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​正信偈に聞く

 28-1 

​平成22年9月12

今日は「結誡・けっかい」というところに入ります。

 

弥陀仏本願念仏 弥陀仏の本願念仏は、

(阿弥陀仏の本願による念仏は、)

邪見教憍慢悪衆生 邪見驕慢の悪衆生、

(よこしまな考えや思い上がりの衆生にとって、)

信楽受持甚以難 信楽を受持すること、はなはだもって難(かた)し。

(信じて願って、それを保つことは、はなはだ困難である。)

難中之難無過斯 難の中の難、これに過ぎたるはなし。

(困難なことの中の困難で、これ以上の困難はない。)

 

   親鸞聖人は『正信偈』を「依経段・えきょうだん」と「依釈段・えしゃくだん」に分けてお説きになっておられます。経に依るということは、浄土の三部経でございますけれども、内容から言いますと『大無量寿経』の教えによって本願念仏のおいわれを明らかにしておられるところが「依経段」です。一番はじめに【総讃・そうさん】として「帰命無量寿如来・南無不可思議光」とございます。総讃というのは全てにかかっておるという意味です。讃というのは誉めるという意味でございますので、「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。」という、この一行が全体にかかりますから総讃といわれます。

   そして、その次が「依釈段」になるわけです。「依釈段」が弥陀章と釈迦章の二つに分かれます。依釈段というのは三国七高僧です。三国というのはインド・中国・日本です。親鸞聖人は、そこに七人の高僧をあげて、お釈迦様が説かれた教えを三国七祖によって伝統されて、今は私が「帰命無量寿如来・南無不可思議光」にならしていただきましたということをおっしゃっておられるわけです。ですから「釈」というのは七高僧の教えです。インドでは龍樹・天親、中国は曇鸞・道綽・善導、日本は源信・源空上人の教えを釈といっておられるのです。だから、経について述べられておる解釈という意味ですから、三国七高僧の教えは釈です。そしてお釈迦様の教え「経」は、弥陀の本願が説かれてある『大無量寿経』でございますので、内容は弥陀章と釈迦章になるわけです。今日は依経段の最後のところの結誡になります。

   お釈迦様は「如来(釈迦)、世に興出したまうゆえは、弥陀の本願海を説かんとなり」と。もちろんお釈迦様の教えには聖道門と浄土門があります。聖道門というのはお釈迦様と同じように出家して、そして一切を捨てて山に籠り、学問を重ね修行を重ねてお覚りを開いていく。お釈迦様のなさった通りにして、お釈迦様と同じ覚りを求めて仏教を実践していく教えを聖道門といっておるのです。これは選ばれた人の道なのです。しかもそれが時代が下がってくる。つまりお釈迦様がお亡くなりになって五百年、お釈迦様と同じように教えによって修行して覚りを開くことができたであろう時代、それを正法の時代というのです。しかし五百年が過ぎると像法の時代に入る。像というのは仏像の像ですから形ということです。教えはお経として残っておる。そしてその通りに修行はされる、しかし覚る人いない。だから教行があって証がないわけです。修行はしておりますから姿は残っておるわけです。像法千年と言われております。それを三国七祖にあてますと、インドの龍樹菩薩・天親菩薩、そして中国の曇鸞大師までは像法の人です。龍樹菩薩でさえ、お釈迦様が亡くなって七百年経って出てこられたのです。ということは、もう正法の時代ではないのです。

 

像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて

時期相応の法なれば 念仏門にぞいりたもう   正像末和讃 聖典P502

 

曇鸞大師までは像法の時代です。道綽禅師は、自分自身が末法の時代に入った時に生まれ合わせたという悲しみを、非常に強く持っておられます。道綽禅師から末法の時代です。法然上人は、今は末法の時代である、だからお釈迦様と同じように修行し覚りを開くということはもう不可能だと。像法の時代でさえ覚りは無理なのに、末法の世の中になったらお釈迦様と同じ覚りは開けない。だから時代相応の教えとして、お念仏の仏法がちゃんとお釈迦様の教えによって、浄土門として開かれてある。だから我われのようなものは浄土門の教えによって、お釈迦様のお心をいただくより他はないのだということを、法然上人は厳しくおっしゃっておられます。だから、その教えによって親鸞聖人は『正信偈』を作っておられるわけです。

