正信偈に聞く
4-1
平成20年7月23日
先月は『正信念仏偈』の表題について皆さんと一緒に勉強してきたわけであります。今日は3頁の 正信偈の構成 というところでございます。
1 総讃 帰敬(仏を讃え聖人の信心を明らかにされた部分) 帰命無量寿如来~
総讃というのは、総じてほめるという意味です。帰敬(仏を讃え聖人の信心を明らかにされた部分)と書いてありまして、それは「帰命無量寿如来 南無不可思議光」という二句が総讃になるわけでございます。これは正信偈全体にかかります。次に依経段(えきょうだん)でございます。
2 依経段(『大無量寿経』に依って述べられた部分)
2―1 弥陀章(阿弥陀如来について述べられた部分) 法蔵菩薩因位時~
2-2 釈迦章(釈迦の教えについて述べた部分) 如来所以興出世~
2-3 結誡(「依経段」の結び) 弥陀仏本願念仏~
依経段というのは、お経に依っている段という意味でございます。お経というのは、お釈迦様の教えという意味です。具体的には(『大無量寿経』に依って述べられた部分)という意味でございます。それをさらに、弥陀章、釈迦章、結誡、結んで誡めると三つに分けてあるわけです。それが、『大無量寿経』に依って本願念仏のおいわれをお述べになっておるところでございます。次に依釈段です。
3 依釈段(念仏の教えについての七高僧の解釈を讃えた部分)
3―1 総讃(全体的に讃えた言葉) 印度西天之論家~
3―2 龍樹章(インドの龍樹大士を讃えた部分) 釈迦如来楞伽山~
3―3 天親章(インドの天親菩薩を讃えた部分) 天親菩薩造論説~
3―4 曇鸞章(中国の曇鸞大師を讃えた部分) 本師曇鸞梁天子~
3―5 道綽章(中国の道綽禅師を讃えた部分) 道綽決聖道難証~
3―6 善導章(中国の善導大師を讃えた部分) 善導独明仏正意~
3―7 源信章(日本の源信和尚を讃えた部分) 源信広開一代教~
3―8 源空章(日本の源空(法然)上人を讃えた部分) 本師源空明仏教~
3―9 結勧(「依釈段」の結び) 弘経大士宗師等~
「釈」は「経」に対する言葉でございますから、経に依って本願念仏のおいわれを書かれた部分(釈)という意味でございます。この釈というのは七高僧の教えでございます。つまり、お経に依られお経を通して、それぞれの高僧が信心のよろこびを述べられておるのが、七高僧の教えでございますから「釈」という言葉が使われておるわけです。その最初に、七高僧の全体について述べておるのが「総讃」です。そして、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空と七人の高僧が出てくるわけですね。そして最後に「結勧」、結んで勧めると。それが「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」という最後の四句。依経段の結びでございます。全体をそのように分けてございます。
『正信偈』は、私たち真宗門徒は小さい時から家庭でみんなで、朝晩のお勤めをすることが習慣になっておりました。私もそうして育てられましたが、しかし、お坊さんになるまでは正信偈にはどういうことが書かれてあるかということは、正直言って分かりませんでした。私の父は二十七歳で亡くなりました。私が二歳、母は二十六歳の時です。家には祖父がおりました。その祖父は非常に厳しい人でしたから、お勤めは家族一緒にしておりました。しかし、私は「法蔵菩薩因位時・・・」と朝夕のお勤めをしながら、たぶん死んだ父がどこかで喜んでくれているだろうなあというような感じはずっとあったように思います。ただ中学生になりますと、仏教は分かりませんけれども「邪見驕慢悪衆生」と。ずいぶん厳しい言葉が述べてあるんだなというようなことは思ったりしたことはありますけれども、それを手掛かりにして自分の人生を問うというような、そういうものは私にはありませんでした。だから、やっぱり亡くなった人のために仏教はあるんだろうと思っておりました。だから祝い事は神様、悔やみ事は仏さまという、何となくそういう思いは、私にはあったと思いますけれども、ご縁があって藤解照海という人に遇ったもんですから、こういう道に入ってから、少しずつ教えていただいて分かりだしたということですけれども、これは大変な書物なんですね。それを仏教について何も知らん庶民が、ともかく習慣のようなかたちであれお勤めするということは、大変なことが行われているんだということを思いますし、このことは蓮如上人の時からはじまったということは、これまで詳しくお話いたしました。だから、そういう意味で、この内容を古田先生はこのテキストに纏めておられますから、そのことをまず頭に入れておいていただきたいと思います。
