「末法・悪世の思想」と「仏教の危機史観」に基づいてのことだということを、古田先生は注意されておるわけでございます。

その具体的なかたちで『大集経』の中で「月蔵分」のところに、正法・像法・末法ということが書いてあるわけでございますが、正法五百年と書いてあるのは、お釈迦様が亡くなって五百年という意味でございます。それを「正法」というと。そして、その間はお釈迦様の教え、そしてお釈迦様の教えにもとづいて「行」は修行です。そして、その修行によって「証」はさとりです。悟りを得ることができると。お釈迦様が亡くなって、仏滅後五百年ぐらいまでは教えもあり、その通り修行をして、お釈迦様と同じ悟りの世界に至る者があるだろうということを、『大集経』の「月蔵分」に書かれておるわけです。

そして更に像法一千年とありますのは、正法の時代五百年が終わって後千年という意味です。それを「像法」といいます。「像」というのは仏像の像という意味ですから「かたち」という意味なのでしょう。何故「かたち」というかと言ったら、教・行があって証がないと書いてあるでしょう。だから教えはあると。その教えの通りに修行はしている。しかし、もう悟りを開くものはいない。だから、教・行だけあって証がないという意味が像法の時という意味ですね。

更にそれを過ぎると末法という時ということになります。だから、仏滅からいいますと千五百年後という意味になるわけです。それが一万年あるというわけです。それを、末法の時と言うわけです。その末法の時は教えだけで行と証はない。あるのは教だけ。具体的にはお経です。教えといいますけれども、お釈迦様の説かれた言葉が教ですけれども、それが文字になったものがお経ですからね。『大集経』というお経は、お釈迦様が説かれたわけですから、お釈迦様が予言をしておられるということですね。そして、ご存じのように親鸞聖人は、時代は末法であるという気持ちが強かった。そういう正像末の三時の期間、それを古田先生は、ここに「末法悪世の思想(仏教の危機史観)」と書いていらっしゃいます。具体的には『法華経』とか『涅槃経』に五濁悪世と、五濁ということが説かれています。それは浄土三部経の中の『仏説阿弥陀経』(ぶっせつあみだきょう)の中にもこのことは説いてございます。五濁悪世の中において、お釈迦様がこの難しい教えを多くの人々に説かれた。そのことを、あらゆる諸仏がほめ讃えておられるのだということを、お釈迦様自身が阿弥陀経の中で舎利弗に説いておられるところがあります。

 

「舎利弗、我がいま諸仏の不可思議の功徳を称讃するごとく、かの諸仏等も、また、我が不可思議の功徳を称説して、この言を作さく、「釈迦牟尼仏、能く甚難希有の事を為して、能く娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁の中にして、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間に信じ難き法を説きたまう」と。舎利弗、当に知るべし。我五濁悪世にして、この難事を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信の法を説く。これをはなはだ難しとす。」 (仏説阿弥陀経 聖典P133)

 

 ここに、「能く甚難希有の事を為して、能く娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁の中にして」と書いてあります。だから、末法の時代になってくると、この五つの濁りというものが激しくなってくることは、正しい教えが見失われてくるという意味でございます。そういう危機意識を、特に仏教の歴史に中で強く持った人の名前が、ここに四人あげられているわけでございます。「北斉・ほくせい」というのは国の名前でございますが、中国という国は、度々政権が代わっておりますから、私たちは唐という時代は、日本から遣唐使というものが出ていましたから、中国は唐という名前の時代があったということは知っておりますが、北斉という名はあまり聞いたことがありません。当時、中国は沢山の王朝が群立していた時期がありまして、北斉はその中の一つの王朝の名前です。その時代に、その国に生まれた人という意味になります。道綽禅師も生まれた時は、実は北斉というところで生まれておられます。ところが、北斎という王朝は、やがて隋という王朝に統一されます。隋という王朝は非常に仏教を奨励しましたけれども、隋という王朝がやがて唐という王朝に統一されていきます。唐という王朝は二十代289年続きます。

 ところで、六世紀に北斉に生まれ出てきた人に南岳慧思という人がおられます。私はよく知りません。「立誓願文」と書いてありますから、一つの自分の願いを、何か仏の前で表白された文章だろうと思いますが、その中に正像末の三時ということについての危機意識が強く述べられていると。その次に、信行禅師という人も南岳禅師とだいたい同じ時代の人です。仏教の中に「三階教」という宗派が、この信行禅師によって創唱されたということは仏教学で習っておりますが、詳しいことは知りません。ただ信行禅師という人の教えの中にも危機意識があると。そして信行禅師とあまり変わらない時代に道綽禅師が出て来られます。