 

如来所以興出世 唯説弥陀本願海

 

 つまり、釈迦如来がこの世にお出ましになった所以は、ただ弥陀の本願海を説かんがためであったと。そして、その本願念仏の仏法をいただいて、私たちは信心の利益を得るということを、今まで皆さんと一緒に勉強してまいりました。そして結誡で依経段が終わります。結誡というのは、総讃の弥陀章・釈迦章を結ぶ言葉です。「結」はむすぶ、「誡」はいましめるという字です。結ぶについて誡めるというかたちで結びにしてあるわけです。末法における我われのようなもののお救いにあずかる道は、本願念仏の仏法を信じ、念仏して浄土往生を願うより他に、我われのようなものの救われる道はない。そして、本願念仏の仏法をいただくならば、こういうご利益があるのだということを五つお述べになって、しかしと。どうしかしかというたら、

 

弥陀の本願念仏は、邪見憍慢の悪衆生、

信楽受持すること、はなはだもって難し。

難の中の難、これに過ぎたるはなし。

 

 そこに「易行難信」と書いてあります。親鸞聖人の仏法というものは「易行」行じ易(やす)いわけです。しかし「難信」である。確かに称え易き、持(たも)ち易き名号をいただいて、浄土往生を願う道でありますから、正しく易行でございます。末法における我われ凡夫に相応した教えでございます。易行というのは法です。つまり法としては易行なのです。しかし、法を受ける機(凡夫)の問題があるのです。つまり難信です。易行ではあるけれども、これは信じがたい教えだと。こういうことを親鸞聖人がおっしゃって、そして、そのことを私たちに特に心せねばならないと。結誡でございますから、結んでみ私たちに誡めておってくださるわけです。

 

  • 「本願念仏」 阿弥陀如来より回向された念仏。

 

   阿弥陀如来から我われのために回向されたお念仏です。単なる念仏ではありません。阿弥陀如来の本願によって成就され、そして我われのために回向してくださった法、浄土往生の法のまことがお念仏です。だから、阿弥陀仏の本願による念仏、つまり「阿弥陀如来より回向された念仏」と。だから他力です、他力回向です。一切は如来によって成就されておる。阿弥陀如来が、我われ衆生をご覧になって、そして我われ衆生が限りなく三悪道を経めぐることを大悲され、そして、どうにかしてその人間を救おうとして本願を建てられた。だから、度々申しておりますように、単なる本願でなくて「誓願」誓いです。もしも念仏の衆生が救われることがなかったならば、私は仏になりませんと誓って「設我得仏」と言って、いちいちの本願の内容が説かれて、最後に「不取正覚」となっています。「たとい我、仏を得んに」と。つまり私(法蔵菩薩)が、まだ仏になっていないわけです。仏のさとりを得てもということです。この願が成就しないならば、私は正覚を取らないと。正覚のことをさとりというわけですから、取らないということは、つまり私は仏になれないということです。たとえ私が仏になりましても、衆生が仏にならないならば、私は仏と言えないわけです。そうならせようとして願を建てたのですから、その内容が成就しなかったら私の正覚は正覚ではないといわれるわけです。それが法蔵菩薩の衆生に対する誓いです。ところが私たちは、如来様とそういうことを誓った覚えはありませんが、如来様の方が誓っておられるわけです。だから、単なる本願といわないで誓願、つまり約束です。だから『歎異抄』に、

 

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。 『歎異抄』 聖典P626

 

