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​正信偈に聞く

 15-1 

​平成21年6月26日

今日から「至心信楽願為因」のところに入っております。

 

 本願名号正定業 本願の名号は正定の業なり。

   (本願の名号は正しく(往生を)決定するはたらきをする。)

 至心信楽願為因 至心信楽の願を因とす。

   ((第十八の)至心信楽の願が(往生の)原因となる。)

 

(18)「至心信楽の願」 阿弥陀仏の本願の第十八願(「至心信楽の願」)。

   「至心(ししん)」「信楽(しんぎょう)」「欲生(よくしょう)」の三信によつて、浄土に往生させたいという願い。

   三信は、心を尽くして(至心)、信じて楽(ねが)い(信楽)、浄土に生まれようと欲(おも)う(欲生)こと。

  

 「大無量寿経」第十八願 (至心信楽の願)

  「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずば、正覚を取らじ、唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」

 

今回は「至心信楽願為因」という信心の問題でございます。如来によって回向された南無

阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と受け取っていく。そういう私たちの信心の問題を、「正信偈」では「至心信楽の願を因とする」と言われておるわけです。至心信楽の願というのは第十八願でございます。名号を誓われたのが第十七願。それに対して、信心の問題を誓われたのが第十八願だと親鸞聖人はお受けとりになっておるわけでございます。ですから古田先生は「至心信楽の願」と書いて「阿弥陀仏の本願の第十八願」、(至心信楽の願)」と。その次に「至心・信楽・欲生の三心によって浄土に往生させたいという願い」。そして、三心の至心、信楽、欲生を、それぞれ「三心は、心を尽くし(至心)、信じ楽(ねが)い(信楽)、浄土に生まれようと欲(おも)う(欲生)こと。」と。「至心」は真という、真実心という意味なんですね。「信楽」というのは、「楽・ぎょう」という字は楽しむという字が書いてありますけれども「ねがう」という意味だと書いてございます。「欲生」は、欲望の欲という字が書いてありますが、浄土に生まれようと欲(おも)うと。信心ということを至心・信楽・欲生と三つにあらわしてあるわけです。

正信偈では「本願の名号は正定の業」と言われます。法蔵菩薩は、すべての人間を阿弥陀仏の浄土に生まれさせて仏にしたいという願をおこされ、その願いを成就するために兆載永劫のご修行をなさった。そして阿弥陀仏に成られすべての人間を救うために浄土を建立された。だから、どうして十方衆生を浄土に生まれさせて仏にするかという問題があるわけです。そこで南無阿弥陀仏という六字のみ名を成就された。そのみ名の中に阿弥陀仏のすべての功徳をこめて、私のために回向され、我が名を称えるものをわが国に生まれさせようという願いをおこされた。それが「本願名号正定業」という意味ですね。しかし、例えそのような手立てをたて、そして願いをおこして私たちに呼びかけられましても、肝心の私たちがそれを信じて、仰せの通りに浄土に生まれたいと願わなかったならば、阿弥陀仏の本願は無駄になるわけです。しかし、私たちに阿弥陀の本願を信じ、名号のおいわれを信じて念仏申す身になるという力が私たちにあるのだろうか。つまり、浄土に生まれたいというような心が私たちにあるのだろうか。そこに親鸞聖人が生涯をかけてご心配下さった信心の問題があるわけでございます。

 

聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。 (御文 聖典P837 )

 

という蓮如上人の御文がございます。「聖人」というのは親鸞聖人です。「一流」というのは教えということです。「御勧化」というのはおすすめという意味です。つまり、親鸞聖人が私たちに勧めてくださった教えの要は、「おもむき」と言ってありますから要です。それを「信心をもって本とせられ候う」と蓮如上人は仰せになっておられます。だから、親鸞聖人の教えは信心の教えだと言っておられるわけです。その信心というのは「至心信楽の願を因となす」という。第十八願の至心信楽の願が往生の原因となると。そこに信心ということが本願として誓われておるわけです。十七願では名号のおいわれが説かれ、十八願では信心のおいわれが説かれておるというのが親鸞聖人の教えの根本になっております。そしてそのことを、私たちがはっきりさせていただかねばならないわけでございます。信心ということについて、『歎異抄』第二章では

 

 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々。  (歎異抄 聖典P626~627)

 

何をいわれておるかといったら、晩年の親鸞聖人が京都におられて、その聖人のところに、

 

おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。

 