 

 

​正信偈に聞く

 2-2 

​平成20年4月21日

道綽禅師がお生まれになった年は、仏滅1511年という年でございました。お釈迦様が何時亡くなられたかということは、経典によって年代が少し違うようですけれども、ある経典では、道綽禅師が生まれた年、つまり五六二年とテキストには書いてありますが、その年は正像末でいいますと、仏滅1500年を過ぎておったわけです。1511年に当たるといわれ、いよいよ末法に入っていた。そういう時代に道綽禅師は生まれておられるわけですね。だから、道綽禅師のお書きになったものは、特に末法思想というものが非常に強く出ているということが教えられているわけでございます。いよいよ時代は末法に入ったとおっしゃるわけでございます。それから善導大師は道綽禅師の弟子でございます。ですから、その道綽禅師の教えを受けて、善導大師も非常に末法的なお気持ちが強いわけです。そういう教えを背景にして親鸞聖人の教えがあるのです。だから、親鸞聖人には特に末法的な危機意識が強く、現在もうすでに悟りを開くというようなことは、とうてい不可能だというお気持ちが親鸞聖人には強いわけでございます。そういうことが『正信偈』をここにお書きになった理由として、古田先生が述べておられるわけですが、このことを考えていく上で、古来より仏教を「教・行・証」であらわします。

 まず教えがある。そしてその教えの通りに修行して、修行は教えによって悟りを得るための手段でしょう。どれだけ教えが理屈で分かっても、それだけでは救いにはならないわけですからね。どれだけ本を読んで、どんなに細かい学問をしたところで悟りにはならないわけです。何故かと言ったら、お釈迦様が悟りを開かれ、その悟りについて説かれたものが教えですから、これは言葉にすぎません。そうすると、お釈迦様は我われに悟りを求めておられるわけです。別な言い方をすると、我われは迷いの存在だと。真実の法に遇っていない。しかも、迷いということは法に遇っていないのに、その遇っていないことが分からない。そして、自分の考えが間違いないと思っている。そういう立場に立っているのが凡夫です。その迷いの凡夫に「迷いを転じて真実なる悟りを求めよ」と言われるのがお釈迦様の教えです。しかし、そういう教えが理解できれば、本当に私が迷いを転じたことになるのかというたら、それほど人間は簡単ではありません。

 そのために行がいるわけです。だから、教えがあって、そして信というものが行の前に入るんですね。仏教は教・行・証といいますが、教えは間違いないと。お釈迦様のおっしゃる通りだと信じて、そして修行して悟りを開くわけでしょう。だから正確にいうと教・信・行・証が仏教なのです。ところが親鸞聖人のお書きになった『教行信証』には信は行の後にきているわけですね。教行信証になっていますからね。そうしますと、一般仏教で信といっている信と、親鸞聖人がおっしゃる信というのは意味が違うんですね。一般仏教で信というのは、お釈迦様の教えを読んだり聞いたりして「なるほどそうだ。それが本当であろう」と理解する。そして、それが信ずるという意味なんです。しかし、信ずる心は凡夫の心です。凡夫の心で信じて、悟りを求めて修行するわけです。だから、教信行証といわれるわけです。

 親鸞聖人の場合は『教行信証』といっておられます。そして、親鸞聖人がおっしゃる信という意味は、一般仏教でいわれている信とは違うんですね。これが親鸞聖人の教えの特徴です。そして、この行と信の間に『正信偈』が入っているんだということを、古田先生は注意しておられるわけです。これは古田先生に限りません。よく一般にいわれることです。

仏教には沢山の経典が残っております。これは文字で書かれたものです。文化的な言い方をしますと古典です。しかし、いま申しますように、古典をどんなに勉強したからといって、それがそのまま悟りにはならないわけです。だから、悟りということまで頭で理解するわけです。そうしますと、私自身は「悟り自体」はわかりませんから、悟りについての言葉の意味を理解するということになってしまうわけですね。学問というものはそういうものだと思います。そうして、仏教が学問を究めた人にしか分からんというものになってしまいます。そうすると、これは哲学です。宗教というよりもむしろ哲学になってしまうわけです。名もない人々が生活の只中で、教えによって救われていくということは成り立たないかたちになってきます。そこに親鸞聖人が仏教を教行信証といわれる意味があるわけです。こういう経典・文字・古典・哲学というものを通して、そして修行して悟りを求める仏教を聖道門(しょうどうもん)といいます。聖道門の仏教というのは、どこまでも学問を積み、そして学問にもとづいて修行をして悟りを開く。しかし、学問をもとに修行をしておれば必ず悟りを開くかというと、これは分かりません。親鸞聖人が化身土巻の中に「自利各別・じりかくべつ」という言葉を使っておられます。つまり、その人の学問を重ね修行をするということは、それぞれの能力なり体力が違うわけですから、極端にいうと百人いれば百人違うわけです。各別ということは一人ひとり違うということです。

