正信偈に聞く
31-1
平成22年12月27日
今日は「依経段・えきょうだん」の締めくくりにしたいと思います。依経段は我われにとってどういう意味を持った段であったかということの確認を前回からしておるわけです。依経段といわれるわけですから、浄土三部経に依って本願念仏のおいわれを明らかにしてくださったところが、正信偈の前半の依経段になるわけです。そこに如来の本願ということが述べられておるわけですから、法と機というかたちで分けますならば、依経段は法を明らかになさっているわけです。依釈段は機、人間がその本願にどのように遇って、そしてどのような救済を受けたかということについて、インドにおいては龍樹菩薩(りゅうじゅ)・天親(てんじん)菩薩、中国においては曇鸞大師(どんらん)・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師、日本においては源信(げんしん)僧都・源空(げんくう)上人という七人の高僧を親鸞聖人はおあげになりまして、そうしてその方々が時代、その地域において本願念仏に遇った喜びを、感動をどのように人びとに伝えられたかということを述べてあるのが依釈段になるわけです。
今日は「聖人のつねのおおせ」として、『歎異抄』に述べられておるものをはじめにあげて、そして曽我先生と寺田先生がそれについてどういう感想を述べておられるか、そのお二人の先生の書かれたものを、ここに載せておるわけです。
聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいし
こんなことは、聖人ご自身の筆を執られたものにはどこにも書いていない。それが「聖人のつねのおおせ」としてここに記されている。これはひとつの宿業の感覚である。この一句でご開山聖人は永遠に生きておられる。ご開山聖人の面影はこの一句で尽きる。それほどに感銘深いものである。この一句を伝えているだけでも『歎異抄』は不滅のものである。 曽我量深 「歎異抄聴記」
聖人がここに述べておられる「弥陀五劫思惟の願」とは阿弥陀如来のお力量をもってしても、人間救済のためには五劫という長い年月の思惟を必要とし、ここにようやく見いだすことの出来た「念仏往生の願」ということで、この願名を知らされたことだけでも、われらの身の罪悪深重、煩悩熾盛のほどが思い知らされます。私のところには全く救いの縁も手がかりもないということです。だからこそ、如来によって現に浄土が建立されており、そこへの道である南無阿弥陀仏の法が成就されているということを知らされてみれば、この念仏往生の願は「ひとえに親鸞一人がためなりけり」と感泣せずにはおれなかった聖人であったでしょう。
願の正機であるご自身を、聖人は「そくばくの業をもちける身」と自覚せしめられておられるのですが、その「そくばく」とは「若干」という文字が当てられておりますが、それは、「多少」とか「いくらか」という、あまり多くはないという意味と、また「限りがない」と言う意味にも用いられている文字だといわれております。この二つは全く正反対の意味のようです。岩波の「漢和辞典」によりますと、しかし、「若干の干の字は一と十とに分解されるので、あるいは一のごとく、あるいは十のごとく、数が定まらないの意」という一説が紹介されております。してみれば「そくばく」とは、あれとこれと、数えていくうちに、あとからあとから出てきて、どこまでいっても数え尽くせないという意味のようです。つづいて、「業」とは行動とか生きざまとかを意味する言葉ですが、人間の手になる行動は純粋で透明であることは決してありません。常に罪のにおいがともなうのです。だから仏教で人間業という場合には、いつも悪業とか罪業とか業障とかと、悪や罪や障と熟字されて使用されるようになったのでしょう。
この「そくばくの業をもちける身」という痛切な告白は、わが人生における一つ一つの犯した罪業を数えていくうちに、数えきれなくなってしまって、ついに「人間であることの罪深さ」に気づかれて、自力無効と信知された聖人のご信心ではないでしょうか。
ここで注目されることは、「そくばくの業をもちける身」といって、如来の本願を心で受け取らず、すべて「身」をもっていただいておられるということです。「身」のところには絶対の他力でなければ、救われない私がある。心は自分で転換することができても、身は変えられません。身は私の思いでは動かないからです。そして、この身は片時も罪なしには生きることができないのです。ひとたびわが「身」の悪性が自覚せられた限りは、もはや人間のはからいの許される余地は全くありません。ほかの道はないのです。ただ「たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」に身を投げ出すことだけです。 寺田正勝「歎異抄講話」
こういう二人の先生の言葉を引いてみました。これは曽我先生の書いておられるように、この「つねのおおせ」として親鸞聖人がお書きになったものにはどこにも入ってないわけです。そういう意味では、曽我先生がこの親鸞聖人の言葉を伝えているだけでも『歎異抄』は特別のものであると、こういうように書いておられますけれども、この親鸞聖人が常におっしゃっておられたと、こう言われるわけですから、この言葉の通りにおっしゃったかどうかは分かりませんが、ただいつもこういうようなことをおっしゃっておられたと、『歎異抄』の著者である唯円は書き残しておられるわけです。ここに「五劫思惟の願」という言葉があります。これは『正信偈』にも「五劫思惟之正受」とありますから、阿弥陀仏が本願を成就なさったことについては、五劫という永い間ご苦労になって、そして本願をお建てになった。だから、寺田先生は「阿弥陀如来のお力量をもってしても、人間救済のためには五劫という長い年月の思惟を必要とし」たのだと、こういうことを書いておられます。だから、ただなんとなく五劫という言葉で受け取ってはならんのでしょう。何かそこに本当にいかにして我われ衆生を等しく平等に救うかということについて、五劫という永い時間を費やして思惟を重ねられたと。こういうことだと寺田先生はおっしゃいます。そして「そくばく」ということについて、寺田先生は非常に細かく辞書を引きながら述べておられるわけです。「そくばく」とは、あれとこれと、数えていくうちに、あとからあとから出てきて、どこまでいっても数え尽くせないという意味のようです。」と、こういう言い方をしておられます。そういうところから、「人間であることの罪深さ」という言葉で寺田先生は人間をおさえておられます。