「おのおの」と書いてありますから、お一人ではなかったのでしょう。何人かの人がわざわざ京都におられる親鸞聖人のところに、「十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして」命がけで尋ねて来られた。その訪ねてきた目的を親鸞聖人がおっしゃっておられますけれども、「往生極楽のみちをといきかんがため」に来たのでしょう。単なる京都見物に来たのではないでしょうと。しかし、その往生極楽の道として、「しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。」しかし、往生極楽の道として、念仏の他に往生の道を知っている。そしてまたそういう御聖教を隠していると。「こころにくく」ということは真相を知りたいということだそうです。                 

親鸞聖人が本当は隠しておられるのではないか、だから本当のお気持ちを聞きたい。真意を正したいという意味だそうです。だから、問いただしに来たのだと。どういう事情があったかわかりません。

 

もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。

 

それに対して親鸞聖人は、もしそうであるならば「南都北嶺」、南都というのは奈良です。

北嶺というのは比叡山のことです。そこに偉い有名な学者の人たちがたくさんおられるの

だから、そこに行ってお聞きになるといいでしょう。次に「親鸞におきては」と、親鸞聖人

は大事なことをいう時には、「私は」というふうには言われないんですね。大事なことを言

う時には「愚禿親鸞」とか「親鸞は」と我が名を必ずいわれます。これは非常に大事なこと

です。ここでも「親鸞におきては」と自らを名告っておられます。

 

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせを

かぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

 

これが親鸞聖人が訪ねて来た人たちにおっしゃりたかったことの要なんですね。親鸞聖人においては、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という「よきひと」法然上人の「おおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」と。そこに信ずるという言葉がでてくるんです。つまり、親鸞聖人においては、法然上人のおおせを信ずる信心なんですね。親鸞聖人は、法然上人からいろいろなものを習われたでしょう。五年もおられたのですから、それを親鸞聖人は一口でおっしゃっています。「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」と。これが、よきひと法然上人から習ったことだと。それを信ずるほかに別の子細はないと。

 

念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。

 

そこまで来ると、念仏は本当に浄土に生まれる種であるのか、また地獄に落ちる業であるのか、そういうことは私には問題ではない。だから、お念仏して地獄に落ちてもさらに後悔しないと。

 

そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。

 

何故かといったら、「そのゆえは、自余の行もはげみて」という言葉があります。自余の行というのは、念仏以外の行という意味です。念仏以外の行を励んで仏になるべかりける身、つまり、念仏以外の行を修行して仏になることのできる私がということですね。仏になることができる身が、念仏して地獄におちてそうらわばこそ、もしも、念仏して地獄に落ちたのならば、すかされたてまつりてと、法然上人に騙されたという後悔もあるでしょう。

 

いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

 

これは非常に大事な言葉ですね。親鸞聖人が法然上人の教えを通して「ただ念仏して弥陀にたすけれまいらすべし」という仰せをひとえに信じた。それは、どういう親鸞として信じられたかといったら「いずれの行もおよびがたき身」というところで、法然上人の言葉を受けとっておられるわけです。「いずれの行もおよびがたき身」だということを、親鸞聖人に実感させ、そこに親鸞聖人自身を追い詰めたものは何かというたら、比叡山二十年の修行だと私は思います。自余の行ですね。比叡山二十年の修行を通して、親鸞聖人は我が身自身を「いずれの行もおよびがたき身」と、そこのところで法然上人の教えを受けとられたと。こういう問題があります。だから、念仏しろと言われて、ただ念仏すれば極楽に往けるんですねという、そういう話ではないわけです。ただ念仏して弥陀にたすけられよと法然上人がおっしゃった言葉を真受けに出来た。またせずにはおれなかった。そういう親鸞聖人の世界があり、それが親鸞聖人の教えの原点なんです。親鸞聖人の教えは「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う」と蓮如上人がおっしゃる、その信心の原点は、『歎異抄』でいえば、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて」というおおせ、これが信心の中身です。つまり南無阿弥陀仏の信心です。よきひとのおおせを信じる信心なんですね。

