​正信偈に聞く

 5-1 

​平成20年8月27

 先月の例会の折、M夫人から一つの問題提起がなされました。その後、ちょっとの時間皆様のいろいろなご意見をお聞きしましたのですが、その問題提起が非常に大切なことであるように感じられまして、次回の宿題にいたしました。私もその後、感じるところもありまして、新聞などを読んだりしていろいろ考えてまいりました。今月はそのことを主題としてお話いたします。

 Mさんがお話しなさったことは、あるお医者さんがおられて、そのお医者さんが救急で入って来た患者さんの処置をなさったのですが、その処置について自信をもっておられた。その後、結果的に患者さんが亡くなられた。そうしたら患者さんの家族の方が、そのお医者さんを医療ミスで訴えたということでございます。ですから、そのお医者さんは弁護士の人などとも相談なさって、その訴えを受け裁判で白黒をつけようと覚悟され、裁判が始まったわけです。しかし、救急医療について、自分としては医療ミスをしていないと思っているけれども、結果として相手の人が亡くなっておられますからね。それで家族の方の心情を思ったりなさったのでしょう。白黒ということになれば、自分としては黒ではないけれども、こういう問題を裁判で決着をつけるということは、はたして正しいい方法だろうかと思われたわけです。

 実は、そのお医者さんは以前から加藤辯三郎という先生について仏法を聞いておられた方なんですね。ですから、自分が常に教えを聞いておられた加藤先生にそのことを相談されたそうです。そこで、加藤先生は自分の先生である金子大栄先生に電話で相談されたようです。そういうことから、そのお医者さんは金子先生と電話で直接話が出来たそうです。その時に、金子先生が電話の向こうで、その裁判に向かわれるについて、「自分が悪かったという気持ちをもって裁判に向かいなさいませ」というようにおっしゃったそうです。自分は医療ミスはなかったと思っておるわけですが、しかし「自分が悪かったという気持ちを持って裁判に向かいなさい」と、金子先生がアドバイスなさったことがきっかけになって、結果的には向こうの言われる通りに、つまり和解というかたちで決着をつけられたそうです。この話は随分以前のことです。

 ところが、このごろある会でそのことが話題になったそうです。その時に、「悪いと思っていながら善いというのはいかんけれども、自分は間違っていないと思っているならば、それを通せばいいではないか。仏法を聞いておるということは、自分が悪くなかったと自信を持っているのに、敢えて自分が悪かったというべきなのか。そうすることが仏法を聞いておる者の在り方なのだろうか。」と疑問が出たというんですね。これは大事な問題です。それがひとつです。

 もうひとつは、先月柳川の山門西組の「大衆供養」が行われました。その時の講師が小川一乗先生という前大谷大学の学長をなさっていた方で、今は教学研究所の所長をしておられる先生です。その小川先生のお話しの中で、事情は分かりませんが、トラックの運転手さんが、ある時運転中に急に子供が飛び出してきて、そのために子供を轢いて死なせてしまった。そのトラックの運転手さんは、自分の犯した事故に誠意をもって、その子供の通夜にお参りなさった。その時に御両親の態度はどうであったか分かりませんが、ともかく通夜に参列して、針の筵に座っているような思いで通夜を勤めて、その場を出られたわけですね。そしたら子供さんのおじいちゃんが、「子供が急に飛び出して、貴方に大変ご迷惑をかけた。だから貴方は非常に苦しんでおられるだろうけれども、これはこういうご縁だったのです。貴方に申しわけなかった。」といって、おじいちゃんが詫びられたと。そういうことが実際にあったらしい。小川先生はそのおじいちゃんの態度が、仏法を喜ぶ人の態度だというような趣旨の話をなさったんですね。それもちょっと考えてみますと、子供が突然飛び出して来たといっても、トラックの方が前方不注意になるんです。だから悪いのはトラックの運転手さんで、轢かれた子供の家族は被害者なんですね。しかし被害者が罪を犯したトラックの運転手さんに「ご迷惑をかけた。すまなかった」と言われたことを、小川先生は非常に立派な人だといわれたと。