   そこに「誓願」という言葉が使われております。如来の方は私たちを放っておけない、なぜなら如来様が如来様になれないからです。昔のお説教では親と子の譬えでいわれました。つまり、子供がたすかってくれなかったならば親が親になれないという言い方です。今はそういう親がだんだん減ってきておるような気がします。どんなに親が安楽しておったって、子供が苦しんでおるならば親は親になれんということです。それを世間の譬えとして親子の関係で昔のお説教はしておられまして、それを同行は涙を流して聞いておられました。今は変わってきました。男と女が寝れば子供が生まれます。しかし親になってない親が増えてきているわけでしょう。虐待とか殺してしまったというような人があまりにも多すぎます。ということは、男と女であるけれども親になっていない。だから阿弥陀如来は、仏になったことにはならない言われるわけです。だから誓願といわれるわけでしょう。つまり、我われ衆生の世間的な知恵でもっては量れない広大な如来様のまことの誓いであり、我われに対する大きなお計らいなのです。しかし、我われの方は全然そういう如来様の大きなまことをいただくような心はないわけです。自分の小さな知恵を頼んで生きている。そのために名号不思議、誓願不思議という如来の大きな不思議を受け取ることができないわけでしょう。ただ受け取ることができないというのでなくて、「邪見憍慢の悪衆生・信楽受持すること、はなはだもって難し」と。易行難信です。

 それほどの易しい本願他力の教えならば誰でもたすかる。そうであるにも関われず、それが難信であるということは、何か邪魔しているものが如来の方にあるのではないのです。こちらの方にあるのです。じゃあどういう心が、どういう在り方が邪魔をしておるのかというとを、ここでは「邪見憍慢の悪衆生」と、こういうように親鸞聖人はおっしゃっておられるのです。

正信偈 28ー2

​正信偈に聞く

 28-2 

​平成22年9月12日

古田先生は、邪見(じゃけん)ということを詳しく書いておられるのですが、

 

➁邪見 誰にもあるよこしまな見方。 五見(誤った五つの見解)の一つ。

 

「見」というのは見解ということですから、ものの見方ということです。それを「邪」と書いてあります。だから「邪」というのは「正」に対する言葉。仏教では正しい見方を「正見・しょうけん」といいます。因果に基づく、因果を信ずる心が正見、それを認めないのを邪見と、こういうように言っています。「五見(誤った五つの見解)の一つ。」ということが邪見の解釈になっております。

 

五見)

有身見 我見  「我」が実在するとする考え。

我所見 「我」が実在するとこだわる考え。

辺 見 かたよったことにとらわれる考え。

    常見  (有見)「我」は死後も実在するという見方。

    断見  (無見)「我」は死後に断滅するという見方。

邪 見 道理(とくに縁起)を否定する見解。

    見取見 誤った考えを真実だと言い張ること。

    戒取見 正しくない戒律を正しいと言い張ること。

 

③「憍慢」 「憍」自分のことについて自らおごり高ぶること(自信)。

      「慢」多と比較しておごり高ぶり他を軽蔑すること(自負)。

 

「憍慢・きょうまん」というのが熟語になっておりますが、憍と慢は幾分意味が違います。憍というのは(自信)と書いてありますが、自分自身を思いあがる、そういう考えが憍です。我より偉い者はいないというのが憍だと。慢というのは比較の論理といいます。あの人より私が上という、慢といった場合には誰かを向こうにおいて、あれより私が上という考え方、それが慢と。それで憍慢といいますけれども、正確に言えば憍と慢は少し違うのです。憍は自信、慢は自負と書いてありますが、共に高ぶった心です。