 正法の時というのは、例えばAさんが学問をし、修行して「私は悟りを開いた」と仮に言ったとしても、それが本当の悟りかどうかというのは、誰かが証明しなければならないわけです。しかし、証明するということになれば、証明する人が本当に悟った人でないと証明できないわけですね。そこで本当に悟った人はお釈迦様ですから、そのお釈迦様によって証明されていた人の証明によって、悟りそのものが伝統されていく範囲は五百年だと。それ以上経つともう分らなくなると。そうすると、像法の時代は、修行や学問がありますからね。悟ったような風をしている。しかし、それは形なんだと。それを像法の時というんです。そして非常に大事な問題があります。それは、親鸞聖人は念仏の教えを伝統された高僧を七人あげておられますが、お釈迦様の次に龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)をあげておられます。その龍樹菩薩という人は、お釈迦様が亡くなって七百年経って出てきた人です。七高僧の第一祖ですね。ところが、その龍樹菩薩はもう像法の時の人なんです。そして、第二祖、天親菩薩(てんじんぼさつ)はそれから二百年後に出てきている人ですから、お釈迦様が亡くなってから九百年経っているわけです。だから、正像末和讃(しょうぞうまつわさん)の中に、

 

像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて

 時機相応の法なれば 念仏門にぞいりたまう   (正像末和讃 聖典P503)

 

「像法のときの智人も」とありますが、誰のことをいってあるかというと、龍樹菩薩や天親菩薩のことをいっておられるわけです。だから、もう龍樹や天親は悟りを開くことができないんです。龍樹は千部の論主といわれるぐらい大変な学者ですけれども、結局学問的に仏教を究められた。もちろん修行もなさったんですよ。しかし、その『大集経』の教えでいうならば、もう悟ることはできないと。そういう悲しみを龍樹菩薩や天親菩薩は持っておられるわけですね。だから、龍樹菩薩が「難行道・易行道」ということを『十住毘婆沙論』(じゅうじゅうびばしゃろん)の易行品(いぎょうぼん)の中で書かれたということは、以前勉強する中で申しました。

 聖道は難行です。しかし、これは本当に悟りを開く道なのかと、そういうものが龍樹菩薩にあるわけです。そういうところから、難行道に対して易行道と。難行・易行と、仏教を二つに分けられたのは龍樹菩薩です。難行の悟りを得ることは極めて困難だと。「信方便の易行」は「称執持名号」(執持して名号を称え)を示されます。その易行道を「信仏の因縁」とおっしゃったのは曇鸞大師(どんらんだいし)ですね。そこで言われたのは「行」といわないで、仏を信ずる「信」といっておられる。修行によって悟るということをおっしゃらないで、信仏の因縁と言っておられます。 

そして、天親菩薩が二百年後に出て来られます。その時、易行道の流れの中から「願生・がんしょう」という。つまり、お浄土に生まれるという願生道。こういうことをおっしゃったのが天親菩薩です。つまり浄土に生まれる。そこにあるのは阿弥陀仏の本願ということがその根本にあります。本願によって成就された阿弥陀仏の浄土に生まれる。それが願生道です。そこをもっと深めて、そして、今度は「他力・自力」というかたちでおっしゃったのも曇鸞大師です。このような流れになってくるわけです。だから問題は、そこに「信」ということの意味ですね。ただ教えを理解する。これは正しい教えだと。そして、私は信じておりますというでしょう。私はようわからんけど、あの先生のいうことは信じて、一生懸命聞いておりますというでしょう。その信は人間の根性の信ですから、だからどうかすると、あんな人とは思わなかったと。信じていたけど、どうもダメだというようなことはよく聞きます。ということは人間の根性でいっているわけです。教・信・行・証というのは、やっぱり人間の根性ですね。信じて修行をしているわけです。そして修行をして悟りを得ることができるかといったら、それはわからないわけですね。