これは金子大栄という先生にそういう言葉があるんですね。「人間の犯す罪と、人間であることの罪」という言葉があるのですね。人間の犯す罪というのは、あれとこれというように、自分で考えたら分かる。ああいう事をした、こういう事をしたと、これはいかんなあと、今後自分は気をつけないといかんなあというような事についても、人間は一人でいる時と、独りで生きておるときはそういうことはあまり思いませんけど、家族と、そして隣近所ということになってきますと、日常的な日暮らしの中で、私たちはいろいろ言ったりするわけですね。そういうところにどうしようもないものが出てくる。それを寺田先生は「そくばくの業をもちける身」と、「身」という言葉を強調されます。心というのは思い直しができる。ああ思ったりこう思ったり、ああ思ったらいかん、こう思ったりしたらいかんというように、しかし身というのは、そう簡単なものではない。仏教というのは何か心の持ち方というか、心がけというものを学ぶものだろうと私たちは思うわけです。そうすると悪を善に変える。自分の善くない在り方を善いものに変えていくという、それは心がけですよ。あなたの心がけが善くないからです。だから、今からこういうような心がけでいかなければいけませんということを人様にも言いますし、また自分でも思います。ところが「そくばくの業をもちける身にてありけるを」と。身ということから、何かそこから転換することができないのっぴきならんものを、寺田先生は注意しておられるものですから、ここに引いておるのです。「自力無効」という言葉も載っておるのですが、「人間であることの罪深さに気付かされて、自力無効と」、自力というのは、自分の心がけとか自分の考えで、自分をどうかできるという、そういう一つの心です。
「自力のこころ」という言葉が親鸞聖人には結構ありまして、蓮如上人がそれを受けて、自力のこころをふり捨てて、一心一向に弥陀たのめというのが南無阿弥陀仏だと。南無阿弥陀仏というのはどういうことかと言うたら、ただ南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏といっていたらたすかるという話ではないのだと。そうじゃなくて「自力のこころをふりすてて一心一向に弥陀たのめ」ということが南無阿弥陀仏の意味だと。その南無阿弥陀仏のおいわれを、私たちが聞き開かしていただく信心ということを蓮如上人はおっしゃるわけです。その時に「自力は」という言葉は蓮如上人がおっしゃったのではなくて、親鸞聖人の言葉に沢山あるのですね。例えば親鸞聖人のお手紙ですが、自力というのは、
わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。 親鸞聖人血脈文集 聖典P594
このように親鸞聖人は自力ということをおっしゃっておられるのです。「わがはからいのこころ」というのですから、計らいは、これは善い悪い、これはいかんと、だからこれは自分でも気を付けていかねばいかんと。そして人様を見ても、あの人はあんなことを言いなさる、そんなことではいかんのでないか、こういうことを計らうというのは計算する。はからいという字は計算の計という字ですね。だから何を計らうかというたら善悪を計らうわけです。善か悪かということを、悪を善に変える。そういうことを計らうというのです。だから自分の「わがはからいのこころをもって、身・口・意の」というのは三業です。心で思うこと、口で言うこと、身体ですること、これが私たちの生活の全部です。生活というたら、心に思うこと、口に出すこと、そして自分が行動するということ、それを三業といってあるわけでしょう。だから「身口意のみだれごころ」と書いてあるのです。だから自力といわれる意味は、それが間に合うと思っているという意味なのでしょう。そう思っていればそうなると思う。しかしここでは、寺田先生が身といわれておるのは、それが間に合わん。仮にそう思っておっても、常日頃何もないときは、冷静な時は思っておるかもしれませんけれども、事が起来たときは、その時に身口意ですから何を思って、何を言い出すやら、また何をしでかすやらわからない。冷静な時はそういうことはしないでしょうけれども、しかしやっぱり事と場合によって縁によって、「業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」という親鸞聖人の言葉もありますけれども、身に着いたものということでしょうか、もっと言えば、身になっているものといいますか、私たちは心と身体を別々に考えるのですね、ところが仏教では心が身になっているというのです。女の身があって女の心があるというのでなくて、女の身口意の三業によってつくった人間の業がその身を明かしている。
一人ひとり顔が違うように、生き方とか考え方もみな違うのではないですか、ところが私たちは自分の物差しをどこかで持っていて、そして人を批判する。その時は自分の考えが間違っていない。そして相手の考えが間違っているというところに必ず立っている。「自是他非」、自分でもそういうことに気付くこともあります。人様を見てふと思っている何か心の中にはたらくものは、やっぱり自分の考えを物差しにして、そしてその人を批判する。そういう気持ちが非常に強いですね。しかし私を見る目は私にはないのですよ。人を「自是他非」で批判しておる私がおるわけです。その私を照らす光は私にはないのですね。それをいかんあと後で思うことはありますけれども、しかし瞬時にはたらく時には、そんなものは間に合わないし、そうでしかあり得ないですよ。しかし、その事を何時も反省しながら、「わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもう」、つまり如来様に好まれようと、如来様に救われようと、やっぱり善い人間にならんと如来様はたすけてくださらないという人間の思いがどこかにあるのでしょう。如来様は「老少善悪の人をえらばない」とおっしゃるのですけれども、私の方は老少善悪の人を選ぶ心が強いのです。そしてその時は自分には甘い、相手には辛い。こういう問題が私たちにあるだろうと思いますね。
