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​正信偈に聞く

 33-1 

​平成23年2月27

  こんにちは。今日は龍樹菩薩のところに入ります。

 

釈迦如来楞伽山 釈迦如来、楞伽山にして、

為衆告命南天竺  衆のために告命(ごうみょう)したまわく、南天竺に、

竜樹大士出於世 龍樹大士世に出でて、

悉能摧破有無見  ことごとく、よく有無の見を摧破(ざいは)せん。

宣説大乗無上法  大乗無上の法を宣説し、

証歓喜地生安楽  歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。

 

(意訳)

釈迦如来は楞伽山において、大衆のためにお告げになられた。

南インドに、竜樹という菩薩が出て、ことごとく、肯定と否定のこだわりを

砕き破るであろう。

大乗のこの上ない法を述べ伝え、歓喜地というさとりを得て、安楽浄土に

往生するであろう、と。

 

  • 「釈迦如来~」『楞伽経』に述べられている釈尊の予告。

『楞伽経』は釈尊が大慧菩薩に対して説かれた教え。この経の中で釈尊は、竜樹大士の活躍を予告される。のちに南方に竜樹という菩薩が出て、釈尊が説かれた「縁起」という法を「空」の教えとして明らかにして、世間に広まっている「有」(肯定)と無(否定)にこだわる誤った見解を打ち破り、仏教を正しく「大乗」として発展させることになるであろうと、予告しておられる。これを「楞伽懸記・りょうがけんき」といわれている。

  • 「楞伽山」ランカー島(セイロン、スリランカ)にあるとされる山。ここで釈尊が「楞伽経」を説かれたとされている。場所は特定されていない。

  • 「竜樹」ナーガルジュナ(150~250年頃)(ナーガは竜、アルジュナは樹木)。「大きな竜に導かれて大乗の法を学んだ人で、樹木の根本で生まれた人」釈尊が説かれた、仏教の根本である「縁起」(因縁生起)の教えを、『涅槃経』に基づきながら、「空」として受けとめ直し、大乗の菩薩の完成すべき智慧(般若)を明らかにした。「八宗の祖」と仰がれる。中観思想(中観仏教)の大成者。「空」「仮」「中」の三諦説を完成。

  • 「大士」菩薩 ボーディ・サットバー・マハー・サットバー ボーディ(菩提)・サットバー(薩)・マハー(摩訶)・サットバー(薩) ボーディ(さとり)・サットバー(生きもの(人))・マハー(偉大)・サットバ(生きもの(人))。

 

菩薩というけれども、ボディーサットバというインドの言葉に漢字を当てただけですから、菩薩のことをボディーサットバ・マハーサットバというわけです。悟った人・偉大な人というのが菩薩という意味だということを、古田先生はおっしゃっておられるわけです。

 

  • 「有無の見」「有見」(肯定)と「無見」(否定)に執着する誤った見解。縁起の道理に背く邪見。

 

  お釈迦様の『楞伽経』に予言があるわけです。その予言に応えるようなかたちで竜樹という人が出てこられたという考えがあるわけです。親鸞聖人は、何故この『楞伽経』を『正信偈』に引かれて、竜樹菩薩の徳をほめようとなさったのかということについては、いろいろな意見があるわけですが、私は第二の釈迦というような意味で了解をしております。やっぱり竜樹菩薩という人がいなかったならば、大乗仏教は明らかにならなかったであろう。そういう意味で竜樹菩薩という人の出現は、インドの仏教にとって決定的な意味を持った人であるわけです。

   そして、ここに八宗の祖ということが書いてあるわけですが、八宗というのは日本に伝わって来た大乗仏教を大きく分けて八つ、宗派という意味でいいますと八あるわけです。その八つの宗派は、全部お釈迦様の次に竜樹菩薩を第二祖にあげておられます。親鸞聖人も、そういう意味でいいますと、大乗仏教を明らかにされた竜樹菩薩を第二祖にあげておられます。そして浄土の教えこそは大乗の中の大乗仏教だとして、決して念仏の教えというものは程度の低いものではないということを仰りたいわけです。