 ところで親鸞聖人が『教行信証』といわれる時の、この「信」というのは、これは随分深い意味があるわけですね。それでまず「教」ということをいわれます。真実の教と。そして、それを大無量寿経(だいむりょうじゅきょう・仏説無量寿経)といわれました。浄土三部経の中の一つですね。大無量寿経が真実の教だといわれます。何故かというと、阿弥陀仏の本願が説かれてある。法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ・阿弥陀仏の因位)の四十八願が説かれている。しかも、ここで親鸞聖人が『教行信証』の教巻を見ますと、なぜ真実の教といえるのかと、こういわれる時に、阿難(あなん)が「今日のお釈迦様は、今までお見かけしたお釈迦様と違う」ということを、大無量寿経の一番初めに言うところがあります。五徳瑞現(ごとくずいげん)というんですけど、阿難という人はお釈迦様の従兄弟なんです。そして、阿難のお兄さんが提婆(だいば)なんですね。兄弟です。お釈迦様の親と阿難の親が兄弟です。だから阿難も提婆も王族なんですね。その阿難という方は、お釈迦様にずっと常随して、お釈迦様は八十歳で亡くなります。晩年は弱っておられるわけですね。その身の世話まで全部されたのは阿難という人です。お釈迦様の身の世話をしながら、何時も側にいて説法を聞いておられた方です。だから「多聞第一・たもんだいいち」といわれた人です。この人くらいお釈迦様の教えを聞いた人はいないわけです。話は逸れますが、藤代聰麿(ふじしろとしまろ)というお方は曽我量深(そがりょうじん)先生の随行を最後までしておられた方です。だから曽我先生の阿難と、皆から言われておられましたけれども、そういう人が阿難なんです。大無量寿経の教えをお釈迦様が説かれる時に、阿難が言うんです。今日のお釈迦様は違うと。今までお見かけしたお釈迦様と違うと。

 

その時、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして光顔魏魏とまします。尊者阿難、仏の聖旨を承けてすなわち座より起ち、偏えに右の肩を袒ぎ、長跪合掌して仏に白して言さく、「今日、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして、光顔魏魏とまします。明らかなる浄鏡の裏表に影暢するがごとし。威容顕曜にして超絶したまえること無量なり。未だ曾て瞻覩せず。

・・・ 去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり。今の仏も諸仏を念じたまうことなきことを得んや。何がゆえぞ威神光光たること乃し爾ると。 (『仏説無量寿経』巻上 聖典P7)

 

 今まで感じたことのない尊い姿をしていらっしゃるというんですね。その時に、お釈迦様が「お前よく聞いた」と。実は、私は阿弥陀如来とひとつだと。

 

仏の言わく、「善きかなや。阿難。問いたてまつるところ、甚だ快し。深き智慧・真妙の弁才を発して衆生を愍念してこの慧義を問えり。如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう。世に出興したまう所以は、道教を光闡して、群萠を拯い恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。 (『仏説無量寿経』巻上 聖典P8)

 

 一切の衆生を平等に救いたいという本願の上に立っておられる。阿弥陀如来の本願とひとつになっているということは、お釈迦様が阿弥陀如来の本願に立ち上がったということです。そして、そのことを阿難および他の弟子に説こうと言って、お説きになられたのが法蔵の物語です。

 

曽我量深(1875年― 1971年)は、日本明治昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶仏教思想家。真宗大谷派講師、大谷大学学長、同大学名誉教授

 

​正信偈に聞く

 2ー3 

​平成20年4月21日

 それを、親鸞聖人はどのようにお受け取りになったかといえば、阿弥陀如来の本願というのは、お釈迦様が自分の頭で考えつかれたことではないのです。言うならば「法」だと。つまり、お釈迦様が思いついたようなものじゃなくて、「釈迦以前の仏教」と曽我量深先生は言われますけれども、お釈迦様自身が阿弥陀如来の本願に気づき、本願に目覚め、そして、それをその通りに語る。阿弥陀如来とお釈迦様がひとつになっているわけです。

 阿弥陀如来は「法」ですから、形ということではありません。人間の上にはたらいておられる真実の法。しかし、それは単なる「法」ではなくて、全てのものをして真に願いに生きさせようとする、そういう深い願いそのもの。そういうものがあるんだということを、はじめてお釈迦様が言葉で説かれたものが大無量寿経。だから、この『大無量寿経』は、単なる古典ではなくて、阿弥陀如来がお釈迦様をして語らせたものだと。しかも、その本願は、全ての人間にはたらいている法である。全てのものを本願に立たせ、そして全てのものが小さな人間の欲望で生きることを離れて、そして本願に立って生きる人間たらしめたいという願に立っておられるのが阿弥陀如来。その阿弥陀如来とお釈迦様はひとつになっておられる。