「自力無効」と、自力が思う心は間に合わんものを、私たちは身の事実としてもっておる。それが「そくばくの業をもちける身」ですから、いろいろあるでしょう。自分のことは自分で分かるというけれども、他人の方が分かっておるという面はありますね。しかしそれでは如来様に遇えない。どういうかたちで遇うかというたら、「そくばくの業をもちける身」である私を救おうと、五劫が間思惟なさって浄土を建立してくださった。だから如来によって観られている私、私の見る私、そのズレですね・・。そういうことを言ってあるのかなあと想ったりしますけれども、どのように皆さんが思われるか・・。一応解説はそこまでにして、皆さんはそれぞれ生活をもって生きておられるわけですから、生活を通してお感じになることを、思いつくままでおっしゃってくだされば有難いと思います。
正信偈に聞く
31-2
平成22年12月27日
A 今、私が先生と一緒に読んで、私の心に残ったのは「人間の善なる行動は純粋で透明であることはけっしてありません。」という行と、「本願を心で受け取らず全てを身でもっていただいておられる。身のところには絶対の他力でなければ、救われない私がある。」という言葉が心に残りました。「機法一体」という言葉がありますが、機というのは身であるということと併せて聞かせてもらいました。思いと事実との葛藤ですね。倶生起と分別起との二種類に分けられる。その倶生起の煩悩に親鸞聖人の苦しみがあるのではないかと思う。誰もがいろいろな生き方もある感じ方もあるということをいわれましたけれども、同じことを聞いても、その人間の心になっている生まれ持ってきたものはどうにもならない。それを気づかなければ親鸞聖人の教えは受け取れないような気がします。
A 先生のご案内状の中にいつも「あなたがたすかればいいのですよ」という大石先生の言葉が書かれているのですけれども、親鸞聖人の「よくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉と重なるのです。
A 以前、私の娘がいうのに、私たちは日本人であってよかったねと言うんです。そうしてと聞いたら、そのころ娘は奈良に住んでおりました。「私たちが手を合わせる仏様はすごく穏やかでしょう。あのキリストのはりつけの前に、あんなにひざまずくというのは苦しいよね。どうしてはりつけられたイエスにひざまずくの」と聞いたんですよ。私はそれに応えられなくてもやもやしていたんですが、先生の話の中で「仏教の基本は縁起である」と、そこにくるのですとおっしゃった。さっきの倶生起と分別起と煩悩を二種類に分ける。今まで私には分からなかったことが、すっと解けるような気がしたのです。どうにもならないものが、私だけでなくすべての人間にあって、親鸞聖人も苦しまれてこういう教えがあるのだということを思いました。だから自分はそれでいいのだと。
A 私が先生の講義の中で、一番救われたのは十七願なのです。すべての仏様が心配してくださるという、そこのところをよくよく考えてみたら、親鸞聖人は倶生起を味あわれたのだと思いました。だから観音様で済む人は観音様で、お地蔵さまで済む人はお地蔵さまでいいのだと。すべての仏様が誉められるものがあるから、その先に阿弥陀如来のお念仏があるという、大きなものの中に存在しているのだと。私が観音様に願いをたてることも、お地蔵を思うことも赦されているのだと思ったのです。御文のはじめに菩薩さまも大事にしなさいよと、そういう諸仏は皆お念仏の中に入っているのですよというところがあるのですが、それと重なって私が歩いてきた道は、それでよかったのだと思ったのです。それまでは浄土真宗のお勉強をするときに、座禅にも行くお遍路も体験する、そういう私はすごく罪が深い。お念仏をする人がここに座る資格がないと、そういう思いできたのですね。だけど、年と共に思いというのは変わっていくのですね。そうすると信心、信仰の歩みというのは、それなりに生きて、その人なりの道があるのでないかと思えてきたのです。これを読んだ時にあの写真を思い出したのです。これはショックを受けたのですが、五劫思惟という意味の深さと、キリスト教がはりつけになられて、独りで罪を背負っていかれたキリストの姿と、私は似通って見えたのです。私は五劫思惟の出来上がったものがあるということすら全然知らなかったのです。だから学習することの大切さをつくづく思いました。
A 「あなたがたすかればいいのですよ」という言葉が毎回いただくのですけれども、分かったようで分からないのですけれども・・・。
A 「遠く宿縁を喜べ」という言葉があったのですけれども、私がこのお寺に来る前は座禅を組んだりして、そのお寺に通っていたのですけれども、なんとなく違うという感じがしたのですね。やってみてもどうにもならないし・・。ある時、親鸞聖人が飢餓に苦しんでおられる人々のためにお経を読むことを思い立たれて、しかしやめられたと、ある大学の先生がお話しておられたのですが、その時にお坊さんが飢餓に苦しんでいる人たちのためにお経を読むことが、どうしていけないのだろうと思っていました。今はこのお寺に来てお話を聞いて「ああそうなんだ」と思っています。