   この宗派というのが、今の日本の仏教では分かりにくくなっているのですが、お釈迦様の時代に宗派なんてないわけです。お釈迦様は文字を書かなかった人ですから、その教を文字にしたのはお弟子です。お釈迦様が亡くなってから、何度か結集(けつじゅう)という、つまりいろいろな釈尊の高弟が集まって来て、そこでそれぞれの人が、自分は何時、どこで、どういうことを聞いた。例えばAという人がいうわけです。そこでBという高弟が私もそこにいた、そこであなたが言うのはその通りだけれども、ここの部分は違うのではないかというようなかたちで、それぞれ同じ時に聞いておっても、やっぱり聞き方というものがあるわけですから、お経にまとめるということはなかなか難しいわけです。お釈迦様の高弟が集まって来て、その場所において説かれた教えというものは、こういうものであったということを、皆で照合して一つのかたちを作ったわけです。現在我われのように文字を知っている人間は、文字に頼りますと記憶がどんどん退化するのです。ところがお釈迦様の時代は文字によるというより、記憶が非常に優れていたわけです。特にその中でも阿難という弟子がおられまして、この方はお釈迦様の従兄弟になる人です。阿難という人は、お釈迦様に随行され、お釈迦様が亡くなるまでお釈迦様と寝起きを共にされたお弟子なのです。ですから多聞第一というのです。この人ぐらいお釈迦様の教えのご縁に遇うた人はおらんだろうという意味なんですね。阿難という人は王族の出身ですから学識が深く、お釈迦様の教えを正確に聞いておったといわれますね。だからお経の結集の時の決定は阿難が頼りだったといわれます。そういうかたちでお経というものが出来てくるわけです。

   お経はインドから中央アジアを通って中国に来ます。中国に来た時にインドの古い言葉です。サンスクリットで書かれておったスートラ(経典)の漢訳がはじまって漢字になるわけです。中国で五千余巻のお経が翻訳されました。お釈迦様のお説教というのは対機説法なのです。機というのは人間のことをいいますが、つまり人に応じて説いておられるわけです。

   そうすると相手が学問のある人、そうでない人、男の人女の人、そして職業もいろいろあるわけです。そうしますと、その人に応じてお経が説かれておりますから、非常に内容が複雑になってきます。そして経典の内容によっては、そのまま字面だけを読んだら矛盾するものも出てくる。それは当然のことだと思います。相手によるわけですから。だからここで、お釈迦様の教えの基本はどこにあるのか。お経の中心になるのはどれかと。そこに宗派というものが出来てくるわけです。中国の宗派というのは学派なのです。例えば中国に天台大師智顗(ちぎ)という人が出てくるのです。この人はあらゆるお経を勉強して、結局は『法華経』が中心だという立場によって一つの学派をつくります。それが天台宗になります。それを日本に持ってきたのが最澄です。そして比叡山を開きます。だから比叡山というのは『法華経』を中心とした宗派です。いずれにしましても学派なのです。それが日本に来たら何時の間にか宗派になってしまいました。しかし基本には学問なのです。そして日本の仏教は、皆大乗仏教ですから、第二祖は竜樹菩薩をおくのです。なぜ、親鸞聖人がお釈迦様の次に竜樹菩薩を第二祖におかれたのかといったら、竜樹菩薩は確かに学問的には大学者です。しかし、その学問を自己に体現するためには念仏を勧めておられるのです。また次に天親菩薩が出てきます。この人も大学者です。しかし、その天親菩薩には『浄土論』という書物があるのです。そしてその論の初めに、

 

世尊我一心 世尊、我一心に、

帰命尽十方無碍光如来 尽十方無碍光如来に帰命して、

願生安楽国 安楽国に生まれんと願ず。

 