 だから、例えば法蔵菩薩をどう見ていくかということになった時に、法蔵菩薩は王様だと書かれてあるんです。それが世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏さまの教えを聞いて、深い願いを起して、王の位を棄てて出家者となって、世自在王仏の弟子になったと。だから、例えば大石先生は、「法蔵菩薩はお釈迦様と別なものではないと。もっと言うならば、お釈迦様の中にはたらいている願心を法蔵菩薩といっておられるのだ」と言われる。それは全ての者の上はたらいておる。しかし、はたらいておるということを説いて証明してくれる人がいなければ、我われには分からないわけです。

我われは、その法のはたらきの中にいても、それが分かりません。そうすると、我われは小さな自己中心の心の中で一生終わってしまうわけですね。そのことが深い悲しみになっているわけです。だから、どんな人でも、歳をとってくると「寂しい」とか「空しい」と言う。金も求めた、物も求めた、社会的地位や名誉も求めた。その人なりに一生懸命頑張ったけれど、これが私の人生であろうかと。ふとそういう思いが出てくるということがあるわけです。やっぱり大きなものがはたらいているわけですね。しかし、それに気づかず、親から習った人間の我執をもとに、金さえあれば、物さえあればとか、健康が第一だといって生きてしまう。親から聞いていることも、そんなことばかりです。それが人生だと思って生きてきたわけですから、皆そうして生きたわけです。しかし、死に際になって、寂しいとか、切ないと言うたりする。つまり、人生に壁があるということです。しかも壁が壁とわかるということは、向こうがあるということですからね。そういうものが人間に感じられるということは、本当のものを欲しがっているということですよ。だけど、誰かに教えてもらわないとわかりません。しかし、一回教えてもらったら分かるかというと、それほど簡単なものではありません。しかも、それを証明してくれる人が少ないわけで、この世の中で成功して、俺が勝ったといっている人間の方が、この世に満ちているわけですからね。なかなか人間は、この法を信じられません。

 しかし、そのことをお釈迦様は大無量寿経に説かれた。そして、そのことに初めて気がついたのが阿難です。長いこと教えを聞いておったけれども、ああ、これがお釈迦様の本当のお心だと気づいたのが阿難です。そこで『大無量寿経』は、お釈迦様と阿難との本当の出遇いによって説かれた経だと。だから、大無量寿経というのは単なる古典ではないんです。本願がお釈迦様をして大無量寿経を説かしめた。いうならば、経にあらわれたのだと。だから、お釈迦様は単なる思想として話したんではなくて、釈迦・弥陀一体として、本願のありのままをありのままに説かれたお経。それが大無量寿経であり真実の教だと。そうしたら、如来の本願というけれども、具体的に私たちの上にどうはたらいているかというと、それが南無阿弥陀仏です。「我が名を称えよ」という呼び声に遇う本願。南無阿弥陀仏ですね。仏の名号です。これは本願の発露ですね。本願が私たちに向かっての呼び声になっています。

 だから、親鸞聖人の教えは「教」、そして「行」です。この行のことを「大行・だいぎょう」といわれます。如来の行という意味です。聖道門の仏教は、教えを聞いて、教えを読んで、それを信じて、そして修行をするというような修行は「小行・しょうぎょう」だと言われます。いわゆる人間の行として人間が信ずるといっても、つまり凡夫の根性で理解して、それに基づいて悟りを得るための行は手段ですよ。手段として行う人間の行。これを「諸善万行・しょぜんまんぎょう」というのでしょう。諸々の善根、諸々の行ですね。しかし、それは「小行」だと。教えを信じたといっても、人間が人間の根性で信じているわけですから、自分なりに受け取っているわけですからね。人間というのは皆そうです。私たちがものを見たといっても、どこで見ているかというと我が根性で見ているわけですから、我が根性を出ないわけです。