 「邪見」というのは「道理(とくに縁起)を否定する見解。」とあります。縁起というのは依って在るということです。俺が俺がといっておりますけれども、本当は俺がというものは思いがあるだけで現実はないのです。無いということは、私がこうして在るということは、どれだけ多くの縁(条件とか環境という意味)に支えられて、私というものが在るか分からないわけです。父母を縁としてこの世の中に出てきて、そうして何十年かこの世の中を生きてきますが、俺の力で生きられることなんて何もないんです。私が私として生きておるのですが、その私が私として生きるについては、どれだけ多くのものに支えられ、支えられてということは単なる思いではなく事実です。人間一人では生きられません。現実に食べるものから着るものから、あらゆるもの、そして天地の恵み、空気の一つにとっても、水一つとっても、あらゆるものは私に作ったものは何もないわけですが、そういうものはあるものとして当然にしているわけです。

 その恵みの中で我を立てる。何でも我より偉いものはないと、私たちは思いあがってしまう。思いあがってしまうと、本当は見えなければならんものが見えないということになってしまいます。それが邪見の本質です。見えないものにしているのが我です、それが邪見です。とにかく我われは物心ついた時から「俺が」というものが自分の中に芽生えてくる。そして我執、執われの心があるために、今度は人と比べていく。そして上だ、下だといわねばなりません。うまくいけば思いあがってしまう。しかし、自分より偉いものはないという心になってはいかんと分かっています。道理として話をすれば、みんなお陰だと口にはいうのですけれども、口でいうほど思っていないといいますか、我われには何かそういうものがあります。

 高史明さんは在日朝鮮人の方です。「ぼくは12歳」という本を出されてベストセラーになりましたが、子供さんが12歳の時に自死されます。高さんは作家でございますけれども、その方が子供を自死させてしまった苦悩のどん底で、親鸞聖人の教えに遇われて、そして親鸞聖人の教えを深くいただかれるようになられた方です。その頃のことを子供さん自身の書かれた詩を交えて一冊の本にされたものが「ぼくは12歳」という書物です。その高さんの本を読んでおりましたら、高さんの甥御さんですから、お兄さんの子供さんです。その甥御さんは正月恒例の箱根駅伝で早稲田大学のマラソンの選手として走るようなスポーツマンだそうです。ある時高さんのお兄さんの家に集まって酒盛りをしていたら、その甥御さんが高さんに論議を仕掛けてきた。

 「伯父さんは他力・他力というけれど、自分は今大学でマラソンをしている。そうすると本当に苦しい中に走っていたら何キロも体重が減る過酷なスポーツで、誰も代わってもらえない。自分がゴールまで走り続けなければならない。そして一生懸命自分が努力しても簡単に記録は伸びない、そして苦労して走っている。だから、自分の力以外に誰にも頼れるものはないし、そしてそこにまた喜びもある。だから伯父さんが他力・他力といわれるが納得がいかない。この世の中で他力ということをいっていたら生きていかれない。みんな自力だ」と、その甥御さんが言われたそうです。それを高さんが聞いて、敢えてそれに対してとやかく言わないで、そうかそうかといったと。ところが今度は一二年して、また甥御さんと会って、またそういう話をする機会があったそうです。そうしたら甥御さんが高さんに「私は何年か前に、伯父さんに他力ということについて納得できんといって批判をした。しかし、この頃少し伯父さんの言うことが分かってきた。」といわれたそうです。そうしたら高さんが「どのように分かってきたのか」と聞いたら、「確かにマラソンは自分で走るしかない。だから自分が一生懸命走っていくしかないのだけれども、成績を残すために監督とかコーチの力によらなければならないところがある。そういう人たちのアドバイスというのは非常に大きい。それから競争相手ではあるけれども、友達であるという関係の人が何人もいる。そういう者同士がいろいろ苦労を語ったり、注意し合ったりすることによって、自分の成績が上がったり、そしてまた勇気を与えられたりすることもある。そして箱根駅伝を走っていると、自分とは直接関係のない観客の人たちが手を振り、旗を振って頑張れ、頑張れと応援してくれる。そうするとやっぱり勇気が与えられる。ただ自分だけで走っておれば苦しい時は、何でこんなことをしなきゃならんのかという思いが人間にはある。ところがみんなが応援してくれると本当に一生懸命頑張れる。そういうことを考えるようになって、他力ということがだんだんわかってきだした。人間は確かに自分が走って、自分の努力によるのだけれども、しかし、どれだけ大きなものに支えられて生きていることか、これは有難いことだ。伯父さんが「他力が大事だ」といわれたことは、こういうことだったのかとこの頃思う。」ということを言われたそうです。これはなかなかいい話だと思って読んでいたのですが、そうしたら高さんが「それも自力だ」と言ったという話なのです。それがこの話の落ちなのです。それも自力だといわれて、伯父さんが他力・他力といっておられるのはどういうことを言っておられるかが分からんようになってしまったという、こういう言葉のやり取りがあったということが本に書いてありました。