 これらの例を通して、仏法というのは、いつも悪かった悪かったといわとならんような教えなんだろうか。そういうことが「念仏申す」ということなんだろうか。そういうことがどうもはっきりしない。しかし、こういうことは落ち着いて考えると全然わからんことではないですけれども、しかし、現実に自分の家族の上に起こった時に、果たしてそういう態度がとれるだろうか。こういうことが先月の例会で話し合われました。これはなかなか難しい。私たちにはなかなか分かりにくい問題だということを思いました。

 それで、前回このことを考えていく時のヒントとして、蓮如上人のお言葉を申しておきました。

 

(160)「総別、人におとるまじき、と思う心あり。此の心にて、世間には物もしならう(仕習)なり。仏法には、無我にて候ううえは、人にまけて信をとるべきなり。理をまげて情をおるこそ、仏の御慈悲なり」と、仰せられ候う。 蓮如上人御一代記聞書P883

 

 蓮如上人は八十五歳で亡くなっておられますが、蓮如上人のお弟子の中に蓮如上人の言葉を書き残した人が何人かおられまして、亡くなられた後にお弟子によって、『蓮如上人御一代記聞書』というものがつくられました。その中に「人にまけて信をとるべきなり」という言葉があるのですが、今回の問題を考えるときのヒントにならないだろうかということを前回申しておきました。

 

「まけて」ということは、昔から年寄りは若いもんに勝ったってしょうがない。俺は間違うとらんと思うけれども、ここは負けとったほうがいいと言って、「負けて勝つ」といったりしていましたが、そういうことではないんです。ここで言ってあるのは、世間で勝ち負けという人間の価値ではなくて、勝ち負けの世界を離れて「信をとるべきなり」と言ってあるわけです。南無阿弥陀仏の信心が浄土に生まれる種です。その南無阿弥陀仏の信心しか浄土に往生する道はないんです。だから「信をとるべきなり」ということは、浄土往生の一道に立つということが「信をとる」という意味なんです。勝つとか負けるとかいう話ではない。そして、そこに救いはないんだと。だから、そこを離れて浄土往生の道に転ずるということが「信をとるべきなり」という意味だという話を前回しておきました。

 

〇 加藤辯三郎  昭和期の仏教者,実業家 協和発酵工業会長。

 

〇 金子大栄  1881年明治14年〉5月3日 - 1976年昭和51年〉10月20日)は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶仏教思想家。

 

​正信偈に聞く

 5-2 

​平成20年8月27

 今お配りしたものは、朝日新聞の8月24日の朝刊に載っておった,作家の石牟礼道子さんの「夏に語る」という一文です。経歴が書いてあります。

 

 作家 石牟礼道子さん(81歳)

 1956年 5月1日、水俣病の公式確認

 1958年 詩人谷川雁氏、記録作家上野英信氏らと同人誌「サークル村」に参加

 1968年 水俣病患者を支援する水俣病市民会議の結成に参加。政府が水俣病を公害病と認定

 1969年 「苦海浄土―わが水俣病」を発表。患者らがチッソを相手取り損害賠償請求訴訟を起こす

 1973年 患者側が勝訴

 1974年 「苦海浄土」第三部「天の魚」を刊行

 2002年 水俣病をテーマにした新作能「不知火」を発表

 2004年 未完だった「苦海浄土」第二部「神々の村」を刊行し、三部作が完結。全集「不知火」の刊行はじまる

 

 この方は、水俣に身をおき、水俣の患者さんとともに生きておられる作家で、「苦海浄土」という文学作品は非常に有名です。水俣病は公害の原点と言われておりますからね。それを石牟礼道子さんに語ってもらった記事です。

 

夏に語る 

 「人さま」思いやる心 取り戻して

 

   終戦のときは十八歳で国民学校の代用教員をしておりました。研修で佐敷(現熊本県芦北町の教員養成所に行きました。ラジオがなくて玉音放送は聞いておりません。所長さんが「よく聞こえなかったが、戦争が終わったらしい」と言われました。みんなが黙っている、その静けさが印象的でした。ミンミンゼミだけが鳴いていました。実にほっとしました。もう飛行機は飛んでこんじゃろうわと思いました。爆弾が落ちてこないことがうれしくて。

   戦時中は男の先生が召集でいなくて、受け持ちの生徒が増えて九十人になりました。家庭訪問すればお父さんたちがいないし、お兄さんたちもいない。村が荒れ果てていくんですよね。戦死した家族の生活はどうなるんだろうと心配でした。戦争って何だろう、国家とは何だろう。幼い頭で国家と戦争、村と家について考えよりました。あれには腹が立ちました。