正信偈というのは、まず「総讃」があって、次に「依経段」があり「依釈段」があるのだと。「依釈段」というのは『大無量寿経』の教えにもとづいて本願念仏のおいわれが明らかにされた。「依釈段」というのは、三国(インド・中国・日本)で七人の高僧が出てくださって、経のこころをそれぞれ述べて、それを人々に伝えられた。その教えの流れの中で親鸞聖人は法然上人に遇われた。お釈迦様がおられても、七高僧がおられなかったならば念仏の教えは伝わらなかったでしょうし、また七高僧がおられるということは、お釈迦様がそのもとになっている。そして、そのお釈迦様の根本に弥陀の本願があるわけです。具体的には、法然上人の教えの背景に念仏の伝統の歴史がある。その念仏の伝統の歴史に、いま参加させていただいた喜びを親鸞聖人は述べていらっしゃるのが、この『正信偈』だということをたびたび申しております。そのことを、全体を見ていく時に、この構成といわれる部分は大切でございますから、これをまず皆さん頭の中に入れておいていただきたいと思います。次に、
4 『正信偈』(『正信念仏偈』)
(1総讃 帰敬)
帰命無量寿如来 無量寿如来に帰依し、
無量寿如来(阿弥陀仏)に信順いたします。
南無不可思議光 不可思議光に南無したてまつる。
不可思議光(阿弥陀仏)に信順いたします。
と書いてあります。「帰命無量寿如来」これは漢文です。「無量寿如来に帰命し、」これは述べ書きですね。『教行信証』は漢文で書いてあるわけですから、『正信偈』も漢文で書いてあります。だから、「帰命無量寿如来」は原文、それを述べ書きしたのが「無量寿如来に帰命し、」。そして、意味が書いてあります。(無量寿如来(阿弥陀仏)に信順いたします)と古田先生は意味を書いていらっしゃいます。そして次が「南無不可思議光」となっておりまして、不可思議光に南無したてまつると。そして次に(不可思議光(阿弥陀仏)に信順いたします)と、」こういうふうにテキストには書いてあります。その次に語句の意味が書いてあります。
(1)「帰命」と「南無」
つまり、帰命無量寿如来の「帰命」と、南無不可思議光の「南無」です。
「帰命」は、サンスクリット語(梵語)のナマスの訳。「信順」とか「敬礼・きょうらい」などを意味する。心から信じて敬い順うこと、そして、「よりどころ」とすること。ナマスは、また「南無」と音写される。
こういうように書いてあります。「帰命」はサンスクリット語、または梵語ともいいますが、インドの古い言葉です。現在のインドの言葉とは違うそうです。現在のインドの言葉のもとになっている言葉をサンスクリット語といっております。それを中国語におきなおして梵語と言っています。インドでおこった仏教が中央アジアを通って中国に来た。中国で仏教は非常に栄えましたから、インドの言葉サンスクリット語で書かれていたお釈迦様のお経が翻訳されて漢文になりました。中国で漢文になったお経が、朝鮮半島を経由して日本に伝わって来たのです。
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正信偈に聞く
4-2
平成20年7月23日
日本人は、文字をつくらなかった国ですから、中国から文字をもらってきて、それをもって言葉を表記するということをしてきました。そして日本は漢字を崩して仮名文字をつくりました。ひらがな、カタカナは漢字を日本人が工夫したものです。