A ある雑誌に「法然上人がすべての生活を、念仏のためにするということを教えています」という下りがあったのですね。「この世を生きていくには、お念仏を称えられるように過ごすべきです。お念仏の妨げになるのであれば、たとえどのようなことであっても捨ててそれをおやめなさい」と。「例えば俗世を離れた修行者となって称えられないならば、妻をもうけて念仏申すべし。それで称えられないということであれば修行者となって称えればいい。居を構えて称えられないならば、各地を遍歴しながら称えればいい、それで称えられないのであれば家にいながら称えなさい。自分の力で衣食を賄ってお念仏を称えられならば、他の人に食べさせていただきながら称えなさい。それがままならないようであれば、自分で衣食を賄って念仏しなさい。独りで称えられないならば、お念仏同士と一緒に称えなさい。それでも称えられないというのであれば独り思って称えなさい。衣食住の三つはお念仏を称えるこの身の支えとなるものです。つまりこの自分が平穏にお念仏を称えて往生がかなうようにはからうのであれば、すべてお念仏を称えることに役立つのです。」と、私はこれを読んで、自分がこれまでやってきたことが、これでいいのかと思ってきたことが、よかったのだと思ってすごく感動しました。
S これは法然上人の言葉で、「現世をすぐべき様は念仏の申されん様にすぐべし。 和語燈録 諸人伝説の詞 という言葉があるのです。それは親鸞聖人の教えの座りになっているのです。だから法然上人の言葉を、私など口ずさむようになっているわけですね。いつでしたかテレビを見ていましたら、今度知恩院の管長さんが代わられましたけれども、前の管長さんが言っておられました。「とにかくいろいろあるのだけれども、心がけてお念仏申して生きることなんだなと感じています。だから目が覚めた時から南無阿弥陀仏と申させていただいております」ということをおっしゃっておられました。やっぱり法然上人の教えというものを集約すればそこなんだろうなと。だからこの管長さんがそういうことをおっしゃっておられることは尊いなと思って聞いた憶えがあります。親鸞聖人は法然上人からたくさんのことを習われたでしょう。そして法然上人は「選択集」を誰にでもは写させなかった。何百人という僧侶の弟子がいたのですけれども、この「選択集」の書写を許したのはわかっているだけでも十人位しかいないのです。その中に親鸞聖人が入っておられるのです。「選択集」というのは、法然上人が生きておられる間は公にしなかったわけです。九条兼実という人の強い要請で法然上人が書かれたわけですね。そして兼実公に「もしこれをお読みになったら、後は壁の中に塗り込んでください」といわれたような書物なのです。だから法然上人が亡くなってから弟子が公にして、それが大問題になって、明恵上人が「摧邪輪・じゃいじゃりん」を書いて選択集を批判するわけです。親鸞聖人は『教行信証』の後序に、法然上人の許しを得て「選択集」を書写させてもらったことを、これは念仏の功徳だと言って感動をもって書いておられます。この「選択集」の一番はじめに何が書いてあるかといったら、「往生之業 念仏為本」ということを書いてあるわけです。法然上人はそれを書いて、そして自分の証明をしているわけです。「往生之業 念仏為本」という「往生の業は 念仏をもって本と為す」と書いているのです。これは源信僧都の「往生要集」の言葉なのです。源信僧都は比叡山における浄土教の教学的な大成者だといわれているわけです。源信僧都は比叡山を降りられませんでした。どちらかといいますと臨終来迎を重要視した人です。大変な学者です。しかし親鸞聖人は七高僧の中に源信僧都を入れています。それを法然上人が引き継いだものなのですね。だから選択集の一番はじめに「往生之業 念仏為本」と、こういうように書いて、そしてその内容をずっとおさえていかれるわけです。だから親鸞聖人は法然上人から何を習われたのかといえば、関東から尋ねてきた人々に、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と、このように親鸞聖人はおっしゃっておられますから、「往生の業は 念仏をもって本と為す」でしょう。「「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」と、こういわれるわけです。
ただ、そこのところで浄土宗と真宗との違いを言うならば機の問題でしょう。浄土宗の僧侶の人は明治になるまで結婚しませんでした。ということは法然上人が結婚されませんでしたからね。一日に六万遍も念仏申されていたと。別時念仏といいますから、日を六つに分けるのですね。晨朝・日中・逮夜・初夜・中夜・後夜と六つに分けるのです。後夜というのは夜中の二時なのです。四時間ずつ分けて、おそらく一万遍ずつしておられたのでしょう。だから六万遍というわけですから、今でも浄土宗の人は木魚を叩いて念仏されます。そして法然上人は一日としてお聖教を読まない日はなかったということが、伝記の中に書かれてあるわけです。そして肉食妻帯をされませんでした。だから生活は比叡山と同じ生活をしておられたのです。比叡山の修行と学問を捨てて念仏ひとつ。いわゆる善導大師の教えを拠り所にしてこられたのですけれども、肉食妻帯はされませんでした。だから浄土宗の流れをくんだ人はみな、明治になるまで結婚をされませんでした。そして木魚を叩いて念仏申されるのです。ところが親鸞聖人は結婚されます。普通の生活者としての生き方を貫いていかれるわけです。それがさきほどの「三部経読誦」の問題と繋がるのです。
だから日本に仏教が入って以来、ずっと比叡山もそういうかたちで来たわけです。そして国家もそれを要求したわけです。坊さんも国家公務員ですし、お寺も公の許可がなければ寺はできないわけですから、現在の宗教の在り方と全然違うわけです。朝廷が寺に要求したのは、つまり特別なお坊さんが、特別な修行と学問をして、特別な法力をつけて何かあるときに祈ってもらう、加持祈祷ですね。そして国家安穏・五穀豊穣を祈るということを寺に要求したわけです。比叡山もそれをしてきたわけです。だから、その流れでいきますと仏教ということが一人ひとりの深い心の問題というところまでいってないわけです。そして律令制度では、お坊さんが一般の人に布教したらいけないわけです。今の中国と同じなのです。一般人に布教は許されなかったのです。だから一般の人との関係というのは五穀豊穣、そして国家安穏を祈るというかたちで、つまり天皇を中心にした国造り、それを仏教が護るという、それは神道と考え方は同じです。そういうかたちで来たわけです。