と自ら浄土往生を願っておられます。曇鸞・道綽・善導・源信・源空、皆この浄土論を座りにしておられるのです。「世尊」はお釈迦様です。私は一心に尽十方無碍光如来に帰命し安楽国に生まれんと願ず。つまり千部の論主で、学問的には「唯識」の大家ですが、無碍光如来に帰命すると言っておられる。つまり浄土往生を願いますと言っておられるわけです。それは仏教の歴史の中で皆知っています。つまり仏教は学問なのだと。学問を究めて悟りを得るのだと。皆そう言いながら南無阿弥陀仏といっておられる。それは一人ひとりの安心(あんじん)の問題としてです。やっぱり自分自身の救済となったときは、浄土を願うという伝統があるわけです。ですから七高僧の中でも、親鸞聖人のお師匠様は法然上人。その前は源信僧都という人です。源信という人は比叡山では有名に大学者でした。天台宗の碩学です。ところが天台宗の学問ではたすからんわけです。どうしたかというたら、「往生要集」を書いて浄土を願うわけです。そして天親菩薩の「浄土論」、曇鸞大師の「浄土論註」を大事にされました。しかしその時に浄土教のとらえ方は寓宗なのですね。つまり仏教は学問を中心にして、そしてそこに理論を立てそれを明らかにしていく。やがて悟りを開かねばならない。しかしなかなか開けないけれども、そうしていくのが仏教であると。確かにどんな人も南無阿弥陀仏といっておる。しかしそれは独立した宗派とは言えない。だから、それぞれの仏教に寄寓しているものであって、どんな学者も個人的には南無阿弥陀仏といっておる。しかし仏教自体というのは学問を究めて悟りを開くのが仏教なのです。できるかできないかは別です。ところが出来ないわけでしょう。できるのなら南無阿弥陀仏を称えなくてよかったわけです。ところが出来ないから、結局自分の問題としては念仏申したという伝統があるわけです。しかし浄土の教えは釈尊の教えなのです。『大無量寿経』はインドに原典があり、中国では非常に大きな影響を与えた経典です。ただその教がこの世で学問を重ね、この世で悟りを開く教えになっていない。この世を穢土として阿弥陀仏の浄土に往生して成仏すると言い、すべての者が念仏して浄土往生を願うことを勧めておられる。だから、これは悟りを求めることができない者のために方便として説かれた。仏教としては程度の低い教えに考えられていた。ところがそれに対して法然上人は違うというわけです。そして法然上人は浄土宗の独立ということをされたわけです。

正信偈 33ー2

​正信偈に聞く

 33-2 

​平成23年2月27日

   仏教は学問を究めて修行をして悟りを開くということが仏教だという考え方もある。「・・・もある。」と言ったのは法然上人なのです。しかし一体それで、今学問を究め悟りを開いている人がおるのかと、一人もいないではないかと。法然上人は当時、奈良・比叡山をひっくるめて、これだけ学問をした人はいないだろうと言われたほどの大学者です。その法然上人が、仏教には聖道門と浄土門があると。そして皆は浄土門は寓宗だと言っている。つまり個人の秘かな信仰だから寓宗だと。仮のものだから独立したものではないのだと言っておるが、そんなことはない。末法における我われのような者の救われる道は他力しかない。自力によって悟りを開くということは不可能。私も学問をした、しかし学問は結局学問でしかない。学問というのは人間の知恵ですから、人間の知恵を究めたら覚りになるかというたらならない。人間の知恵というのはどこまで行っても結局は人間の知恵に過ぎないと。だから清沢満之先生の言い方をするならば、有限と無限の問題です。さとりの世界は無限の世界だと、我われの知恵はどこまで行ったって有限にすぎない。有限なる私がどこで無限と同一するのかいうことになると、それが建前として聖道門は無限にとどくということになっているのですが、実際にはならない。お釈迦様のはどこに座っておられたのだろうか。確かに聖道門仏教が出てくる元がお釈迦様の教えの中にあったのは事実です。お釈迦様自身はあまりそういうことを言われていないのですが、お釈迦様の教えがどんどん発展していくのです、理論化していくわけです。そして学問仏教が出来上がってくるわけです。聖道門が仏教だと。浄土門というのは寓宗で、個人的なものだという建前で来ていたのに、法然上人が浄土門の独立ということをされるわけです。