 仏さまの世界は、我われ凡夫の知恵、人間の分別を超えた世界です。それを分かろうと思って勉強したり聞いたりしても、世界が全然違うわけです。違うということが、なかなか分かりませんけれども、ともかく教えの通りにならなければいかんということで、修行を通して悟りを得ようとするのも一つの努力です。そうすると世間の行と同じですよ。ただやっていることが違うというだけで、これは聖道です。 ところが、南無阿弥陀仏は違うのだと。私たちをして、この世界を知らせたいと願う如来の本願が、釈迦をして語らせ、釈迦をしてその願いに立ち上がらせ、そして釈迦をして突き抜けてはたらいているわけです。だから南無阿弥陀仏は大行です。それが、お釈迦様だけではない。我われ一人ひとりの上にはたらいている。そういう意味を私の人生にはじめて気がつくということが大行・大信です。私が信じたというものではない。つまり、南無阿弥陀仏のおいわれに目が覚める。疑いが晴れるということです。それが信。それが証なんですね。証と信が別にあるわけではありません。だから、向こうからずっと来ているわけです。そして、その大きなはたらきが、私をして迷いを翻させるわけです。だから、私が信じたというもんじゃなくて、南無阿弥陀仏が私の迷いを翻すはたらき、それが行です。だから、親鸞聖人は教・行・信・証と。しかも大行・大信と教えて、その意味を私たちに受け取らせようとする。その大行・大信の間に『正信偈』がある。だから正信偈というのは、どこまでも大行・大信なんです。その大行は単なる聖道の行ではない。如来の行ということを受けとる。しかし、自力の執心の強い私たちは、それを受けとる力は無いわけですね。私たちは分かった時に信ずるというのが凡夫の根性ですから。それを徹底的に、そういう根性を私たちに知らせて、私の自己中心の思いを翻させていくはたらきが大行です。それに目が覚めるというのが大信ですから、大信というのは信ずるというよりも、私が今まで間違いないと思って、何かを持っていたものが破れるということなんでしょう。

 その大行は、具体的には七高僧の伝統になってはたらいておられる。つまり願に生きる人です。その人は私にとって善知識です。だから親鸞聖人は「よきひとのおおせ」といわれます。そのおおせは「だだ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」です。法然上人は私に依れとはいわれない。「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」といわれる。それが、大無量寿経を説かれたお釈迦様と同じ位置です。だから、法然上人のおっしゃったことは、単なる法然上人が言っておられるのでなくて、阿弥陀仏の本願のまことが法然上人をして言わせているわけです。親鸞聖人はそれに目が覚めた。いわゆる「感応道交」と曽我先生が言われますけれども、

 

ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 (歎異抄 聖典P627)

 

 だから、この信というのは、あらゆる疑いが晴れたということですよ。『御文』をお読みになったらすぐわかりますけれども、蓮如上人はそういうかたちで一貫しておられます。

 

聖人一流の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。 (御文 聖典P837)

 

 親鸞聖人の教えを「念仏の教え」と言うてないですね。信心をもって本とせられ候うと言われている。そして、

 

他力の信心をとるというも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもって、信心決定するとはいうなり。そもそも信心の体というは、『経』にいわく「聞其名号 信心歓喜」(大経)といえり。(御文 聖典P839)

 

信心というのは、南無阿弥陀仏のいわれを聞き開く信心とおっしゃっておられます。だから、

 

もろもろの雑行・雑修、自力のこころをふりすてて、一心に「阿弥陀如来、我等が今度の一大事の後生御たすけそうらえ」とたのみもうしそうろう。 (改悔文 聖典P853)

 

 自我に立った自力の心をふりすてて、一心一向に弥陀をたのめと。それが善知識のおおせによって、弥陀のまことに気づいていくということだと。そこに、私たちの人生は偏に、この浄土往生を遂げるという大きな目的を持った人生という意味をもっているのだと。こういうことですね。往生を死んだら極楽に往くというようなかたちで受け取るのは、人間の自力の根性です。だから、南無阿弥陀仏のまことに、本当に目覚めるならば、そんなことでは済まんわけです。例えば、大石先生は「願に生きる」という言い方で信心の中身をいわれます。曽我先生は「今生に信に死し願に生きる」といわれます。私ははじめ「信に死して願に生きる」という、「信に死す」ということがどういうことなのか、なかなか分かりませんでした。しかしそれは、

 

信受本願・前念命終 (本願を信受するは、前念命終なり)

即得往生・後念即生 (即得往生は、後念即生なり) (愚禿鈔 聖典P430)

 

「本願を信受する」、つまり南無阿弥陀仏のいわれを聞き開くということをいっておられるんです。本願というのは、具体的には南無阿弥陀仏ですからね。南無阿弥陀仏のいわれを聞く時に前念の命終わる。前念の命というのは、我われの迷いの命ということです。我執にとらわれて、それを拠りどころにして生きる私たちの在り方が終わって、即ち往生を得る。死んで往生じゃないんです。前念命終の時に即ち往生を得るんです。この親鸞聖人の教えは非常にはっきりしています。現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)が親鸞聖人の教えの眼目です。

 