正信偈 15ー2

​正信偈に聞く

 15-2 

​平成21年6月26日

 先月、本願の名号ということを申し上げたのですが、本願の名号を親鸞聖人は第十七願に見ておられます。「諸仏称名の願・しょぶつしょうみょうのがん」ですね。つまり諸仏が我が名をほめられたという本願になっておるんだということを言いました。その時に、諸仏というのは何だろうかという話をちょっとしました。それは親鸞聖人において、諸仏の代表は善知識で法然上人ではなかったのかという話をしました。十七願に、諸仏にほめられたいと誓ってある。具体的には諸仏は法然上人だと。その法然上人のおおせは「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」とおっしゃっておられます。これは非常に大事なんですが、ただ念仏して、弥陀にたすけられよと法然上人はおっしゃってるんです。私に来いとはおっしゃっていない。善導大師の「二河の譬」の中に

 

すなわち自ら思念すらく、「我今回(かえ)らばまた死せん、住(とど)まらばまた死せん、去(ゆ)かばまた死せん。一種として死を勉(まぬが)れざれば、我やすくこの道を尋ねて前に向こうて去(ゆ)かん。すでにこの道あり。必ず度すべし」と。この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。「仁者(きみ)ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。もし住(とど)まらばすなわち死せん」と。また西の岸の上に人ありて喚(よぼ)うて言わく、「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。   (教行信証 聖典P219~220)

 

 東の岸からお釈迦様は、「仁者(きみ)ただ決定してこの道を尋ねて行け」と書いてあります。水火二河の白道を前に立ちすくんでいる修行者に「仁者・きみ」と言っています。ただちに来いと言わずに行けといっています。これはお釈迦様が言っておられるのだと善導大師はおっしゃっています。お釈迦様の教えだと。そして今度は、ここに立ちすくんでいる時に、西の岸から声がしたと。「汝一心に正念にして直ちに来れ」と言っています。直ちに来いというのは西の岸から言うんです。行けというのは東の岸です。お釈迦様の教えというのは東なんですね。行きなさいと。それと同時に西の岸からは来なさいと聞こえる。これは弥陀の招喚(しょうかん)の声です。そういうかたちで「水火二河の譬」というのは説かれています。善導大師は、非常に正確にそのことを教えておられるんですね。だから法然上人も来いとはおっしゃらないんです。ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと。行きなさいと言われるわけです。それが諸仏の仕事なんですね。諸仏の立場といいますか、だからこの諸仏の中には、浄土の教えからいうならば、お釈迦様も入っておるんです。釈迦諸仏という言葉がありますから、お釈迦様も入っているんです。それが十七願の意味だというのが親鸞聖人の御了解です。

 そうしますと、行けという「たすけられまいらすべし」というおおせを信ずるのでしょう。信ずるのは「いずれの行もおよびがたき身」において信ずるわけでしょう。その信ずる私の姿が十八願。だから十七願は念仏です。大行です。十八願は信心です。それを具体的に、親鸞聖人は法然上人の教えを受ける自分の姿として十八願を受けとっておられるのです。親鸞聖人の教えをいただいてみると根拠がありまして、お配りした資料を見てください。

 

 「宗祖「信巻」別開の意義について」

   仏説無量寿経

    上巻 如来浄土の因果(法)

    下巻 衆生往生の因果(機)

 

 道綽禅師も善導大師も浄土の三部経を、よりどころにしておられるわけですけれども、言葉として「浄土三部経」とはじめておっしゃったのは法然上人なんです。しかし、この三人の高僧は三部経の中でも、とくに『観無量寿経』を中心に見ていかれます。本願の名号と書いて、本願の念仏と書いてないと以前お話をしました。なぜ本願の名号と書いてあるのかというと、それは南無阿弥陀仏ということだと。そして、そのよりどころとして『観無量寿経』の「下品下生」の、不善造悪の凡夫が、死に際して善知識の教えによって念仏申して救われたということが、そのよりどころになっているとお話ししました。それをよりどころにして念仏という教えがずっと伝承されている。それが『観無量寿経』中心のとらえ方です。しかし、『観無量寿経』のそういう人たちが救われていく根拠は、『大無量寿経』の四十八願にある。では、『大無量寿経』の四十八願のどこに根拠があるのかといったら、第十八願だと言われるのが善導大師や法然上人のお考えなのです。

  

上巻 第十八願

たとい我、仏を得んに 十方衆生 至心に信楽して我が国に生まれんと欲うて(信心)

乃至十念せん(称名) もし生まれずは(往生) 正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんおば除く   (至心信楽の願)

 