   高等科を出た少年たちが満蒙開拓義勇軍に入るというので職員室にお別れに来ました。軍事教練の先生が「そのお礼の仕方は何か」と怒って、「『行ってきます』じゃなくて『行きます』と言わんか。生きて帰って来てはいかん」と怒るんですよ。戦後の反動は大きかった。使ってきた教科書は軍国主義的なところを消さにゃならんといって、私は非常に抵抗を感じながら生徒たちに墨をひかせました。昨日までは「撃つてし止まむ」とか「鬼畜米英」と言っていたんですよ。今日からは自由主義、民主主義と言って、民主主義がいいかもしれないけど、戦勝国のいいなりでよいのだろうかと思いました。

   死んだ人たちに何て言えばいいのだろうか、靖国にまつられて神様になんなはったというけれど、日本の近代化はペリーの黒船が来て始まりました。近代化とは新しいことがいいとされ、日本の古い習慣をすべて捨て去ることでした。人情を忘れて、地縁血縁のきずなを捨てて。それを取り戻さないことには、日本は自滅するような気がします。

  家のつくり方もそうですね。縁側に近所の人たちが寄ってお茶を飲んだり、お年寄りが集まってそこへ孫が来て、せんべいをもらったり、その縁側がなくなりました。共同体には問題がいろいろありますけれど、小さな共同体が失われ、きずなが断ち切られてきましたね。そうなると「他人のことはどうでもいい」と助け合わなくなった。人を殺しても平気な世の中になった。肉親さえ殺すことになった。近代化された標準語で他人、他者ですが、私が生まれた天草では「人さま」と言います。人さまを大切にする、隣人を大事にする、ゆきずりの人であっても縁を感じて大事にする。それが地方や村でもなくなってきていますね。代わりに博愛主義や人道主義が育てばよかったのでしょうが育っていません。結果的には勝ち抜き社会を目指してきたのでしょう。そしてお金がこの世の一番位が高いものとみんなが思うようになった。負けた人はどうなるのか。生きる意味がないのか。心の問題は置き去りにされてしまいました。悩みを持った人がたくさんいる。人さまの苦しみを分かる人がふえてほしい。

 

 

 水俣が背負った近代化の罪

 

 東京の街を見ると「あらあ、墓場じゃ」と思います。ビルがコンクリートの卒塔婆のように見えます。草がないでしょう。私が育った水俣の渚にはススキやグミの木、野生の菊、昼顔が生えていた。草花がいっぱい育ったところは呼吸がしやすいんですよ。水俣病を起したチッソは近代化の一つの象徴ですね。このごろチッソは「責任はもうよかろう」と言いよる。九十五年の政治解決で一人260万円で決着したと。「それより後に出てきた患者は患者かどうかわからん」と言ってますよね。「いつまでも責任はない」と言わんばかりでしょう。「魂消り・たまがり(驚き)」ますね。患者さんは今からも苦しんでいかれるのに、こんな世の中だから言えるんでしょうけれど。誠心誠意の謝罪の気持ちと罪を償う気持ちが低い。日本人のモラルを低下させたお手本ですよ。(59年末にチッソが患者と結んだ)見舞金契約のときは患者さんに判子つかせるためにいろんな手を使った。「はよ押さんと見舞金をもらいださんぞ」と風評まで流して。

 二月に水俣病患者で語り部の杉本栄子さんが亡くなりました。栄子さんの「水俣病はのさり(たまもの)」という言葉ですが、自分たちにかぶさってきた運命は黙って引き受けるということでしょう。水俣病以前にも悲惨なことはあった。誰かのせいにはせず「たまわりもの」ととらえる。そんな考え方は庶民の中にはあったと思います。魂が深いのです。栄子さんは「今夜も祈らんば生きられんとばい」「許さんことには生きられんとばい」と言っていました。「(自分たちを差別した人たちを)呪う、憎むのはもうきつか。苦しくて生きられん」と。言葉で赦すのではなくて、許した分を、向こうの罪を自分が背負う。もう菩薩さまですね。水俣病は日本の近代化のマイナスを引き受けたんですよ。それを日本人に忘れてほしくないと思います。教養がなくなりましたね。教養をひけらかす必要はないけれど、今は「バカ」を売り物にするのが受けているようです。あんなテレビを見ていた子供はみんなバカになりますよ。教養は品性をつくるものですが、品性がなくなりました。