 仏教をはっきりと聖道門と浄土門の二つに分けて、そして聖道門を捨てる。結局私の救いは念仏による外はないわけです。これがすべての人が平等にたすかっていく道だと。聖道門の仏教は選ばれた人の一握りの人の仏教だと。それも本当に悟っている人がおるのかということを問題にして、浄土宗を独立させるわけです。いわば寓宗ではない浄土宗ということを言うわけです。そのために法然上人は流罪になります。仏教は聖道門で浄土門の仏教は仏教ではないと、比叡山や奈良は法然上人の浄土宗の独立ということを非常に非難したわけです。

 

 法然上人は十三歳で比叡山に登って、四十三歳で比叡山を降りますけれども、三十年も比叡山にいた人です。そしてあらゆる所を尋ねて道を求めた人です。その時に極端にいったら、これは学問であって実際は聖道門で覚りを開いている人はおらんではないかと。私は善導大師の教えを通して、念仏申して救われたという体験を持った。南無阿弥陀仏でたすかるという体験を持ったと、はじめて法然上人は四十三歳の時に体験をもったのです。そこに浄土宗というものを立て、法然上人のお仕事が始まるわけです。その法然上人の弟子になったのが親鸞聖人です。法然上人も聖道門を究めた人ですけれども、それ以前の人は聖道門を建前にして、やっぱり浄土門は寓宗の立場でおったのです。しかし我が身自身の救いのことになってくれば、これは個人的なものだと。しかし、竜樹菩薩には「十住毘婆沙論・じゅうじゅうびばしゃろん」の易行品(いぎょうぼん)というものがあります。そして天親菩薩には「浄土論」というものがありますように、七高僧はお念仏の教えを非常に大切になさっておられるのです。そういうものを踏まえて親鸞聖人が七高僧の第一に竜樹菩薩をすえておられるわけです。つまり、親鸞聖人にしますと聖道門や浄土門と言っておるけれども、仏教の根本は阿弥陀如来の本願ではないか。そしてその本願が私たちの上にみなはたらいているのが阿弥陀如来の本願なのです。「本願史観」という、これは曽我量深という人の言い方ですけれども、阿弥陀如来の本願がすべての人の上にはたらいておる。そしてこれは修行や学問で明らかになるのではなくて、本当に人間は孤独な、代わってやることも出来なければ、代わってもらうことも出来ない、どうしようもないものを抱えておる。社会的地位がある、名誉がある、学問がある、金がある、それに私たちは気を取られるわけです。あの人は頭が良い、すごい人だというんです。しかし本当はすべての者が凡夫ではないのか。凡夫というところで人間の本当の完成がある。救いというものを成就しなかったら、結局人間の本当の救いはないのではないか。そういうことを言おうとしているのが『大無量寿経』で説かれておるお釈迦様の精神ではないか。そこのところに焦点を当てて行ったらすべての仏教は本願というところに納まる。だからこれは非常に大切な問題なのですけれども、お釈迦様は奥さんと子供を捨てて出家して、三十五歳の時に悟りを開いたと言われております。その時に私たちは釈迦という宗教的偉人、我われと違う宗教的偉人が悟ったと、このように私たちは考えるわけです。だから聖道門の人たちは学問的にも理解をし、自分自身の修行においては偉大な釈迦にどうして近づくかというかたちで、出家して修行しておるわけです。しかしお釈迦様のようになれるかどうかは分からないわけです。