 これが第十八願の文章全部です。そのときに法然上人も善導大師も、みな四十八願はこの十八願におさまる。何故かというたら十八願には信心が説いてあります。そして称名が説いてあります。つまり、信心というのは南無阿弥陀仏申す、申す心の方です。どのような心で申すかということです。どんな心で申すかということをいうのに、十八願には「至心信楽欲生我国乃至十念」と。つまり、至心に信楽して我が国に生まれんと欲うて念仏申せというわけでしょう。十八願の中に全部入っているわけです。「至心に信楽して我が国に生まれんと欲うて(信心)」ですね。そして「乃至十念せん」と。つまり(称名・しょうみょう)ですね。南無阿弥陀仏です。だから、「もし生まれずは(往生)」、生まれなかったならば「正覚を取らじ。」取らないというわけですから、必ず往生せしめようと。こういうわけでしょう。だから、「信」と「行」と「証」が全部十八願に入っているわけです。これを根拠にして、『観無量寿経』の下品下生の不善造悪の凡夫の救いが誓われている。根拠が第十八願です。このように法然上人も善導大師も見ていかれた。浄土の三部経を法然上人も善導大師も、『観無量寿経』を中心に見て、念仏往生ということを勧められました。ところが親鸞聖人は『観無量寿経』と『阿弥陀経』は、これは方便だと言われるのです。それは

 

教行信証各巻標挙の文

浄土真実教文類 大無量寿経  真実の教           浄土真宗

浄土真実行文類 諸仏称名の願 浄土真実の行 選択本願の行 (第十七願)

浄土真実信文類 至心信楽の願 正定聚の機         (第十八願)

浄土真実証文類 必至滅度の願 難思議往生         (第十一願)

浄土真仏土文類 光明無量の願               (第十二願)

        寿命無量の願               (第十三願)

 

その次に『教行信証』には方便というところがあるのですね。それまでは真実のことを説いてある。

 

浄土方便化身土文類 至心発願の願  (第十九願)観経の意。

          至心回向の願  (第二十願)阿弥陀経の意。

 

三部経の中で『観無量寿経』と『阿弥陀経』は方便で、真実の経は『大無量寿経』だとおっしゃるのは親鸞聖人だけです。それは、どこから違いが出てくるのかといえば、信心の問題として十八願の信心と十九願と二十願の信心の違いから、真実と方便に分けて親鸞聖人は教えていかれます。 

 『大無量寿経』は上巻と下巻に分かれています。そして上巻は「如来浄土の因果」(法)と書いてあります。阿弥陀如来が法蔵菩薩の時にご苦労なさって、衆生のためのご修行をなさって、そして浄土を建立された。そして法蔵菩薩が阿弥陀仏になって、すべての者を救われる手立てができあがったということを説いてあるのが上巻です。それに対して下巻は「衆生往生の因果」と書いてあるでしょう。つまり上巻で誓われた通りに、我われ衆生が救われていく姿を説いてあるのが下巻です。だから「機」と書いてあるでしょう。だから、上巻と下巻は合わせ鏡のようになっているのです。上巻で誓われておったことが衆生の上に成就する。下巻を見たらその通りになっています。下巻で救われたということの根拠は上巻を見ればちゃんとわかる。こういうかたちで『大無量寿経』は説いておられる。だから『大無量寿経』が真実の経で、これによってすべては明らかになるのだというのが親鸞聖人の立場なんですね。そして、それを何によって、そうおっしゃったのかということがあるわけです。『大無量寿経』は上巻と下巻に分かれていて、上巻の四十八願は「因縁」と呼ばれます。つまり法の方ですね。「そうならせたい」という因です。ところが下巻は果です。そうしますと、例えば上巻の十八願で願われたとおりに下巻では成就している姿が説かれている。上巻の十七願で願われたとおりに、下巻では成就している姿が説かれている。そこに成就文というのがあるわけです。下巻を開きますと先ず、最初に第十一願成就文・第十七願成就文・第十八願成就文が説かれてあります。そこで第十七願成就文というのを読んでみます。

 

十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳の不可思議なることを讃嘆したまう。

 