最近チベット問題が起きた時に新聞を見ておりましたら、いま中国は民族が53もある多民族国家だそうです。人口は13億だそうです。日本の十倍以上です。そのうちの92パーセントが漢民族だそうです。53も民族がおるというけれども漢民族が大部分なんですね。後52民族が8パーセントになるわけですね。だから、漢民族が一番中心です。それが中国です。その漢民族が発明して、漢民族が使っている文字だから、日本人は漢字と言っているわけです。親鸞聖人の時代は、公の書物を書くときは漢文で書かなければ通用しなかったでしょう。だから親鸞聖人の著書には仮名文字の文章で書かれたものもたくさんありますが、公にする意味で書かれた書物は全部漢文で書いてあります。『教行信証』は、親鸞聖人が浄土真宗を明らかになさるために、心血をそそがれた立教開宗の著書ですから、当然漢文でございます。
「「帰命」はサンスクリット語のナマスの訳」ナマスが南無になったんですね。ナマスが「信順」とか「敬礼」などを意味する。心から信じて敬い順うこと。そしてよりどころとする。この「よりどころとする」ということがとても大事ですね。ナマスは南無と音写する。ナマスというインドの言葉を「南無・ナム」と音を合わせているんです。南(みなみ)という字には意味がないんです。意味で書いた文が「帰命」です。南無が音なのです。それが重なっているわけです。だから、親鸞聖人が帰命無量寿如来とおっしゃっている。帰命は意味で書いてあります。そして南無不可思議光の南無は音訳を使っておられるわけです。そして南無阿弥陀仏の南無も音訳を使っておられるわけです。「帰命」という意味を、同じ法然上人の教えを受けられた流れの中で、現在は浄土宗といっておりますけれども、浄土宗の人の中には、「帰命」は意訳ですから「命に帰る」と読めるでしょう。だから命に帰るという意味で解釈しておられる書物もあるようですね。その方が漢字としては素直ですね。命というのは「如来のいのち」だと。そのいのちに帰っていく。帰るという意味は、故郷に帰るというような表現は親鸞聖人にもあります。我われは迷いの世界に迷い出てきてしまっている。そして迷っていることを忘れている。それを本来のいのちの世界に帰そうというはたらきが阿弥陀如来のはたらきなのだと、そのはたらきに私たちが依っていく。つまり、いのちに帰るという意味が帰命という、中国の人が意訳してくれた意味だと。こういうような解釈をしておられるのが浄土宗の人には多いそうです。
親鸞聖人はそういういいかたでは教えておられません。むしろ「命」という字は、命令という。計らいを棄ててひとえにそれに依っていくという意味です。帰るという意味は人間の計らい。そういう自力の心をふり捨ててひとえにそれに依っていくという意味。如来のいのちが私の上にはたらいておるというよりも、親鸞聖人の場合は「命」は命令。つまり南無阿弥陀仏は呼び声だと。私たちに「我が名を称えて、我が国に来い」と呼んでおられるという意味ですね。そのおおせに順うという意味が帰命であると訳しておられるのが親鸞聖人には大部分です。だから「本願召喚の勅命」というような言葉が親鸞聖人にはあります。具体的には南無阿弥陀仏です。勅命というのは絶対の命令という表現をされておられます。
先月、「観想の念仏」ということを言いました。いのちに帰るという解釈には観念的なものが感じられます。そうじゃないんだと。「ただ称えよというおおせ」だということを先月話しました。これは非常に大事なんです。私たちは徹底的に自己中心でものを考えるわけですから、俺が俺がといっている。その深いところにはたらいてくださる如来の呼び声によって、こちらの方が呼び覚まされる。そういう捉え方が親鸞聖人には強いです。だから、いのちに帰るというと、何か自分も帰らんとならんという、ひとつの観念的なものがはたらくでしょう。しかし、そういうことでなくて、呼ばれておるという、そういう味わいの違いともいえますけれども、『仏説観無量寿経』の「下品下生」の教えとの関係があると思います。親鸞聖人はいのちに帰るというよりも、「召喚の勅命」と使っておられます。だから、ここに書いておられますように、「帰命」はサンスクリット語のナマスの訳。信順とか敬礼などを意味すると書いてあります。その次が、
(2)「無量寿」
サンスクリット語のアミタ―ユスの訳「限りないいのち」という意味に理解してよいが、それは「量」と関係の「無」い;いのち;を意味する。アミタ―ユスが阿弥陀と音写される。
(3)「如来」
サンスクリット語のタターガタの訳。真実(如)から来た人。彼岸から此岸へ真実を伝えるために来た人。
(参考)「仏」サンスクリット語のブッダが「仏陀」と音写。目覚めた人。