 

​正信偈に聞く

 5ー3 

​平成20年8月27日

 ここで、今日の話の流れとしましては、石牟礼さんの「夏に語る」の一番最後のところですね。

 

 二月に水俣病患者で語り部の杉本栄子さんが亡くなりました。栄子さんの「水俣病はのさり(たまもの)」という言葉ですが、自分たちにかぶさってきた運命は黙って引き受けるということでしょう。水俣病以前にも悲惨なことはあった。誰かのせいにはせず「たまわりもの」ととらえる。そんな考え方は庶民の中にはあったと思います。魂が深いのです。栄子さんは「今夜も祈らんば生きられんとばい」「許さんことには生きられんとばい」と言っていました。「(自分たちを差別した人たちを)呪う、憎むのはもうきつか。苦しくて生きられん」と。言葉で赦すのではなくて、許した分を、向こうの罪を自分が背負う。もう菩薩さまですね。

 

 この言葉に、私は非常に感銘を受けたわけです。こういう人がおられたんだと。水俣病になられた方は、漁師さんなんですね。毎日チッソが出した廃液の中にある有機水銀、それが魚の体の中に入ってくる。それを何も知らずに多量に食べたことによって、人間の体の中に有機水銀が蓄積されてくる。この有機水銀というのは体外に排出されないんですね。そして人間のあらゆる器官、特に脊髄を侵していく。そして激しい苦痛に苦しめられる。そこで、公害だと患者さんたちがチッソを訴える。はじめは水俣チッソは公害とは認めませんでした。しかし、熊本大学の原田正純という先生が中心になって、その病気を調べられて、これは有機水銀による公害だということをはっきりさせなさったわけです。

 水俣市はチッソの企業城下町なんですね。今は大牟田の三池炭鉱は潰れましたけれども、つまり、三井によって大牟田が成り立っていたように、水俣市はチッソによって町が成り立っているわけです。だからチッソには甘えもあったでしょう。そしてチッソ自身が、この廃液の中に有機水銀が入っているという科学的な認識も甘かったでしょう。しかし、廃液を猫に定期的に飲ませたらキリキリ回って倒れたというようなことが、チッソの中で実験して分かった。だけど、それを言えば公害病にということになって、チッソがいろいろ不利な立場になるわけでしょう。だから公害病だと言わなかった。

 当時、水俣の市民は公害という認識が浅かったでしょう。また病気になった人は数も多くなかったし、社会的にも弱い人たちでしたから、逆に訴訟を起こした人たちを憎んだでしょう。水俣の街はチッソで成り立っているわけですから、チッソに対してはむかうということは、水俣市民全体の生活をも脅かすことになるわけです。だから憎みましたし差別もした。しかし、熊本大学が「これは公害病だ」ということをはっきりさせたということもあって、公害訴訟を起こして、その責任を問うていくことになります。

 水俣病は日本の公害の原点です。そういう中で病気になった人に対して、これは一時金として二百六十万の見舞金を出すということになりました。これはご存じのように社会党が政権をとって、村山さんが総理大臣の時にこういうことをなさいました。ところが地域社会の人は公害に対しての認識は、今のようにはっきりしたものはなかったのでしょう。同じように水俣湾の魚を食べていても病気の出た人と出ない人がいたようです。そして病気になった人にだけ金が渡った。そうしますと金を貰ったものと、そうでない人との間にトラブルが起きて来て、そうしたらあの人はいいなと。あれは公害ではなく前世からの業病というようなことを言いだしたんですね。公害ということが科学的、医学的にはっきりしていても、そこに金が動くと人間は変わるんです。いろんなことで患者の人たちが苦しまれた。患者さんにすれば、病気さえ治ればよいわけですが病気は治らない。そして胎児性の患者さんもいる。本当は金などいらないわけでしょう。不治の病で苦しみ、近所の人から同情されるどころか差別される。この公害は病気の問題だけでなく地域社会の人間関係までズタズタにした。