前回、曽我先生の言葉を引いておりましたけれども、本願のまことに目覚める。そして一人ひとりに宿業を担わせるという、それが法然上人の教えなのです。しかし法然上人自身は、みんなと接触はしますけれどもて、みんなと同じ生活はしなかったわけです。しかし親鸞はみなと同じような生活をされたわけです。その中でなお「三部経読誦」しようとされた。佐貫のところで「三部経読誦」をされておられるわけです。ということは多くの餓死者が出て苦しんでいるわけです。だからお経を読むことを思い立って・・「ああ自力だ。間違いだった」と、こういって読誦を止めた。これは親鸞聖人の五十九歳の時に常陸におられ、その常陸が大飢饉になったのです。これは日本国中だったと言われます。そして沢山の人が死んでいくわけです。それを見た時に、やっぱり佐貫で十何年前にやったことを思い出しているのです。ということは、親鸞という人は冷たい人ではないわけです。出来たらどうかしたいと思われているわけです。現在はそういうことに対して政治が動くわけです。そして、そういうことをする宗教はいらなくなりよるわけです。しかし当時の政治は働いてくれないわけです。ですから親鸞聖人は大変苦しまれたと思いますね。
「恵信尼消息」によりますと、親鸞聖人は五十九歳の時、熱を出して寝込まれたことがあった。しかし、ただ黙って寝ていて身体を触らせない。「しょうらい」と恵信尼は言っておられますから、性格的にそういう人だったと。自分が熱を出して寝ている時でも、頭を冷やさせたり身体を擦らせたり、そういうことはさせない人だったようです。とにかく黙って寝ておられた。身体に触れてみたら火のように熱かったと言っておられます。それから何日かしてら「今はさてあらん」といわれたというのです。ですから隣の部屋に寝ていた恵信尼さんが、何かうわごとかと尋ねるのです。そうしたら、いやそうではないと、夢の中で『大無量寿経』を読んでいて、一文字一文字がキラキラ見えるのだと言っておられるわけです。私などは、お経の本を見なければ全部は読めませんけど、親鸞聖人は頭の中に入っているわけですね。一生懸命お経を読んでいる夢を見た。何故こんな夢を見るのだろうかと思ったら「佐貫」でしたことが思い出されて夢になって出てきたのだろうと。その時に親鸞聖人は「自力のこころ」と言っておられます。人間の雑行雑修自力のこころの恐ろしさを思うのだということを親鸞聖人は言っておられるのですね。ですから女房子供を抱えた坊さんが、多くの人に教えを説いておるのですが、今のような教団ということを考えたら想像がつかんわけです。関東があれだけ開けてくるのは江戸時代からですから、それまでの関東は本当に田舎です。そういう中で、親鸞聖人のような最高の文化人であり、学問を持った人が来たわけです。関東には「二十四輩」という、親鸞聖人の高弟の名前が残っているのですが、その中に唯円も入っているのです。その人たちはほとんどが豪族です。単なる百姓ではないのです。鹿島神宮の宮司の子とか、その土地の支配者の豪族の子供とか、例えば、今の高田派の本山専修寺(せんじゅうじ)は三重県にありますけれども、もともとは関東にあった寺です。それを開いた人が真仏(しんぶつ)という人です。この人は土地の豪族の息子です。だからそういう教養のある人が親鸞聖人の教えに傾倒して、そしてその人たちを中心にして関東の教団は出来ているわけです。そうして「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」と教えておりながら、みんなが苦しんでおるのを見たら、どうかできないかということを思われるわけです。その中で親鸞聖人が熱を出して四日間寝込まれたわけです。そういう中で、それなりの苦しみを持たれたのであろうと思いますよ。その時に「自力のこころ」と言っておられます。
曽我先生が、キリスト教はキリスト一人に罪を背負わせる。それはキリストを殺したということになるわけです。それにイエス様は敢えてはりつけになって殺されていくわけですから、それの意味をキリスト教の人はメシアというわけです。キリストというのは「世救い人」という意味です。あの人がメシアだというわけです。キリストは「世救い人」として出てきた人だと信じるからクリスチャンというのです。釈迦というのもそうです。あれは普通名詞なのです。釈迦族の聖者という意味で釈迦牟尼仏というのです。名はゴータマです。それが釈迦族の出身の聖者だということで、釈迦牟尼仏というのです。仏は目覚めた人という意味です。インド人は「目覚め」ということをいうわけです。イスラム教の人は「世救い人」ということを言うわけです。みな苦しんでいる。それをどうして救ってくれる人が出てこないかといって、救世主を願い求めるわけです。それがイスラエルの人。ユダヤ人とインド人の違いですね。
親鸞聖人は「自信教人信・じしんきょうにんしん」、自ら信じて人を教えて信ぜしむと言っておられます。それ以外にすべての人が平等に救われていく道はない。だから本当に人びとを背負っていけることができるのは阿弥陀仏だけだと。人間は人間を救えない、こういう意味です。だから極端な言い方をしますと、五木寛之さんが言っておられますが、「何もしないという勇気がいるのだ」と。何かをするというのでではなく、何もしないという勇気もいるのだということを五木さんは言っておられるのですけれども、面白い言い方だと思います。結局、親鸞聖人は五十九歳で何もしない。何をしていたか、「自信教人信」です。それを大石先生は「あなたがたすかればいいのです」と云われる。つまり教えを自ら信ずる。これは御文の中にあります。御文はこれを座りにしています。自ら信じ人を教えて信ぜしむ、これは善導大師の言葉です。自から信ず、そしてそのことを一人でも多くの人に分かってもらうということが、阿弥陀如来の本願をいただくという意味だと、こういうことですね。