(4)「不可思議光」
サンスクリット語のアミタ―バの訳。これも「阿弥陀」と音写される。また「無量光」とも訳される。人の思いや議論の及ばない;はたらき;をもつ光。
と書いてあります。サンスクリット語のアミタには、アミタ―ユスという言葉と、アミタ―バという言葉と、二つの意味があるのです。(2)「無量寿」のアミタ―ユスの方は「限りないいのち」で訳されて、(4)「不可思議光」のアミタ―バは「限りない光」という語で訳されています。だから、アミタ―ユスは「無量寿」、アミタ―バは「無量光」と訳されたわけです。だから、アミタ―バといった時は光りです。そしてはたらきをいいます。それが光であらわされている。この光というのは闇を照らすはたらきです。三千年昔であろうと、三千年先であろうとということです。インドであろうと、日本であろうと、アメリカであろうと関係ない。障りない、そういう意味ですね。だから、阿弥陀のはたらきというのは、何時でも、何処でも、輝いているまことのはたきです。だから、アミタ―バ、アミタ―ユスの二つの意味で使われておるわけです。それを親鸞聖人は伝統に基づいて、はじめの方を無量寿如来とおっしゃって、そしてアミタ―バの方は無量光と言われてもいいのですけれども、不可思議光と。無量寿・無量光と言ってもいいのですけれども、不可思議光という言葉を使われた。そうしますと、七文字ですから文字が余るでしょう。だから、本当は不可思議光如来とか不可思議光仏といえば八文字になってしまいますから、不可思議光で終わっておられるわけですが、大体は如来とか仏という言葉が入るのでしょうね。そして次が、無量寿の「量」というのを、(2)「無量寿」のところに、「「量」と関係の「無」い:いのち;を意味する」と書いてあるでしょう。つまり多いといったら多いということを私は考えますからね。そういうこととは関係ないということは、あらゆるものを超えておるという意味ですね。
ちょっと話が横にそれますけれども、私の兄が広島の田舎におります。道路公団で働いていた人間ですから土木屋です。真宗の家に生まれたわけですから、お内仏を大切にするということは非常に厳格な人です。いまは時々お寺に行って話を聞いているようですけれども、だいたいあまり聞かん人ですからね。十年前に二人だけで話しておりました時に、やっぱり気にかかっとるんでしょう。兄から「おい舜悟、宗教とは何かね」と聞かれた時、私が「宗教というのは、清沢満之という人が「有限と無限との対応」だと言っておられる」と。、だから、そのことを舜悟が言ったということを思い出していたらいいよ」と言ったことがありました。それから10年程経って「あの時、お前は宗教とは「有限と無限との対応」だと言ったもんね。そういうことを一口でぴしゃっと言うということは、坊主というのは偉いものだなと思ったよ」といったことを覚えていますけれども、「それは私が偉いんじゃなくて、清沢先生が偉いんだ」といった覚えがあります。「有限」というのは有量ということです。我われは有量です。限りあるいのちです。その有量のいのちを積み上げても、無量にはなりません。どんなに地球が大きいといっても、宇宙全体からいえば小さいですからね。しかし、その宇宙が広いといっても限りがありますからね。形あるものはみな有量です。「有限」というのは形あるものという意味です。「無限」というのはそれを超えているという意味です。「対応」ということは、どんなに有限を積み上げても無限にならないわけですから有限です。つまり対立ですね。しかし、単なる対立ではないんです。応じている。応じるということは無関係ではないということです。だから宗教というのは「無限」である。我われは有限である。それがどこで交わるか。凡夫であるとか、人間は情けないものであるということを、どこまでも私に知らせるはたらきが無限なのです。無限というものが形があると考えたら有限です。無限というのは何かというたら形としてはないんです。形があれば無限ではない。じゃあ何もないのかといったらあるんです。どういうかたちであるかといったら、有限を有限と知らせるはたらきとしてあるんです。だから、それを私が頂けた時に、つまり親鸞聖人の教えでいうならば、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 (歎異抄 聖典P640)