大石法夫(おおいしのりお 1921年―2008年)広島県大竹市に生まれる。1942年、京都大学法学部入学。1943年、学徒出陣で海軍入隊。1944年、京都大学を繰り上げ卒業。1945年、人間魚雷回天の光基地(山口県)にて終戦を迎える。1947、仏門に帰依。浄土真宗木辺派法林寺副住職を経て、自宅での法座を中心に、各地で布教活動を展開した。

 

 

 

​正信偈に聞く

 2ー4 

​平成20年4月21日

 親鸞聖人は即得往生(そくとくおうじょう)を、本願を信受(しんじゅ)する時、前念の命が終わると。信受本願が、つまり往生を得るということです。だから後念と。前念の次は後念です。一念を前と後に分けておるわけですね。だから死んで生まれるわけですからね。死なねば生まれません。生まれるということは死ぬるということです。だから信に死してと。そして願に生きると。「今生に信に死して願に生きる」と曽我先生はおっしゃっておられます。信に死するということは、前念の命が終わるということだと強調しておられるわけですね。そういう意味で教・行・信・証と。だから教信行証の仏教とは全然違うわけです。だから、浄土の教え以外の仏教の場合は、本願ということははたらいていないわけです。どこまでも人間の努力とか、考えというものを押していくわけですね。だから、それは悟りにはいかんわけです。後序には、

 

竊かに以(おもん)みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。

(教行信証 聖典P398)

 

といわれています。そういうところが、なかなか同じ仏教でもはっきりせんところがあるようでございます。『教行信証』の場合は、そういうことがはっきりしているわけです。だから、釈迦弥陀一体の本願の教えが『大無量寿経』です。だから『大無量寿経』は単なる古典ではない。ですからこれを学問的に極めて行ってもダメです。そこに本願が説かれておるという意味です。具体的には南無阿弥陀仏です。そこに自分の人生の全てをかけて、疑いが晴れたのが親鸞聖人ですよ。だから、

 

しかるに『経』に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞いて疑心あることなし。これを「聞」と日(い)うなり。「信心」と言うは、すなわち本願力回向の信心なり。 (教行信証P240)

 

とおっしゃっています。それを蓮如上人は、

 

当流のこころは、あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたりというとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。 (御文 聖典P833)

 

「いわれ」とおっしゃるんです。「仏願の生起・本末」というのは、誰のために、何故如来の本願が建ったのか。だから起こりですよ。そして起こったものがどのようなかたちで・・。願が願のままに止まれば願じゃないですからね。願が行として、しかもそれが証にならなかったならば、願は願で止まるわけですから。だから、その本末の起こりと、それによって衆生が救われていく姿、そういうことを書いてあるのが『大無量寿経』です。

 大無量寿経上巻は「如来浄土の因果」が説かれています。つまり、阿弥陀如来がどうして悟りを得られたのか。また、何故一切衆生のために浄土を完成なさったのか。その因と果を書いてあるのが上巻です。だから上巻は法の巻なんですね。どれだけ阿弥陀如来が仏になられ、浄土を建立なさっても、阿弥陀如来のまことを信じ、浄土に生まれる者がいなかったならば無駄になりますからね。そうすると下巻は何を説いてあるかというたら、大無量寿経下巻は「衆生往生の因果」が説かれているんです。だから、上巻と下巻で写し合うかたちになっています。上巻と下巻が照らし合っとるんです。上巻において説かれたのは「如来浄土の因果」が説かれている。しかし、どれだけ阿弥陀様が本願を建て、浄土を建立なさっても、それで衆生が生まれなかったら無駄です。そうしますと、衆生はそれによって、「衆生往生の因果」ですから、それが救われていく姿を説いてあるのが下巻です。だから、私たちの救われていく姿は下巻に書いてあるんです。四十八願は上巻に書いてあります。しかし、一いちがどういうかたちで衆生の上に成就するのか。その願が私たちの上にはたらくことを成就といわれます。上巻の四十八願の中で、特に念仏申す者を浄土に生まれさせて、仏にしたいという願いを誓われているのが第十八願です。そして、その通りに念仏申して救われる人間の姿が、今度は下巻のはじめのところに「第十八願成就文」として出てきます。

 

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。心を至し回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住す。唯五逆と誹謗正法とを除く。 (仏説無量寿経 下巻 聖典P44)

 

そこに、信受本願という事実が誓われているわけです。だから『正信偈』には、

 

如来所以興出世 (如来、世に興出したまうゆえは、)

唯説弥陀本願海 (ただ、弥陀の本願海を説かんとなり) (教行信証 聖典P204)

 