と説かれてあります。「十方・じっぽう」はあらゆるという意味です。「恒沙・ごうじゃ」というのはガンジス河の砂という意味なんです。だから砂の数といったら無量無辺でしょう。だからガンジス河の砂の数ほどの諸仏如来が、みな共に無量寿仏、即ち阿弥陀仏の威神功徳の不可思議なるを讃嘆したもう。つまり、無量の諸仏に悉く我が名をほめられたいという十七願(因願)の願いが、その通りに成就していると下巻に説かれている。それが親鸞聖人からいったら目の前の事実なんです。本願というのは、いうならば法です。その通りに目の前の事実がなっている。「十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳の不可思議なることを讃嘆したまう」と。自ら南無阿弥陀仏申される人々に、南無阿弥陀仏申せと勧められているという事実を、誰の上に見たかというと、親鸞聖人は法然上人の上に見たのです。法然上人という人は単なる人間でないと。人間なんですけれども親鸞聖人から見るならば、十方恒沙の諸仏如来の代表なんです。諸仏の代表としてということは因縁ですね。「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と言われる。その「たまたま」です。聖覚法院の導きだったともいわれていますが、つまり六角堂の百日に参篭があって、九十五日の暁に聖徳太子の夢のお告げよって法然上人に会ったと言われています。それはどういうことかと言ったら、親鸞聖人が考えに考えてその結論に会うたんじゃないんですね。親鸞聖人が考えに考えて、迷いに迷って、そして法然上人に会ってみると、そういう会い方じゃないんですね。これは非常に大事なことです。

 だから親鸞聖人は、「いずれの行もおよびがたき身」だということは、二十九年修行したけれども結局得るものはなかったということでしょう。深い迷いでしょう。そのどん底で聖徳太子の夢の告げにあったと言われておるのですが、とにかく夢の告げに導かれて親鸞聖人は法然上人に会いに行った。極端にいいましたら、親鸞聖人は教えの上でノイローゼのようになっておられたと思いますね。迷いに迷うて、そこに夢の告げというのがどういうものであったかわかりませんけれども、法然上人に会う決心をされて会った。そういう絶対の出会いです。だから法然上人に会ったということは、たまたま人と人が逢ったというように親鸞聖人は受け取っておられないわけです。もしもこの方に遇うことがなかったならば、私の人生は空しく終わったということですね。念仏行者である親鸞聖人という人は、どこで生まれたかというたら、法然上人との出遇いで生まれたわけです。しかし、法然上人は「俺についてこい。救ってやる」とは言わないわけです。どういわれたかと言ったら、「阿弥陀仏に往けと。ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と言われたのです。十七願は、十方無量の無量の諸仏に褒められたいと言っているわけでしょう。そうしたら、その通りに、「十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃嘆」されている。それが成就でしょう。その姿を法然上人の上に親鸞聖人が見られたわけです。見た時の相が「十八願成就文」です。これが信心です。

正信偈 15-3

​正信偈に聞く

 15-3 

​平成21年6月26日

 親鸞聖人の教えの要は、『大無量寿経』下巻の第十八願成就文です。

 

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至十念せん。心を至し回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住す。唯五逆と誹謗正法とを除く。   (『大無量寿経』下巻 聖典P44)

 

そこで、「その名号」と書いてあります。これは第十七願成就の名号です。つまり、十方恒沙の諸仏如来が、みな共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したもうているわけです。その讃嘆されている名号を聞いて信心歓喜する。その信心の一念が「乃至一念」です。信心歓喜の一念が「乃至一念」です。それが『歎異抄』第二章には、私は法然上人から「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」と習った、それを真受けにするでしょう。真受けにするのが「その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至十念せん」です。そこで親鸞聖人はたすかったわけです。今まで迷いに迷っておった迷いが、そこで解消したんですね。それを『歎異抄』では、聖人の晩年に多くの弟子が、ああでもないこうでもないと迷っているわけです。親鸞聖人はいろいろおっしゃらない。「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と。これが親鸞聖人の原点なんです。

「十余ケ国の境を越えて」と。今なら新幹線に乗って来ればいいのですが、昔は歩いて来るわけですから、命がけで来ているわけです。「身命をかえりみずして」と言うわけですから、そうまでして来ている人にいい加減なことは言われないわけです。親鸞聖人が、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」とおっしゃったと、唯円坊は聞き取っておるのでしょう。『歎異抄』の第二章は非常に厳しいお言葉ですよ。

 

詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々。 歎異抄 聖典627

 