といわれるのが、それです。だから、本当に愚かな凡夫だと知らされるということが、無限のものに遇ったという意味です。それが「応ずる」という意味です。つまり、有限を離れて無限はない。無限を離れて有限はないのです。私たちは有限ということを忘れています。人間は悲しいものだということを忘れています。現在のように科学が発達し、合理主義が発達してきますと、人間は人間より偉いものはないというようになってしまうのです。その思いが過ちを犯し、今も過ちを犯していくのは有限であることが分からないからです。しかし、有限を有限と知るこということは人間には分かりません。だから、人間は優越感と劣等感のところをさ迷わざるをえないのです。有限ということを知らないわけですから、優越感と劣等感のところをさ迷っていますけれども、それが私の劣等感だと気づけるとするならば、それは無限なるものに触れてです。その時に、そのままを投げ出していけるわけです。投げ出していけるということは、そこに善し悪しというものはないわけです。一切ゆるされているわけですから。私が私をゆるす世界には救いはありません。ゆるされていたと気づかされるのは無限なるものに遇うからです。その無限が無量寿です。対応というのはそういう意味です。
正信偈に聞く
4ー3
平成20年7月23日
善導のいわく「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀というはすなわちその行」(玄義分)といえり。「南無」という二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、うたがいなく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。さて「阿弥陀仏」という四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、ようもなくたすけたまえるいわれが、すなわち「阿弥陀仏」の四つの字のこころなり。 (御文 聖典P838)
『御文』を読みますと、南無とたのむ、そこに回向がある。南無は機のはたらき、阿弥陀は法のはたらき。機なる私が、南無とたのむところに救いがある。阿弥陀仏はすくいたもう意味だと蓮如上人の御文はなっています。そういうことを含めて清沢満之先生は言っておられるのです。だから、南無とたのむというのは帰命です。帰命の背景にたのませたもう阿弥陀のはたらきがある。そのままの救いというだけでは、私はたすかったことにならないわけです。いわゆる如来をたのんでいない私の自覚ですよ。ただ自力ばかり立てて、自ら苦しんでおることに対する目覚めです。させたもうものがある。
南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆえに、「南無阿弥陀仏」の六字のすがたは、すなわちわれら一切衆生の、平等にたすかりつるすがたなりとしらるるなり。
(御文 聖典P837)
蓮如上人の御文の原理なんです。喧嘩してどれだけ勝っても救われんわけです。道理に従っていないなら勝ってもたすからん。負ければなおたすからんのですからね。それをどう超えていくかというのが人間自身の問題ですね。
「総讃」は、無量寿と不可思議光になっています。それで帰命と南無は、たのむ、よりかかる、依りどころとすると書いてありますから、それが全体にかかってくる。そこから『正信偈』は出ているわけです。南無阿弥陀仏無しに『正信偈』が出ていれば、正信偈は人間の分別の造作にすぎません。思想にすぎません。そうじゃなくて、親鸞聖人が南無阿弥陀仏という時には、信心からその喜びを述べておられるのです。その信心のもとに阿弥陀如来の本願がある。だから法蔵菩薩が出てくるわけです。そういうことが『正信偈』の基本ですね。