貴方自身が若い時から座禅を組んだり、お遍路をしたり、何故そんなことをなさるのか。それはどういう事だろうか。その事がまだあなた自身に明確ではないのでないかと思いますね。お遍路さんをしてみたり、座禅を組んでみたり、つまりあなた自身どうなりたいのかということが解らないのでは・・・。
正信偈に聞く
31-3
平成22年12月27日
A この「自信教人信」ですね。ここの坊守さんが、八女の「鸞音忌・らんのんき」で同室だったのですね。私がはじめて「鸞音忌」に参加した時ですけれども。私は何もわからないものですから、坊守さんに何か本を紹介してくださいと言った時に、坊守さんが「曽我量深実語抄というのがいいわよ」と言ってくださったので買って読んだんです。その時に、私は何で自分はこんなに憶病なんだろうと思っている中で、「自分を信じる(深信)」という言葉が、私に何か知らないけど勇気を貰ったのですね。
S 自分が信じられないと、そこをもう少し言ってみてください。みんな信じられないというけどね、皆信じて生きていますよ。でなかったら生きられないですよ。この世の中は自分が信じられないならば、うろうろするしかないのです。しかしこうやってうろうろしないということは、今日まで六十年生きて来たということは、やっぱり自分を信じていると思うのですよ。
A 信じるという言葉の使い方が間違ったのかな。自分に自信がないという方がいいのかもしれません。
S なぜ自信がないと思いますか。
A 自分と人を比較して、自分が駄目なのだと思っている劣等意識ですね。それが私の中に。
S それは何でしょうね。劣等感というような事を何時頃から思うようになったのですか。
A 「深い河は音なく流れる」というような言葉が好きでよく書いているんですよ。そういう言葉を書いているということは、自分がこうなりたいという思いが強くて、そういう言葉を書いているのかなと思ったり・・。
S 例えば、あなたが幼くして成長されていく中で、家庭の中でそういうことを感じざるをえんような事があったのですか。
A それをよく考えてみますと、私は本当にみんなに可愛がってもらったという思いはあります。体が弱くて、しょっちゅう風邪ばかりひいて過保護で、冬はいっぱい着膨れしている。昔は貴重な牛乳とか卵とかよく飲まされました。祖母はよくお寺にお参りしていましたので、私もよくお寺にお婆ちゃんと一緒に参っていました。それで私はお婆ちゃん子で、そういうことから小さい時から人の死にあいましたし、私が身体が弱かったから死ぬのでないかと思ったり、それと重なり合って・・・。
S いやそうじゃなくて、そういうものであっても年頃になり、そして学校にも行き友達もできる。そうして今度は結婚をされた。そして家庭に入られて子供ができ家族ができる。そうすると普通ならば、その生活の実績ということが自分の自信になってくるのですよ。あなたもそういうものが出来てきたと思う。自分なりにやってきたという自信、そして成果というようなものも、ああして苦労はしたけれども、みなこういうかたちになってみれば、みな苦労は無駄でなかったなあと、そして、また考えてみれば多くの人に支えられ、そして自分というものはここまで来れたんだなと、そういうものを思うというのは自信ですよ。みなさんのお陰でここまで来れたということが思えるということは自信なのです。自信がない時は、どいつもこいつもろくな奴はおらんということになるわけですから。しかし多くの人びとに支えられて来たというようなことを、自分で思えるようになるということは自信が出てきた証拠ですよ。それでもなかなか自信がないという。何か劣等感というか、そういう思いを持つということは、何があなたの心をそうさせておるのかということなのですね。それはどうなのです。
A 私は結婚はお見合いでした。親は女が学問したら結婚が遅くなると言っていました。それで親が選んだ人と結婚を勧められ、周囲から祝福されて結婚をして、主人は非常に心の広い人だったから、私を大事にしてくれまして子供も三人生まれて、恵まれた生活なのですね。だから、娘が「お母さん、何がそんなに自信が持てないの、立派に三人も子供を育てて、もっと自信をもって胸を張っていきなさい」というのですけれども、そこのところをよくよく考えると、私が生まれながらに持っているものなのかなと思ったりするのです。
田舎では家柄というものがありますね。そうしますと私はどちらかというといいご縁に恵まれたと思うんです。私の父はよく分相応ということを厳しく言っていた人なのです。だから私は自分を押さえたような生き方だったのではないかと思うのです。私はこの分しかないのだと。今も子供には事業が成功するようにとか、余計なことですけれども、その思いが押さえられなくて、願かけしたり、お遍路したりして・・。
S お遍路したり願かけしたりするのは、今以上に子供が幸せで、そしていい職業人としてちゃんと生きていけるようにということを、祈って願をかけたりするのですか。
A それで今、私は何と幸せな人間だろうと思います。それは私のお母さん(姑)のお陰だと思います。お母さんが主人を生んでくださって、お母さんが主人との縁を結んでくださったのですね。だから私はお母さんのお陰でこんな幸せがあるのだと思います。お母さんはお大師さん信仰をなさっていましたので、お母さんに報いるためには、私が強い立派な女性になったと認めて欲しいと思いまして、それと岩崎弥太郎のお母さんですね。神社に祈願して偉業を成し遂げられたという本を読んだんですね。たまたま、私どもの家業を次男が継ぐようになって、お母さんやお父さんがしていた仕事を受け継いで、その事業が発展するように願うものですから、私が六十歳の時に四国へ歩き遍路をしたのです。