 それに対して『大無量寿経』を読んでみると、天親菩薩が「世尊我一心」と言われたように、実はお釈迦様自身が、他の人と違う独特の宗教的な能力があって、それで出家してさとりを開いたとは書いていない。実は私が妻や子供まで捨てて山に籠らずにいられなかった、そうせしめたものがある、それは阿弥陀如来の本願というものなのだと。しかもこれはすべての人の上にはたらいていて、どんな人であろうと、どんな生き方をした人であろうと、やっぱり命終わろうとする時に、ふと感じることは空しさということでないか。いろいろやったけれども、結局人間とはいってもたいしたものではない。ああでもない、こうでもないとやったけれども、結局何を私はしてきたのだろうか。しかし最後のよりどころ、それを宗というのです。親鸞聖人は真宗といわれます。それが浄土真宗です。浄土真宗は宗派の名前ではないのです。今は何時の間にか宗派の名前になってしまってますが、本来浄土真宗というのは、浄土に生まれることが人生における真宗の宗旨です。依りどこです。この宗という字は、ムネですから、究極の依り所を宗とおっしゃっておるのです。それを真宗と親鸞聖人はおっしゃっています。それが今は何時の間にか宗派の名前になって、今度七五〇回忌だから御開山の御遠忌にお参りに行くというておるけれどもお祭りと変わらない。本当に親鸞聖人に遇っているとするならば、真宗を親鸞聖人から習いました、そしてそれが私の宗になりましたということにならなければ、御遠忌したことにならんだろうと思いますね。こういう問題があるわけです。だから、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということを本山は一生懸命いっています。それは何かというたら、お釈迦様という偉人が我われにはわからない非常に深い世界を覚って、それを人に説いたのだろう言っておるけれども、『大無量寿経』を読んでみたらそうなっていないのです。

 阿弥陀仏の本願ということがある。阿弥陀仏の本願にうながされて妻や子供を捨ててまでも遇いたいといううながしがあった。それをずっと何だったのかと思って勤苦六年の歳月が流れ、三十五歳の十二月八日に気づいたものは南無阿弥陀仏であった。それで私がこの世に生まれて来た本当の意味が分かったということを特に書いてあるのが『大無量寿経』。それを物語にしてあるのが法蔵菩薩の物語です。あれはお釈迦様の求道というものを物語にしているんですよ。求道物語です。だから法蔵菩薩というのは、お釈迦様の宗教心の表現でしょう。そういうことを親鸞聖人は受け取られて、そして法然上人のおっしゃる通りだと。どんな田舎の野人、お爺ちゃんおばあちゃんであろうと人間に生まれて来た、犬や猫と違う。人間に生まれて来たということは、命終わろうとする時に人間として死にたい。それは何かというたら意味です。私の人生に生れてきた意味は何だったか。いろいろあった、善いことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも一杯あった。人も憎み恨みもした。しかし、よく考えてみたら本当に浅ましいことであった。しかしそのことが結局は、このこと一つに遇うたの御縁だったのだと。このこと一つが宗ですよ。このこと一つが私のために用意されておった阿弥陀如来の本願という教えであった。そういう意味がはっきりさせなかったならば、人間が人間に生まれてよかったということにはならない。そういうことをお釈迦様は言おうとなさった。そして親鸞聖人は法然上人の教えを通して受け取られたのです。だから人間の世界はみな本願史観なのです。その人の上に本願がはたらいている。こういうことを仰ったということが深いところにありませんと、何か八宗の祖である竜樹菩薩を、みなどの宗派もお釈迦様の次においておられるから、我われも二祖にしていこうということになってしまいます。他の宗派が竜樹菩薩を第二祖としている意味と、親鸞聖人が竜樹菩薩を第二祖にされた意味は全然違うということです。仏教史観が違うということです。それは人間自身の意味をすべての者の問題として明らかにしていこうとしている意味があるわけです。そして、そのことを特に明らかにしていこうとしたのが大乗仏教という教えなのです。その大乗仏教を学問的にも、意味の上でも明らかにされたのが竜樹菩薩です。だから竜樹菩薩が出てこなかったならば、大乗仏教の礎というものは出来なかったであろうということがあるわけです。そういう意味で竜樹菩薩を第二祖に据えたということを申し上げました。