とおっしゃっているでしょう。極端にいったら突き放しておられるわけです。お念仏をお取りになろうと捨てられようと、あなた方のお計らいだと。親鸞においてはこれしかないのだと。そこには色んな事情があったろうと言われています。ある先生は善鸞の事件があっただろうと言われています。関東の教団には、親鸞聖人を慕っていた多くの弟子がいたわけですよ。真仏という人が代表ですが、現在の高田派の開基です。今は三重県の一身田(いっしんでん)にありますが、もともとは関東にありました。専修寺(せんじゅじ)という寺が後に今の三重に移ったわけです。また、東京に報恩寺という寺があります。あの坂東の報恩寺が『教行信証』の御草稿本を持っていたわけです。金庫の中に保管しておられたのですけれども、関東大震災の時に焼けて、表紙が傷んだものですから本山に寄付されました。報恩寺の開基は性信という人です。この人は、親鸞聖人が関東で一番信頼しておられたお弟子です。そういうお弟子が二十四輩といいますから、沢山お弟子がおられた中に、親鸞聖人のお考えで、若い善鸞が関東の教団に入って行きます。しかし、宗教体験からいっても、能力からいっても太刀打ちできん人が一杯いるわけですよ。はじめは親鸞聖人の息子さんだということで、みな大事にしたでしょうけれど、関東教団の中心になるようなことはできないわけです。だから無理をするわけです。嘘を言う。だから親鸞聖人は善鸞を義絶します。

  

往生極楽の大事をいいまどわして、ひたち・しもつけの念仏者をまどわし、おやにそらごとをいいつけたること、こころうきことなり。第十八の本願をば、しぼめるはなにたとえて、人ごとにみなすてまいらせたりときこゆること、まことにほうぼう(謗法)のとが、また五逆のつみをこのみて、人をそん(損)じまどわさるること、かなしきことなり。ことに、破僧罪(はそうざい)ともうすつみは、五逆のその一なり。親鸞にそらごとをもうしつけたるは、ちちをころすなり。五逆のその一なり。このことども、つたえきくこと、あさましさ、もうすかぎりなければ、いまは、おやということあるべからず、ことおもうことおもいきりたり。三宝・神明にもうしきりおわりぬ。かなしきことなり。・・・ (御消息捨遺 聖典P612)

 

今日より親と思わず。子とも思わずという義絶状がありますよ。それはどういうことかといったら、京都で夜、親鸞聖人と二人だけの時に、お前にだけ言っておくと言うて、父は本願を萎める花とおっしゃったと。これは誰にも言っていないと。このようなことを関東で言い出すわけです。そうすると、教団内で動揺が走りだし、中には真仏や性信のもとを離れて、善鸞についた弟子もおるんです。親鸞聖人は善鸞を義絶して、善鸞のいう事を否定します。だから善鸞は、その教団の人びとの中から離れて秘事法門になっています。これが親鸞聖人の長男さんです。ちょうどその時期が、『歎異抄』第二章にある、おのおの十余ケ国のさかいを越えてきた時期ではないかと。だから、そういう意味で言ったら親鸞聖人は必死ですよ。しかし、親鸞聖人は極めて冷静です。

 

詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々。

 

ここで、自分が曖昧なことを言うておったら、この人たちを迷わしてしまうと。だからどうおっしゃったかと、

 

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

 

何故かと言ったら、

 

そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

 

と仰っていられます。

そこに親鸞聖人の根本的な座りがあるわけです。それが親鸞聖人の根本的な体験ですよ。だから親鸞聖人は、お聖教を読んでいる内に、「これしかないのだ」となられたのではないのですね。親鸞聖人にとって比叡山二十年の修行を捨てしめたものは、一つは「いずれの行もおよびがたき身」ということと、もう一つは、二十九歳の春、六角堂を出て、法然上人にはじめて遇って「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細」はないと。法然上人自身が、十五歳から四十三歳まで比叡山にいた人でしょう。そして、本当に苦しみぬいた人でしょう。そして、最後に善導大師の教えを通して、念仏申して救われる道よりほかにないと。

「順彼仏願故(じゅんぴぶつがんこ)(彼の仏願に順ずるが故に)」と。これは善導大師の言葉ですが、これは南無阿弥陀仏と言って、その言った功徳でどうかなるという話ではないですよ。彼の仏願に順ずるが故にと。つまり、我が名を称えて来いという仰せなのですから。人間の問題は如来によって尽くしたと。五劫のあいだ思惟し、兆載永刧の修行によって、衆生の救われる道をはっきりさせたのだと。だからもう、私たち衆生が考えねばならんことは何もないわけです。何故かと言ったら、私の考えることは阿弥陀さんの方が尽くしてしまっているわけですから、尽くしてしまって六字のみ名を成就して、我が名を称えよと呼びかけてくださっておったんだと。だから、念仏申すということは「はい」ということでしょう。 