S そこがよく私には分からないですね。分からないということは、口ではいろいろな方のご恩だと言いながら、何かあなたが一つの夢というかな、あなたが言っている夢がはっきりしないのだが、何か夢のようなものを次々に考えては宗教的なことをやって、それが実現していくのではないかというように、何かを追いかけているというかな、それは貴方らしくないね。つまりあなたは貴方を失っている。だから一切やめたらいい。何もかもそういう事は止めて、六十にもなって、あなたいつまで生きるつもりですか。いつまでも身体が丈夫でいると思っていますか。もう六十になれば何が出てきても不思議ではない。何があなたをそうさせておるかということが、あなた自身に分かっていないのではないかと思いますね。何があなたをそうさせるのか、何があなたを駆り立てていくのか、何かあなたの見本というか、そういうようなものが、私は貴方にあるのだと思いますけれども・・。
A 私の傷というか、私の負い目というのは、劣等感の強い私が結婚をしまして、素晴らしい人の中でよき縁でありたい、よき妻でありたい、よき親でありたいとがむしゃらになって来た私があったのです。そうすると辛いのです。力もないのに無理をしている私がいるわけですから。でもお母さんに気に入って欲しいという思いで一生懸命でした。お母さんは行を積むということをされた方だったのです。
S だから、貴方はお母さんの妄念に苦しめられておるのだろうと前から私は思っていた。それは駄目です。それは迷いです。それをきれいに捨てなければ駄目ですよ。あなた自身が追いつめられてしまうと思う。
A 素晴らしい人だから、私もそうなりたいと思うから、わたしもそうすればなれるかなと思ったのです。
S お大師さんの教えは、そういう教えではないのです。仏教は縁起ということを言うたでしょう。お大師さんの教えも縁起、空とか無とか即身成仏というわけですから、縁起という事がもとになっているんですよ。だから祈ったり、拝んだりしたらどうかなるというようなことは、お大師さんの受け取り方と違ってくるのです。
A 私は法然上人のように、お念仏を中心にした生活。それも肯定されていたということが非常に安心したわけですね。歩いていたら自分の身も何も無くなっていってお念仏が出るということは、こういうことなんだなあと。
S例えば浄土宗の管長さんが「目が覚めたときからお念仏申す」ということは、身口意の乱れこころをつくろいなす心を捨てるということです。捨てるということは南無阿弥陀仏になるということです。しかし自分で捨てられない。自分で捨てられたら南無阿弥陀仏はいらんのです。本願もいらないのです。ところが捨てられない。常に私たちはこれに背いて生きているわけです。そうでありつつ、どうかしようとしているから、根本が間違っていると法然上人が言ってあるのです。だから、ただ念仏せよと。いい心もあしき心もそのままにして、ただ念仏せよと。それは本願のまことに依って、我われは救われるのだという信心なのです。それにいろいろな行を混ぜていくということは、それは雑行雑修です。だから聞き直さなければ駄目です。姑さんの影響があなたに大きい。それから離れ切らないと、あなたが聞いた仏法は仏法になっていきません。
A それは私の育ち方というか、親から「結婚したらお母さんの言う通りにしなさい」と言われて。
S それは、その通りなのですけれども、そのこととあなたの人生が成り立たなければ駄目です。お母さんはいい人でしょう。旦那さんもいい人で立派な人でしょう。けれども、この人も凡夫だというものが出て来なければ、あなた自身が立てないです。
人間みな自力ですよ。自分の努力でやらざるを得んのですから。しかしそれはどこまで行っても穢土なのです。業の生活ですから。業というのは境涯という意味です。だから毎日の日暮らしの中で喧嘩しなくても、そこにあるものは自是他非です。ちょっとしたことでも、直ぐに喧嘩になってきますし、批判する心も出てきます。やめるわけにはいかんわけです。私たちはそこを離れて生きる場所はないわけですから、そしてそうやってきた。そうやって棺桶に入るわけです。それが業の生活です。それは穢土なのです。
浄土というのは仏様の世界です。ここに私たちを生まれさせようとするために、五劫の間思惟したという話なのです。だから私たちがどんなに考えてみたって追いつく話ではないのです。ですから有限と無限といういい方が分かりやすいと思いますが、どれだけ頑張っても凡夫なのです。禅を組もうと、何をしようと、何を考えているのかといえば、善い人間になるとか、少しでもお陰を受けるようにとか、それは商売です。つまり宗教を現世利益にしているわけです。しかし現世利益を仮に得たとしても穢土の話です。だからそれは有限の世界です。人間の世界はどこまでいっても人間の世界なのです。
それに対して浄土というのは、無限というのは人間にはありません。無限と考えているのは有限です。人間の考えで無限と考えているのは有限です。仏様と頭に描いてもみな有限ですから、これは穢土です。真実報土というのは浄土です。人間には真実というものはありませんし、無限はないのです。しかしあるのです。どういうかたちであるかと言ったら、どこまでいっても人間は人間でしかあり得ない。この世は穢土でしかあり得ないということを知らせるはたらきです。如来というのははたらきです。それを仮にああいう仏像の姿にしているだけです。はたらいているわけです。どうはたらいているのか、南無阿弥陀仏とはたらいて、我に依れと。南無阿弥陀仏と我に依れと、無限のところから言っているわけです。依るということは、無限からのはたらきによって、私は南無阿弥陀仏申すことだと。そこに如来と私との交通があるわけです。有限からの道はついていないのです。有限はどこまでいっても有限です。有限を積み上げて無限になるわけではないのです。それがどうにかなると思うのが自力のこころです。そしてどれだけいい世の中になろうが、どれだけいい人に出会っておろうが穢土の話です。そして生老病死は超えられない。