 古田先生は竜樹菩薩の教えについて縁起ということを言っておられます・竜樹菩薩は大乗仏教を縁起というかたちで明らかになさったのです。縁起というのは依って起こるという関係性ということを言っておるのですが、永遠に変わらない実体というようなものはこの世の中に存在しない。すべてのものは縁によって起こっている。いま今変化しておって無常なものだと。ところが人間だけが物心ついた時から我という執われを起こしてしまう。この頃保育園に行って先生に聞きましたら、人間の心が起こるのは二歳半ぐらいだそうです。赤ん坊にはないそうです。ただギャアギャア泣いているだけだそうですよ。ところが二歳半ぐらいになったら「俺が」が出てくる。「俺が」が出てくるようになると我・他が出てくるそうです。我・他があるのではないのです。それは意識なんです。我と他というものを感じる意識です。それが執です。その我執を持った途端にすべての世の中のものが、自分中心にしか物が見えなくなってしまう。しかもそれが、自分中心に見ているということが解らないということを、仏教では迷いというのです。そうすると都合のいいものがいいことで、都合の悪いものが悪いことになってしまうわけです。だから在りのままに在りのままを見ていないという意味です。在りのままと言いましたが、在りのままということを仏教では縁起といういい方でしているわけです。そしてそれが空だと。空というのは「むなしい」という字でしょう。天台宗では空仮中(くうけちゅう)というのです。何もないという意味ですかというたら、何もないならば、それは「無見・むけん、虚無」だと言うのです。見は見解という意味ですから、思想という意味です。それは一種の虚無主義です。それじゃあ何故空というのですかと尋ねると、つまり貴方が思っているようなかたちにおいて一切は存在しないという意味だと。自意識している貴方が考えているようなかたちにおいて一切は存在しない。ところが貴方は、あなたが受け取っているものを握って、そしてそういうかたちで永遠不変の実体というものを考える。それが「有見・うけん」なのです。有という見解です。普通の人間の常識は有見です。しかし仏教は、あなたが思うようなかたちで一切は存在しない。それが空という意味だとことを知りました。「縁起説について」という資料を見てください。

 

私とは宇宙の様々な関係行為の暫定的な統一に過ぎない。 真継伸彦「親鸞書簡集」より

 

 つまり、私がこの世の中に生まれて来たということも、ただ親がおって生まれて来たというだけでなくて、限りない縁、条件が複雑に入り混じって、そういうものが私の父母を父母として私を生ませたというかたちになっている。そして生まれた時からどんどん無常ですから、関係性の中で変化している。また玉城康四郎という人は、こう言っておられます。

 

今このに現れている生存の統括体、それが業熟体である。それは自己の生存でありながら自意識の届かない、限りなく深い統括体であると同時に、すべてのものとの係わりの中にあるが故に、宇宙共同体の結び目である。私的存在の極限であると共に、最も公的なものである。

 

 自意識というのは私の考えということです。人間はこんなものだと、私が決めているものがあるわけです。そういうものを自意識とここでは言ってあるわけです。それをもっと分かりやすく言おうとしたのが宮城先生なのです。玉城康四郎先生の文を引いて宮城先生がおっしゃっておられるのです。「私的存在の極限」ということを玉城先生がおっしゃっておられますから、要するに誰も代わることができない一人ひとりは、一人ひとりの命をその身で生きて行く外はない。誰も代わって生きてあげるわけにもいかないし、代わって死んであげるわけにもいかない。そういうことが「私的存在の極限」という玉城先生の言葉の意味だと言われる。要するにギリギリのところを生きているという意味です。

正信偈 33-3

​正信偈に聞く

 33-3 

​平成23年2月27日

『仏説無量寿経』の中に「身自当之・無有代者」はそれを指摘されている。正にその命の事実を押さえている。しかし同時にその命は、因縁生起せるものである。もろもろのものとの係わりにおいて成り立っている。縁起ということですね。

 のっぴきならぬ係わりをもって存在している。一つのものが変われば全体が変わっていくような、そういう密接な係わりをもって存在している。

 ところが今日において、私たちは、そういう命の公的な面を限りなく切り崩して、私的な面での充足・拡大という事に一生懸命になって生きている。そして、自分の存在をどこまでも自意識でとらえて、自意識をもって動かして生きていこうとしている。命自身は自意識の届かない深さをもっており、広がりをもっているにもかかわれず、それを自意識で生きていこうとする。しかしそれは命の事実に背いているから、ほころびが出てくる。自意識で全体を包もうとするが、その努力が常にほころびる。そこにこころの不安が出てくる。

 

また人工という事について、

 