 この杉本栄子さんは、そういう中で苦しみぬいたと思いますね。そして、それを破ったんです。突き抜けたんです。それを端的にいうと「もう恨むのはきつか」と言っている。これは非常に大事なことなんですね。その善悪に立っている世界に「人にまけて」、そして「信をとるべきなり」と。善悪を超えて浄土往生の道に立てということを、蓮如上人は仰るんですね。自分を善人として、相手を恨んだり憎んだりするのは人間の業の生活です。当たり前のことなんです。なぜかというと、自分が善人で向こうが悪い。それはそうです。チッソが悪いんです。これは間違いないですね。チッソが悪いんだから、それを恨んだり憎んだりするのは、善人として当たり前だといいますけれども、それも苦しい在り方です。たとえ善人でありえて相手を憎んで、身と心を煩わし悩むという、これも地獄です。それは、正法を見失う心だと。だから、この煩悩(ぼんの。う)を超えるということは、煩悩に救いはないということに決定して、そこに立ち上がる。

 清沢満之(きよざわまんし)先生は、それを「独立自尊」といわれた。煩悩の生活は自分を大切にしているようで、実は自分を卑しめ貶めている。そういう自分の煩悩と真正面から向き合う時、かえって、いかに煩悩の強い人間かと思い知らされる。だから『正信偈』の中に、「不断煩悩得涅槃」(ふだんぼんのうとくねはん・煩悩を断ぜずして涅槃を得)と言ってあります。煩悩があるものが凡夫(ぼんぶ)です。煩悩のないものは仏です。たとえそれが、善人としての行為であっても煩悩は煩悩なんです。だから煩悩の世界が穢土(えど)なんですね。涅槃というのは、それがなくなった悟りの世界です。ところが親鸞聖人は「煩悩を断ぜずして涅槃を得」ると。これは矛盾です。人間というのは煩悩と一生懸命に向き合って、頑張れば煩悩が無くなるという可能性の上に立って、聖道門(しょうどうもん)の人は修行なさっている。そのこと自体尊いことなんですが、それほど人間の煩悩は簡単なものではないんです。

 五劫のあいだ修行なさったとか、兆載永劫のあいだ修行なさったということは、何を言ってあるかといったら、人間が見ている私を超えて、人間存在全体が煩悩によって、言いようのない深い迷いの中を、今日まで生きてきたということを現わしてあるわけです。それをどう知らしめして超えさせるかというところに、如来のご苦労があったという教えなんです。だから、その時に「もう人を恨むのはきつか」と。どれだけ自分が善人であっても、恨めば善人も悪人になります。つまり、煩悩で成り立っている世界に救いはないのだということを知らせたものが如来の大悲です。

 私たちは、なかなかその世界が分かりません。勝てばいいと思っているわけですから。その全体を見通して、そこに救いはないということを言っておられる。それを離れて涅槃の世界を求めよというのが南無阿弥陀仏という、私たちへの如来の招喚(しょうかん)という教えです。お前が悪い俺が善いということでなくて、如来の大悲の前に身を投げ出して、念仏申して、そのおおせに順う。そういう世界以外に人間が本当に救われる道はないのです。

 この公害を起したのはチッソなのですが、戦後の日本政治の経済優先の象徴がチッソです。その時代の大きな渦の中に巻き込まれてしまった。巻き込まれた人は世間的に悪も何もないですよ。本当に世間の片隅で真面目に生きてきた人たちです。そういう人たちが、たまたま国の大きな経済発展の中で犠牲になった。だから公害としてのチッソを訴えた。それは何故か。それは日本で代表される水俣チッソという企業が、日本経済を支え日本全体を豊かにして、経済大国にまで押し上げた。それを邪魔するものを政府の方が潰そうとしたわけです。そして裁判の方もそれに依っていた側面があります。ところが熊本大学から公害認定があり、結果的に水俣チッソは国からも見放されたような格好になってしまいます。そういう意味ではチッソも気の毒ではあるわけですね。しかし、国も水俣市民もチッソを潰したらいかんわけです。潰してしまうと水俣の人たちも困る。患者さんにとっては将来の保証の問題もあるわけです。そういうことを考えると、この世の中というのは、どこまでが善で、どこまでが悪か。そしてどこまでが正しくて、どこまでが正しくないのか分からない。そういうバランスの中に私たちは生きているわけですね。

 

 

 

〇原田正純 (1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師学位医学博士。 著書 『水俣が映す世界』日本評論社他