だから生あるものは必ず死に帰し、盛んなるものは衰えるということが有限ということです。私たちは祈ったり拝んだりすれば、どうにかなるかと思ったりしている。これは有限です。そして、それは有限ということを知らないということです。凡夫ということを知らないということです。穢土ということを知らないということです。これは向こうからのはたらきによる以外にはこちらには分からない。向こうからのはたらきが如来のはたらきです。だから無限のはたらきということは、どこまでも凡夫を凡夫と感じさせるはたらきです。それを「感応道交」と曽我先生は言われたわけです。教えを聞くということは、無限に出遇った人の教えを聞くということです。この世のことは高が知れています。それは何故かというたら、毎日の日暮らしが証明しているわけです。どんなにいい人であろうと思っても、あり続けるということは出来ないのです。それが親鸞聖人の悲しみなのです。
本当のクリスチャンはクリスマスをバカ騒ぎして過ごしません。教会で敬虔なお祈りをしていますよ。長崎でクリスチャンの人が苦々しく言っていましたよ。それはそうです。クリスマスはイエス様の誕生を祝うわけでしょう。なぜ祝えるかといったら、この人にお遇いできたお陰ですと、だから祈りをしているわけです。それなのに日本人は何をしているかというたらクリスマスに飲み歩いている。そんなものが何なのかということを問うこともしない。だからそういう意味でいうならば、まったく宗教に対して無関心というのか、無感覚なのです。そういうものを日本人は育ててしまいました。目覚めということをいう仏教が、日本の神様と同じように祈らせ拝ませる仏教として平安時代まできたわけです。
それに対して、これは一人ひとりの問題だということを言い出したのは鎌倉時代です。それを徹底させたのが法然上人であり、それを普通の生活をしながらさらに徹底なさったのが親鸞聖人です。これが究極です、だから「自信教人信」です。しかし、親鸞聖人の中にも誘惑があったのね。やはり拝んでどうかならんものかという誘惑があったわけですよ。その誘惑というのが現世利益なのです。それに厳しく親鸞聖人は生涯かけて生きた人なんですね。だから、このままでいいということではないのです。批判ではないのです。悲しみなのです。「悲しきかなや」です。「愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、・・・恥ずべし、傷むべし」と。私は許されない、毎日の日暮らしの中で本当に業をつくることしかできない、だから業縁です。業と業をもち合わせたものが夫婦となり親子になり、嫁姑になっておるわけです。向こうは向こうの業をもって生きている。私もそうです。しかし、それを通して「私がたすかればいいのです」と大石先生がおっしゃったことは、どういうことかというと、如来と私との関係をつめなければ向こうがうまくいかないし、これが片付けばこちらは聞くのです。喧嘩するのは業です。本当はしなくてもいいのです。ところがせずにはおれない業があるものだから出てくる言葉一つでも、本当は私もたすからん、向こうもたすからんものしか言えないのですよ。なかなか言えない長い業の歴史があるわけです。
阿弥陀仏は、私の長い業の歴史のもとまでもどって、ずっと呼びかけ続けておられるわけです。だからこの世は浄土になりませんし、私は仏様にはなれません。私はどこまでも、命終わるまで業の身です。業の身ということを頭で考えるのではなくて、日暮らしの中で業の身と思うようなことが自分の中から出てくるわけです。極端に言うなら、私は私、あなたは貴方なのです。お浄土参りがどんなに仲のいい夫婦でも、理解あっている夫婦でも同じ船には乗れないのです。それは一人ひとりが絶対なのです。一人ひとり歴史が違う。つまりこの世だけの歴史ではないですからな。それは自分には分かりません。それが分かったのは如来様だけです。だから五劫かかったわけです。これも曽我先生の「実語抄」ですが、そういうことが書いてあります。
他の仏様は、私がこの世に出てきてからご縁をいただいたのでしょう。しかし阿弥陀如来という仏様は、私が生まれてくる前から、つまり十劫の昔からご縁をいただいた仏様でしょう。そして阿弥陀如来は、私をして南無阿弥陀仏に目覚めさせて浄土に生れさせたいと呼びかけ続けて来られたのでしょう。そのことを我われは忘れていた。深いところで如来と私と、誓願というのですから、本願と言わずに誓願というのです。
「誓」というのは「ちかい」でしょう。単なる本願ではなくて「誓願」なのですよ。つまり、如来様は私と誓ったというわけですよ。何故かというたら、四十八願はすべて「私が仏になりましても…私は仏になりません」と。つまり必ず三悪道のない浄土にすると誓われているのです。ということは如来様が誓ったわけです。だから私たちは一人ひとり誓われている相手なのです。ところが私は誓われとっても、こちらは忘れておるのだと曽我先生はおっしゃるわけです。忘れているのはしょうがないでしょう。しかし当然だと言えないでしょう。忘れているのです。だから善知識の教えに遇うて、実は十劫の昔から阿弥陀如来という仏は、私を浄土に生れさせたいと願い続けておられたのだと、それが善知識の教えに遇うて、如来と私の誓いが約束に気づかしていただくのでしょう、こう云われておるわけです。
だから極端にいうたら、主人は主人、子供は子供、私は私、深い心の問題で言えばです。しかしこの世の中の日暮らしは、そういうわけにはいきません。ここにおられる奥さんは、今介護のことで一生懸命苦労しておられるのです。放っておくわけにはいかんわけです。ご主人と奥さんとの間には深いご縁があって結婚されておるのです。だから今になってどうこう言うわけにはいかん。そういう深いご縁があるわけです。夫婦というのは皆そうです。みな業の持ち主ですから、そういうものが夫婦です。それが別れもせずにここまで来たということは、お互い考えてみれば不思議なご縁だと、こういうことが教えてもらえるのが、向こうからのはたらきがあるからです。他力のはたらきがなかったたら・・・。
A 私はやっぱりお母さんの立派にして生きて来られたことに縛られて、私もこうせねばならんと思うのです。
B 幸せな人も、他の人が味わえない苦労をなさるのね。あなたの生活ぶりを聞いていたら、私とは天と地の違いがあるのね。
S しかし穢土ですよ。凡夫の集まりですから穢土です。今日はこれで終わります。ありがとうございました。