 科学の力によって人間は何でも知ることができるようになり、そして科学の力で何でもつくることが出来るようになってきた。結局、科学における全知、技術における全能を手にいれて、現代人はいつのまにか全知全能の神になった。そのようになった人間は、この世に第二の世界を作りつつある。その第二の世界とは、人工の世界である。そういう人工の世界では、自然は人間にとって命を通わせながら生きる存在ではなくて、自然が第二の世界を作るための建築材料に過ぎない。 ~

 人工の快適な世界を作るために、山は海を埋める砂であり、木はいろいろなものを作る木材に過ぎないとエーリッヒはそんな言い方をしている。 宮城顗「親鸞思想の普遍性」より

 

 これは非常によく分かるような気がするのですね。人間は自分自身の考えや自分自身の技術力というものを信頼し、それによって私の思うような世界を作っていく。それが人間にとって一番幸せな事であり、そうすることが人間の生きる目的だというようにさえ考えてしまっているのではないか。それが「第二の世界」というおもしろい言い方ですが、つまり「人工の世界」だと。そうすると我われの世界と自然の世界とが隔絶するわけです。自然の中に我われは生きてきている。「自然・自然と言っておるが、そう言っているあなた自身が自然だ」と解剖学者の養老孟司さんは、そういう言い方をされています。あなたの身体自身が自然なのだと。あなたの自由にはならないのに、いかにも自然は人間の外にあるもののように言って、そして自然を大切にしようというようなことを言っている。それはやっぱり部分的な考え方だという事を養老孟司さんが何かに書いておられました。そういう問題は我われにはあるでしょう。

 それがどんどん極端になっていくと、人のことなど思っておられない。とにかく自分の思いの中で、「ほころび」というのは、その人にとっては、にっちもさっちもいかないものになってきているのだと思いますよ。今日の新聞で大阪から鹿児島へ行くバスを、鹿児島大学の学生が広島付近で横転させたという記事が載っていました。本人にしたら何か必死のようなものがあるのではないかと思いますけれども、何か非常に狭い、自分の思いの中だけに入りこんでしまっている。しかしそれが分からない。何か自分の思いがすべてであるかの如く思い間違ってしまう。そういう人が今からどんどん増えてくるのではないかと思います。しかし話してみれば素直ないい子だと思いますよ。だから思うようになるのが本当だという事になってきますと、思うようにならんことが耐えられなくなります。そうなったら非常に傲慢な、謙虚さの無い生き方になってしまいます。しかし本人はその意識はないだろうと思いますね。傲慢だとか自己本位だとか、そんな意識はないと思いますよ。何故かというたら、全部人間の思うようになるような世の中になってきて、そこを生きていますから。そうすることが人間にとって幸せであり、人間の生きるたった一つの道だというように思ってしまう。だから、そういう問題が人間にはあるのだということを、二千年前に竜樹菩薩が言っておられるわけです。お釈迦様の教えの根本は縁起にあるというのです。

 縁起というのは『華厳経』でいえば「一即一切・一切即一」というのです。「一」というのは部分です。「一切」というのが全体です。それが即しているというのが縁起という意味なのです。関係しあっているという意味です。例えば本堂でいいますと、沢山の柱、そして梁、桁、棟木、垂木、瓦とか釘まで入れれば何万という部品が集まって一切(全体)が出来ているわけです。それを一という部分ということですから瓦を止めている釘一つと本堂は即しているということは関係しあっているということなのです。ですから全部きちっと在るべき場所にあって、それが機能している時に完全なのです。そういうことを仏教は言うわけです。その時に、例えば柱でもよく見えるところにある柱と見えにくい隅のところにある柱とあるわけです。人間はどうしても我執を持ったものですから、人間も本堂に譬えるならば、その人その人の業に応じている場所が違うでしょう。会社でいえば社長と従業員というようなものです。社長さんは値打ちがあって従業員は劣るというような考え方で会社はできているわけです。そうすると人間というのは、どうしても優越感と劣等感というものに執われていくわけです。ところが縁起でいうならば目立つところにある柱と瓦を止めている釘一本とが価値に違いはないということを言っておるわけです。しかもこの釘を釘として成り立たせている、つまり成りきるという事が、この柱を柱として成りきるということと関係しあっているということです。だから、それぞれのものがそれぞれのところで、その分を尽くすという事におして、その者もたすかり全体もたすかる。そういうことをここで言っておるわけです。関係性ということを言っておるのはそういうことなのです。だから、その時に価値に違いはないということを言いたいのが仏教なのです。