私は三十五歳の時に久留米教務所の駐在布教師という辞令をいただいて勤めるようになりました。その時の教務所長さんが尺一(かねかず)という熊本市内のお寺のご住職でした。その尺一先生から多くのことを教えられました。尺一先生が言われたことで印象に残っているのが、『正信偈』ははじめから終わりまで南無阿弥陀仏だと。帰命無量寿如来が南無阿弥陀仏ですね。南無不可思議光も南無阿弥陀仏です。・・・・・唯可信斯高僧説。全部南無阿弥陀仏ということなんだということを言われました。帰命無量寿如来 南無不可思議光は、全体にかかるという意味はよくわかるわけです。南無阿弥陀仏は単なる呪いじゃないことは御存じでしょう。だから、つまり「おいわれ」があるわけですね。蓮如上人の『御文』は明確です。
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。 (御文 聖典P837)
御勧化というのは、お勤めということでしょう。親鸞聖人の教えは信心の教えなんですよということを、まず教えてあります。「信心をもって本とせられ候う」とおさえて、
信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。 (御文 聖典P834)
といってあります。だから、ただ私が何かを信じるというようなことではないんですね。親鸞聖人の教えは、信心ということを教えてある。その信心は自分が誰かを信じるとか、仏さまを自分が信ずるという、そういうことではないんです。
信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。このゆえに、南無と帰命する一念の処に、発願回向のこころあるべし。これすなわち弥陀如来の、凡夫に回向しましますこころなり。これを『大経』には「令諸衆生功徳成就」ととけり。 (御文 聖典P834)
これは、十八願成就文の心を述べてある『御文』です。信心というのは「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」といってあります。「こころうるなり」という信心だと。つまり南無阿弥陀仏にはいわれがあるわけです。そのいわれが依経段の弥陀章の法蔵菩薩から書いてあるわけです。南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらくとある。「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」ということが、私は長いこと分かりませんでした。大谷大学の学生の時に、先生に「南無阿弥陀仏のすがたをこころうる」という、このすがたというのはどういうすがたですかと尋ねたことがあるんです。そうしたら先生が、それは義相(ぎそう)といわれた。つまり「いわれ」ということです。
次に(3)「如来」サンスクリット語のタターガタの訳。真実(如)から来た人。彼岸から此岸へ真実を伝えるために来た人。(参考)「仏」サンスクリット語のブッダが「仏陀」と音写。目覚めた人。サンスクリット語でブッダという言葉があるわけです。ブッダという言葉に音を合わせたのが仏陀。だからこれは音写です。音写でいったら仏陀。意味でいったら目覚めた人。お釈迦様のことを仏陀といいます。釈迦牟尼仏というでしょう。何に目覚めたか、それが法です。以前高倉会館で曽我先生がお話しになったものを「曽我量深説教集」という本にしたのがあります。それをこのごろ朝のお勤めの時に拝読しております。その中に山口益先生の言葉をお説教の中で言っておられるのです。山口先生は原始仏教で世界的に有名な方です。原典のサンスクリットで書かれた経典から勉強するという。これはフランスからはじまった学問です。ある時、山口先生が高倉会館でお説教なさったものが本になって出版されたものを、曽我先生がお読みになったそうです。その中で山口先生がお釈迦様の言葉の中に「私は特別珍しいことを話しておるのでない。私は昔の聖人の教えをいただいて、それを自ら行じ、それに目覚めて、その喜びをみんなに語っているだけのことだ」と。そういうお言葉がお釈迦様のお経の中にあるのだと。そして、それは親鸞聖人が「親鸞は弟子一人ももたずそうろう。そのゆえは、如来の教法をわれも信じ、ひとにもおしえきかしむるばかりなり」といわれた。あれと全く軸を一にするものである。これは阿弥陀如来の本願、釈迦の教え、七高僧の教えを通じて、いただいた信心の喜びを親鸞聖人は語っておられる。そういうことを山口先生が語っておられるということを読んで、曽我先生が感動したというようなことが、曽我先生の説教集の中に書いてありました。