 「邪見憍慢悪衆生」というのは普通の人間なのです。我われのことを言ってあるのです。邪見憍慢の人がどこかにおって、そういう人間は如来様のご本願は信じられないのだというのではなくて、我われの別名だと。ある先生が「邪見憍慢悪衆生」は、我われの別名だといっておられますが、実は我われのことなんです。今の高さんの話でいいますと、確かに甥御さんの言う通りなのです。そしてそこまでは我われも、特に歳を取ると感じます。やはり一人では生きられんと、だからお陰様ということは感じなければならんし、そして子供や孫にやっぱりそういうことを言います。「自分一人で生きておると思っておるけれども、また自分の努力や頑張りだけで生きておると思っておるけれども、みんなに支えられておるということを忘れてはいかん。世の中のご恩ということを忘れてはいかん。」といいます。またそれは押しつけではないのです。その親なり年寄りが思っておるから言っておるわけです。別の言い方をすれば反省が入っているわけです。若い時はそういうことは思わなかったという反省が入っておるわけです。だから、今度は若い人を見て「そうじゃないぞ」というということは、自戒の念という言葉がありますが、自らを戒める。やっぱり歳を取るとそういうことを思うのです。しかし、そう思うことと、それになり切ったということは違います。むしろそうなれないといいますか、いつも俺が俺がというものを通して、しかも見えていなかった。だからどれだけ多くの人に背を向け踏みつけてきたことかと、反省といいますか、悲しみといいますか、そういうものが言わせておるわけです。

 親が子供にいう時に、子供は必ず分かっているといいます。実は分かっているといっておるときは分かってないのです。酒を飲んで酔っ払っている人に限って、俺はまだ酔っぱらってないと言うそうです。俺は酔っぱらったという人は大丈夫だそうです。そういう意味でいえば日本語は逆さまになっております。親が子供に分かっておるかと言ったら、分かっておるというのです。しかし、本当は分かっていないことを親はわかっているのです。何時かは分かるときがくると思うから親は言っているわけです。それは何故かというたら、自分の反省が入っているわけです。自分の悲しみが入っているわけです。分かっているということはどういうことか、分かっていないということが解っているということです。日本語は逆さまになっているのです。本当は何も分かっていなかったということが解ったということです。だからこの「邪見憍慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもって難し。難の中の難、これに過ぎたるはなし」とおっしゃる。いかに人間の疑いの心深いことか。

正信偈 28-3

​正信偈に聞く

 28-3 

​平成22年9月12日

 疑いの心のもとは我執の心です。「わが身をたのみ、わが心をたのむ」と言われます。それを、蓮如上人は「自力のこころをふりすてて、一心に弥陀たのむ」と表現されます。親鸞聖人は「自力のこころ」という表現はないのです。蓮如上人は「自力のこころ」といわれます、というのは親鸞聖人は自力という言葉は使われます。しかし、親鸞聖人が自力とおっしゃる時には、聖道門と浄土門との関係で使われます。浄土門以外には救いはないのだといい続けた人が法然上人ですから、それを背景にして、法然上人の本当の心を明らかにしようとしたのが親鸞聖人の『教行信証』という書物だといわれております。