 自由とか平等とか人権とか、そういうことを言っているのではないのです。それは民主主義という思想です。仏教はそういうことを言っておるのではないのです。だから「分を尽くして用に立つ」と金子大栄先生は言われますけれども、つまり家の柱なら柱、釘なら釘、それがそれになり切る。そして用に立つというのはお役に立つということです。そういう意味を一人ひとりが今おかれているところで、きちっと受け取ることが本当は幸せなのだと。そのことがはっきりしなければ、いつもああなれば幸せになるだろう、こうならんから幸せにならんのだという考えに振り回されて現在を見失ってしまうわけです。現在がない生活は夢を見るような生活です、だからなり切るということがない。信心というのは現在・今というものを見つけ出せようという教えなのです。どういう現在かというたら、気づいてみたら都合が良いとか悪いとかあるけれども、いろいろな物に、いろいろな人に支えられて私があるという面と、今度は自分が与えられているところに尽くすということが、私もたすかり皆もたすかってくださるということだと深く信じられるかどうかということなのです。ですから、もろもろのものとの係わりにおいて成り立っている。縁起ということですね。のっぴきならぬ係わりをもって存在している。一つのものが変われば全体が変わっていくような、そういう密接な係わりをもって存在している。

 だからバスのああいう事件を聞いたら悲しいですね。私は事件を起こした人を知らないし、直接は関係のない人です。しかし、そういう生き方しかできない人を見ると、悪い人だとは思わないけれども悲しいですよ。この世の中は、皆本当にどこかで係わって生きているわけですからね。そういうことが解るということが救いなのです。何か祈ったり拝んだりしておれば、私の思い通りになったという、だから幸せになった、お陰だということではないのです。そういうことを仏教は言いたいのではないのです。だから、そういう意味の本来というか、自然そのものに私たちがかなうということを、仏教は言おうとしておるのだということを竜樹菩薩は縁起で言おうとしているわけです。

 

 今日は竜樹菩薩を親鸞聖人が、特に仏教の第二祖にすえられたということと、そして竜樹菩薩は仏教の根本は「縁起」だということを言おうとなさったということを中心にお話をしました。親鸞聖人の言葉に、

 

阿弥陀仏は、自然(じねん)のようをしらせんりょうなり。 正像末和讃 聖典P511

 

という言葉があるのです。阿弥陀というのは自然です。私の計らいを超えてあるがままの、いわゆる一即一切ですね。「りょう」というのは手立てという意味です。そしてこれが親鸞聖人の究極の世界です。親鸞聖人は「御消息」にも、仏教というのは自然ということだと、はっきり言っておられます。自然(しぜん)ということではないのです。私たちは自然を離れておるわけです。我執にとらわれてしまって、自分も分からん物も分からん、それが人間にとって一番不幸なのだと。そこに帰らせようと、自然(じねん)の相に帰らせようと。自然(じねん)が一即一切・一切即一なのです。小さいものに執われているものを超えた本来ということです。だからそれが分かれば、例えば朝起きて家族と会っても、明日があるのかないのか分からない命なのですから、今日という日を「おはよう」という。夜になれば、明日があるのかないのか分からんから「お休み」というと、私の先生はそう言っておられました。隣の人にはおはようと言って、家族にはおはようと言わん。そういうことが本当に分かると、その今はどれだけ多くのものに支えら、そして多くのご恩がある今、それに対して自分がせずにはおれないことをする。それが御恩報謝という意味なのです。御恩報謝というと向こうに如来様を考えて、それに対してどうかするのが御恩報謝と考えがちですが、仏教は仏様の教えですからね。何かそういうことをおっしゃる基本のようなものが竜樹菩薩の教えなのです。だから「有無の邪見を破る」と、こう言ってありますけれども、仏教というのはどういう教えなのかということをお話ししました。今日は基本的なことを申し上げました。

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