と書いてあります。この如来は釈迦です。唯というのは「このことひとつ」という意味です。

『唯信鈔文意・ゆいしんしょうもんい』という書物がありまして、その中で唯信の唯ということを親鸞聖人はそうおっしゃっておられます。

 

「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。(唯信鈔文意 聖典P547)

 

 釈迦如来はたくさんのことをお説きになった。しかし、その多くのものは方便だと。方便というのは手だてですからね。しかし、そこで方便として説かれたものは、ひとえに本願に気づかせようというために説かれたと。だから方便とおっしゃるわけですね。だから『末燈鈔・まっとうしょう』の中に、

 

聖道というは、すでに仏になりたまえるひとの、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・三論宗等の大乗至極の教なり。 (末燈鈔 聖典P601)

 

というお言葉があります。われらが心を勧めんがために説いたのが聖道門なんだと。何故かというと、どうにかなってたすかりたいと考える、その凡夫の心に合わせるかたちで説かれないと、凡夫というのは分からないわけです。このままでいいと言ったって困るわけです。聖道門の教えには、そういう意味があるのです。

 昔からお説教があるんです。そのままの救いというんですよ。そしたら言われたお婆ちゃんが「このまま」ですかと。「いや、そのまま」。だから「このまま」でしょうと・・。

だから、そのままということが受け取れるまでには、人間の努力というものが手掛かりになるわけです。そして「いずれの行もおよびがたき身」というものを通して、そのままの救いであったというものにとどくわけですから、はじめに、やっぱり自力聖道門。いうならば三部経でいいますと『仏説観無量寿経・ぶっせつかんむりょうじゅきょう』の教えが大事なんです。そこに「諸善万行」を定善(じょうぜん)・散善(さんぜん)というかたちで説かれるのですが、説かれるけれどもその本意はどこにあるかというと、弥陀の本願に気づかせたいというのが本意なのだということを強調なさっているのが『教行信証』の化身土巻です。そして真実は大無量寿経というんです。ですから『仏説観無量寿経』というのは「諸善万行」を説いています。そのお釈迦様が諸善万行を説いていかれる本当の真意。お心というものに気づかせようというのが仏説観無量寿経です。だから仏説観無量寿経の最後にお釈迦様が、

 

汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり。 (仏説観無量寿経 聖典P122)

 

ということを流通分(るずうぶん)という、最後のところでお釈迦様はおっしゃっています。そのことに注意をしたのが善導大師(ぜんどうだいし)です。分かりましたと。今まで定散二善を説いておられるけれども、

 

上よりこのかた定散両門の益を説くといえども、仏の本願の意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるにあり、と。 (教行信証 聖典P350)

 

という教えを明らかにしたのが『仏説無量寿経』だったということを、善導大師は『観経疏・かんぎょうしょ』の中に書いておられます。そういうものを背景にして、親鸞聖人は『仏説観無量寿経』は方便だと。それは弥陀の本願を知らせるための方便なのだと。だから、本当は真実を真実のままに説いてあるのが『仏説無量寿経』。だから大無量寿経は真実教だと。これが「教」だと。そこに説かれているものは如来の本願。本願というのは具体的には南無阿弥陀仏です。だから、

 

大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり。 (教行信証 聖典P157)

 

と、そのいわれに眼開くのが信です。だから大行・大信ということをおっしゃるのです。こういうかたちで『教行信証』というものがあって、行巻と信巻の間に『正信偈』があるということは、理詰めでいくのではなくて、深いおいわれというものを『正信偈』の中に凝縮するかたちで「偈・うた」として述べられているわけです。

 これは前回お話ししましたけれども、こういう勤行用の聖典を門徒のみんなに渡し、そして朝晩のお勤めをしてもらうことによって、親鸞聖人の真意を受けとってもらおうとお考えになったのが蓮如上人です。正信偈は漢文ですからね。それを分かりやすく言おうとなさってお書きになったのが「御文」だと。こういうのは前回お話ししました。

 ここで、古田先生は『教行信証』という書物の中で、なぜ『正信偈』が行と信の間にあるかということについて、末法という時代観、仏教の危機意識というものが背景にあると。それは末法史観に立たない聖道門とは全く違う。末法史観に立った『教行信証』の生粋の大事な部分を正信偈という偈文というかたちで、行信の問題を結実しているということをここでおっしゃっていると思います。

 

「正信偈」 如来より回向された念仏に対して正しい信をつくす歌

 

こういう言い方で古田先生は「正信偈」という意味を述べておられます。これは、非常に大切な指摘ではなかろうかということを思うわけでございます。