 親鸞聖人が自力という言葉を使われる時は、必ず聖道門と浄土門との対比の中で自力という言葉を使われます。蓮如上人の時代になりますと、自力のこころと言われるのです。だからもう蓮如上人の時には、みなお念仏になっているわけです。親鸞聖人からいえば百五十年も後の人ですから、蓮如上人にご縁のある人はお念仏しておるのです。だから他の修行をしている者は、蓮如上人のところには来ないわけです。蓮如上人のところに来ている人は、お念仏の教えを聞いて、念仏の教えを信じているわけです。だから蓮如上人は自力聖道門と浄土門との対比でものは言っていないのです。念仏しながら自力のこころがとれないという、こういうかたちで蓮如上人はおっしゃっています。だから「自力のこころをふりすてて」とおっしゃいます。自力のこころというのが、ここでいうならば「邪見憍慢のこころ」です。口では念仏し、如来様に依りながら実は依ってはいない。本当に如来をたのむこころがないということです。じゃあ、如来様に依らねばたすからんということが解っておらないのかといったら、分かっているのです。分かっているけれども依らないのです。依らない心は何なのかいうことを、ここでは「邪見憍慢」という言い方で親鸞聖人がおっしゃっておられるというのが、ここのところの要です。

 

邪見 道理(とくに縁起)を否定する見解。

 

 そして憍慢は高ぶる心です。ですから、どちらもわが身をたのむ心なのです。「親鸞聖人血脈文集・しんらんしょうにんけつみゃくもんじゅう」には、

 

自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、余の仏号を称念し、余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。 聖典P594

 

というお言葉があります。「俺が」という心がいつ始まったかは分かりません。藤代先生は人間に生れて32カ月とおっしゃっていましたが、つまり三歳になる前になります。毎月、保育園の先生がお話を聞いてくださる会がありまして、それにもう10年近く行っております。その会は保育の先生だけではなくて一般の方もおられますが、保育の先生が十人ぐらいおられるでしょうか、そういう先生方と話しております。今の保育園というのは生まれて間もない子供から預かるそうです。そこで専門の先生を子供の年齢によって分けて分担しておるわけです。座談会の時に、人間の我執の心は、人間らしいといってもいいのですけれども、何歳ぐらいに起きるのだろうかと思って聞いてみたら、みな三歳くらいと言われます。三歳ぐらいになると大人の心が出てきます、そうすると屈折してくる。そこのところを読み取らねばならんことがはじまります。その前は癇癪を起こしても単純というわけです。何も屈折した心がないから単純だというわけです。その前は善いも悪いもない。ところがやはり三歳ぐらいと言われました。その頃から我執がはじまるのでしょう。それが、ずっと命ある限り引っ張るわけです。それが物事を判断させていくわけです。その心が如来の心を否定するといいますか、仏法の教えを聞きながら背を向けていく。こういう在り方をここで言ってあるわけです。「信楽受持することはなはだもって難く、難中の難、これに過ぎたるはなし」と、丁寧な言い方です。

 凡夫は邪見の衆生であります。正しい道理を知る智慧の無い凡夫の知恵は、道理を邪に見るのです。ものを分別する心でありますが、その知恵が常に邪であるから因果を信じないのです。善を善とせず悪を悪とせず、善も悪も分別がなく、ただ貪欲・瞋恚の動くままに動いておるので、罪ということを考えたことがなく、業報ということも考えたことがなく、罪悪を無視して業報を無視して暮らしているのです。ですから、本願大悲の思し召しを聞き開き、念仏往生の法を聞いても信じることができないのであります。因果の道理というものが分かり、自力ではたすかる能力がない自分と知れれば、弥陀仏の本願を信じて念仏する身となるのであります。ところが因果の道理を明らかにせず、自分の小さな知恵で勝手気ままな考えや行動をしているのです。ですから他力本願を信ずることができないのです。若いものは若さを威張り、学問はないが力が強いとか、強健ではないが財産があるとか、名誉があるとか、今はだめでも将来が立派の者になるに違いないとか、もとは自分というものを根強くかいかぶっておるのです。だから他人を侮っている心であり、高ぶっている心、おのれをたのみ、自分を高ぶっていこうとする心です。