 つまり、如来様の本願の真に順うということが、念仏申すということだと。南無阿弥陀仏と念仏申してどうかなろうというのであれば、申すという事が手段になります。南無阿弥陀仏といっても何てなかばいということは、申すという事が手段になってますよ。手段ならば人間の計らいです。計らいだという事は計算だと。人間の分別というのは計算ですから、こうしておけばああなると。そう思ってしたのに、そうならんのは何故か。何の罰をかぶっとるか。それは皆人間の計らいです。人間の計らいで人間が苦しんでおるわけですから、そのことを尽くして、しかもその人間の救われる道はこれだと。それが南無阿弥陀仏です。そのことに法然上人が気づかれて、彼の仏願に順ずる以外に道はないと。それが「ただ念仏」という言葉になっているわけです。

そのことを親鸞聖人と法然上人は歳が四十も違いますけれども感応したわけです。法然上人と親鸞聖人との心が感応したわけでしょう。その時にはじめて親鸞聖人が南無阿弥陀仏と申すことができた。それを親鸞聖人は『大無量寿経』下巻の本願成就文に見ていかれたわけです。親鸞聖人の場合は体験が先です。そしてその上で、その事実はどういう意味をもっておるのかということを、今度は『大無量寿経』でずっと紐解いかれたわけです。そうして十八願成就文の上に、自分と法然上人との出遇いの意味を見出していかれたわけです。そして、

 

諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念。   『大無量寿経』聖典P44

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。

 

 つまり、名号のおいわれを、親鸞聖人は法然上人から習ったわけですが、名号を聞いて信心歓喜する。そういう深い道理があったのか。私の問題をすでに如来によっていい当てられておったと。それが私であったかと。そこにはじめて、自分の分別の世界を超えた世界に目が覚めたわけです。その心を「一念」とおさえられておるわけです。つまり、信心というのは、この一念を言っておるわけですね。

 

至心回向。願生彼国 即得往生 住不退転。  『大無量寿経』聖典P44

(至心に回向して、かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て、不退転に住す。)

 

と読むのが普通です。

 その名号を聞いて、信心歓喜して、乃至一念する。そして至心に回向して、その至心は衆生の方にある。衆生が一生懸命に、乃至一念の心を振り向けて、信心というのはこの世では救いはないということがはじめて分かったということです。人間の世界には救いはないということが分かったということです。だから、お浄土を願う。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住すると。こう読むのが普通です。また読むべきでしょう。ところが、親鸞聖人はあえてそう読まないで「乃至一念せん」で切られるわけです。そして、「至心に回向したまえり。」と、わざわざ読んでおられるんですね。「至心に回向して、かの国に生まれんと願ず」と読まないで、「至心に回向したまえり。」と読んでおられるんですね。「したまえり。」というのは敬語でしょう。つまり、如来の回向だと。親鸞聖人が信心は「如来回向の信心」とおっしゃる根拠なんです。ここで言われる「至心」は、衆生の至心ではなくて、如来の真実心。一切衆生を救わずにはおかんと願われる如来の真実心が、私に回向された。そして、私の「乃至一念」という信心になったと、親鸞聖人は受け取っておられます。

これは、以前お話ししました。うちの門徒に「南無阿弥陀仏は誰が発明されたかんも。」と聞かれて、私は考えたことがなかったから、ちょっと待ってくれと。そうしたらその人が、「親鸞聖人かな、しかし、お釈迦様が説いておられるのだから、お釈迦様が発明しなさったかな」と。これは非常に大事な問題です。南無阿弥陀仏は昔からインドにあるのでしょう。そこに深い意味を見出した人がお釈迦様です。そして、その深い意味を弥陀の本願というかたちで説いたのが『大無量寿経』です。それを具体的に、どういうかたちで歴史の上に現れてくるかということを説いてあるのが、『大無量寿経』下巻の十八願成就文です。親鸞聖人にそのことを教えてくれた人が法然上人です。法然上人に教えたのは善導大師。善導に教えた人は道綽禅師。道綽禅師に教えた人は曇鸞大師というかたちで『正信偈』には七高僧を上げておられます。そしてお釈迦様だと。しかしお釈迦様が、お釈迦様の思想を積み重ねて考えついたものではないのです。「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず」と。弥陀というのは法です。法というのは真理ですから、お釈迦様自身がその法の前に南無阿弥陀仏と頭を下げたんです。皆がなぜ苦しんでおるかというたら、この一点がはっきりしないから苦しむ。その一点というのは、人間というのは我執分別のところからしかものを考えきれない。これが人間の迷いの原点なんです。