藤代先生がよく言っておられました。南無阿弥陀仏の教えは、教祖からはじまった教えではないんだと。教祖からはじまった教えなら、教祖が亡くなればその根拠を失います。だから、結局は教祖に帰っていこうという教えになるのだと。しかし仏教は違う、法だと。法は南無阿弥陀仏。つまり、法がその法に目覚めた人。つまり、仏陀の教えとなって人間のところにはたらいているから、仏陀を如来ともいう。法というのは「まこと」でしょう。我われは真実、真実といっておりますけれども、「まこと」を言っておるんですね。真実の彼岸から此岸へ真実を伝えるために如来がはたらいている。彼岸とは向こうの岸です。浄土です。それに対して、此岸というのは迷いの岸です。なぜ迷うかといったら、我われには何の依りどころもないからですよ。依りどころがあれば私たちは迷わないですよ。私たちは身体なり、自分の能力なり、そういうものを依りどころにしている。だから、身体が丈夫で、思うようにうまくいっているときは自信をもっている。しかし、身体が思うようにならないと不安になります。不安に思うということは、これは業の姿です。親鸞聖人もおっしゃっています。
いささか所労のことあらば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。 (歎異抄 聖典P629)
と。親鸞聖人はそうおっしゃったと、唯円坊は書いておられますけれども、「いささか所労のことあらば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆる」とはどういうことかといったら、やっぱり人間の有限を有限と知らんということです。だから、それを絶対化して握っているということでしょう。それがいかんとかいいとか、そう言うのではなくて、それしかないわけです。それがすべての人間の有様です。むしろそうでない人間になったら、それは仏です。ところがそこで親鸞聖人は、「こころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり」とおっしゃる。そして、
しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。(歎異抄 聖典P629)
と。「こころぼそくおぼゆる」心に寄りそってはたらいてくださっていた如来の大悲に気づかれ、煩悩具足の凡夫が煩悩具足の凡夫のままにたすけられる境地を述べられている。その如来の大悲心、つまり南無阿弥陀仏を親鸞聖人のところまで伝えてくださった歴史、つまり釈尊から七高僧のご苦労です。それが法の伝統です。
普通一般の我われの日暮らしの中では、仏法などいらんわけです。必要ならば気になるけど気にならんわけです。しかし、自分がだんだん不安になったり、現役で頑張っているときはよかったけれど、退職すれば誰も訪ねて来てくれない。だんだん身体は弱ってくる。奥さんは病気がち、子供は全部出てしまった。そしたらもう息子も戻って来んらしいと。その時に有限だとか無限だとか、南無阿弥陀仏ということをふと思う。これは歳をとったからそう思うというより伝統があるからですよ。伝統の中でお育てをいただいてきた。聞いとる聞いとらんは抜きで、南無阿弥陀仏という話を聞いて、そうだろうなと思うということは、お育てをいただいた人生をたまわっているからだと思いますよ。蓮如上人は「南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏のたすけまします道理」があると。南無阿弥陀仏のいわれがはっきりしなかったら、私の人生は結局空しいものになってしまう。ところが縁が熟して、南無阿弥陀仏のいわれを聞き得れば、このことひとつを知らしていただくために、私を人間に生まれさせて、浄土に往生をとげさせようというのが如来の本願だった。私が人間に生まれてきた意味はそれしかないんだと、そこまで気づかせて下さる。いろいろ申しましたけれども、帰命無量寿如来 南無不可思議光と『正信偈』の根本に流れている心です。どういう「おいわれ」があるかということを説かれるのが「法蔵菩薩」から後の、これは大無量寿経の教えです。そいうことが述べられておるわけです。