 しかし、こういう心はみんなの心です。何もない時は、口でうまいこと言います。「お互い助け合っていかねばなりませんよ」とか、「お互い御恩の中で生きておるのですから」と、それは嘘ではないのです。人間の知恵で、それは分別しておりますが、本当に自分がどこを拠り所にしておるかといったら、やっぱり根強く自我のこころというものをよりどころにして、我が身をたのみ、我が心をたのむ。その心が如来の本願を信じなくしておる。だから、もしも如来の本願を信ずるということは、そうでしかない私を見通して、如来がその私の救われなさを大悲して、そこに本願を建て名号を成就して、我が名を称えよと呼びかけておってくださったのだと。如来の本願に目が覚めた時、救われようのない我が身であったと、本当に恐ろしい心を持ちながら、恐ろしい心を恐ろしいとも知らずに、そして人を押しのけて生きて来た私であったと、はじめて私は気づかせていただくのです。だから、人間は人間に頭が下がらないと思います。如来は何処までも私を大悲し、私が念仏申して如来の前に手をつく。そういう私になることを待ち続けておってくださる。そういうところに如来の本願というものがあるということを思います。

 この間もここで話しましたが、認知症になった親に対して、早く死んでくれればいいと思ったという、あるご婦人の方のものを読んで、皆様にお味あいをいただきましたけれども、今日あるのは親のお陰だと、親がいなければ今日の自分はないと分かっています。しかし、その分かっいるということと、認知症の親が自分の前で、そして自分の思いとか考えではどうすることもできないかたちで、そこに親がいればもう私自身は悶えます。これが理屈ではない、悶えるわけです。そして早く死んで欲しいと、そういうことを思った。そのことを悪とも思わなかった。むしろお母さんが亡くなった時に、ヤレヤレと兄弟で言ったということでした。そこに寺の住職から弔電が来て、「老いた身をひっさげて、あなた方の心の中に潜んでおる地獄を抉り出した仏様ではなかったのか。」という弔電を読んで、はじめはびっくりしたということを、先々月でしたか、ここで一緒にご縁にあずかりましたけれども、何か私たちが仏法を聞けば少しでもどうかなるといいますか、またいい人間になるために聞くと思っている。それは私たちの分別で当然といえば当然ですけれども、しかし本願の教えによって、今まで知らなかった自分が知らされる。それも救われようのない深い私の暗さ、闇というものをむしろ照らし出される。しかし、照らしでしてくださった真に遇って、はじめて本当の私の安心なり喜びがあるということに気づかされていく。そういう一つの屈折した矛盾です。矛盾が矛盾のままで救われていくといいますか、そういう本願他力の仏法の難しさ。しかし、その大切さというものを最後のところで、親鸞聖人が注意しておってくださるわけです。結誡と注意しておってくださることが、実は非常に大切だと思います。

 何か私たちは、有難いといいますが、本願の教えをずっと聞いて、いかにもいい教えに遇わせていただいた。そして、やがて私たちは、今ははっきりしていないけれども、だんだんとはっきりして、救われていくだろうと漠然と考えがちですけれども、ここで「難中の難、これに過ぎたるはなし」と「易行難信・いぎょうなんしん」ということを、最後の締めくくりのところで、非常に厳しいかたちで注意しておってくださる。しかし、それはそのまま親鸞聖人のご自身の述懐でしょう。私たちに対して、一方的にここが危ないぞとおっしゃっておられるようにも見えますけれども、それは親鸞聖人ご自身の御述懐というものが、こういうかたちで表されておるのだということを、改めて頂き直していかなければならないことであろうということを思うわけでございます。今日はここで終わります。

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