 人間の歴史は我執分別の歴史です。その上に文化が作られてきたわけです。現在の文化で、私たちは人間の根本的な救いがあるとは思えないですね。これは、どんどんおかしくなっているのではないですか。しかも止まらない。現在、日本はアメリカ主義です。だけど経済中心の金が悪いのではないんです。これは、金に振り回されている人間自身の問題ですよ。人間自身を問うという。自己とは何かと問題を問う教えがないんです。しかし、阿弥陀如来というのは、向こうから来ている。どこまでも向こうから来ているわけです。私がどこで遇うかと言ったら、こちらの我執が破れねば遇ったことにならんのです。「いずれの行もおよびがたき身」のところで遇うわけですからね。だから、私の遇うところは、親鸞聖人でいうならば「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」です。有国智光(ありくにともみつ)さんの言葉でいうならば「宇宙的孤独」です。誰もたすけてくれん。こんな寂しい世界があっただろうかということ思ったという表現でしょう。社会的孤独と言った時は、私が何でこういう目にあわんならんかと、相手が向こうにおるわけです。不足をいう相手が向こうにおる。それは孤独ではない、本当の孤独じゃないです。

 私たちは社会的孤独のところから出られない。それを出さしめるものが向こうからのはたらきでしょう。しかし、私がどうかしようとしたって、私の力で私を持ち上げられんですよ。目は何でも見える、しかし目自身は見えない。手は何でも握れる、しかし手自身を握れない。例えば、力の強い相撲取りは、誰でも持ち上げられる。しかしどんなにその人が強くても、自分自身を持ち上げることはできない。それと同じです。我執分別でもって克服しようとしたってそれはできません。それをどう克服するかという物語として、お釈迦様は『大無量寿経』の中で説かれている。これは物語です。物語で真理を明らかにしようとしているわけです。そういうことを、私たちが自分自身の物語として受け取る場というのは、親鸞聖人の場合は「いずれの行もおよびがたき身」と、「親鸞一人がためなり」のところです。親鸞聖人は比叡山で二十年おられたでしょう。私たちは何も修行はしておりません。それどころじゃありませんよ。思い通りになるかならんかで文句をいっていますよ。便利が良いか悪いか。ある人は快か不快か、快であれば幸せ、不快であれば不幸せ。そうして徹底的に便利主義です。それを追求していくことで人間の夢の世界があるという。それは嘘でしょう。本当は誤魔化しでしょう。しかし、そういうかたちでしかものが考えられないというところに、人間の持っている世界があるわけです。それを超えるなんて簡単に行けるはずがない。そのことを照らすといういい方で十二光のところで勉強しましたけれども、それは浄土からのはたらきだと。それに触れる。ああそうであったかと、一念の信がたつのは「親鸞一人がためなりけり」と、「いずれの行もおよびがたき身なれば」と。こういうことでしょう。このことを、どこで私たちは受け取るのでしょうか。しかし、それを受け取らなければできんような社会に、人生になっていますよ、比叡山に上らなくても。

 例えば、親子の問題でも夫婦の問題でも、「何で私がこんな目にあわんならんだろうか」と。実はそこが大事でしょう。その時に社会的孤独といいますが、この人が、そういうところに止まったらダメでしょう。しかし、私たちはそこから出られないですよ。そういうものを超えてはたらく、それが「聞其名号信心歓喜」と。こういうかたちで親鸞聖人は教えておられます。だから、親鸞聖人は法然上人とあって、出遇いによって大きな転換があったということが、親鸞聖人の教えの原点になっております。そして、それが単なる親鸞聖人一人の体験ではなかった。実は深い根本的な大きな願いがはたらいておったんだということを、親鸞聖人が教えてくださっているのが十八願成就文の持っている意味でしょう。そういうことが本当に分かったということが「至心・信楽・欲生」ということなんです。それが十八願。そのことが、どうしても分からんというのが十九願・二十願の問題になって出てきておるわけです。罪福を信じ、如来の本願を信じられない、こういう問題があるのだということを申し上げて、ここから「至心信楽の願を因となす」という、つまり第十八願です。親鸞聖人が信心の願だということを、「至心信楽願為因」とおっしゃっておられる。これは、「本願名号正定業」と向き合う。そういう願なのだということを申し上げたかったわけでございます。今日は、親鸞聖人の教えの基本的な骨組みを申し上げたようなことでございます。

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