​ 浄土真宗の教え 

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「願海」2020年11月掲載

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は私達にはその生き方全体に自己に固執するみにくい執着心があり、その為にその行為が結局「自と他をへだて」共に苦悩の世界に陥る結果になるということ、そして、その「自力の心」をどう乗り越えるかという根本問題を教えられているのが念仏の教えであるとお示しくださっています。

 私は昭和五年、1930年生まれで、今年八月六日で九十歳になります。私は子供の時から非常に病弱で周囲からこの子はとても長くは生きられないだろうと心配されていたらしいのです。その私がともかく今日までこうして元気に日暮しをさせていただいているのは、ひとえに仏法はもとより、妻をはじめ家族の支え、また多くの皆様のお陰であります。

私は今から四年前、柳川病院で大腸癌の手術を受けました。色々な検査の結果大腸癌と言われた時はさすがに緊張しました。一ヵ月前に兄が肺癌で亡くなっていました。兄は私と二つ違いで八十八歳でした。その通夜や葬式に立ち会って帰ってきて、その直後に私の大腸癌が見つかったわけですから、何か死の予感のようなものを非常に強く感じていたのでありましょう。

 入院してたまたまベッドに横になっている時、これは本当に今まで体験したことのないような不思議な体験がありました。それは私の八十六年間が走馬灯のように私の心の中に鮮明に現れる不思議な体験でした。小説などで崖などから転落したその何秒間に、その思いの中に今までの自分の生涯の出来事が走馬灯のように現れるというようなことが書かれたものを読んだ事がありますが、全くそういう体験がありました。

 私は小さい時から体は虚弱体質で特に少年時代の戦時体制の時代では体の弱い者は役に立たぬ存在でした。学校の成績も悪く、何一つ自信の持てぬ性格で全てのことに消極的な劣等感の塊のような人間でした。兄は私と全く反対で、学校の成績も良く、非常に健康ですべての事に積極的な人間でした。中学三年の時に予科練に入り飛行兵として活躍し、戦後は復員して新制高校に編入し、国体に出て水泳の選手として活躍するような兄でした。大学を出て社会人になってからも非常に優秀な社会人として、その組織の中で優れた地位を得ました。その兄といつも周囲から比較されているような意識が私に強く、本当に愚かな悲しい自分であったということです。

 そうした私の青年時代の姿が鮮明に出てきました。そしてその私が善き師によって、念仏の教えに出遇い、その教えによって全く違った人生が与えられて今日がある、その私の今までの人生全体が走馬灯のように出てきたのです。私はその場に身を投げて号泣しました。そういう不思議な体験がありました。そういう意識の中に仏法の大先輩である大石法夫(おおいしのりお)先生の「心を追うな、光をいただけ」という言葉がひらめき、また「善きことも、悪しきことも業報(ごうほう)にさしまかせて、ひとえに願力をたのみまいらすべし」という親鸞聖人のお言葉が働いてくださって我にかえり、念仏申させていただいて静かな平常心を取り戻すことができました。

 この体験は今までの私の人生を根底からひるがえす体験でした。永い間尊い念仏の仏法にお遇いし、また縁ある皆様に仏法についてお話をしていましたが、やはりそれはどこか今一つはっきりしていなかったものがあったようです。然しこのたびの体験は身も心もただ南無阿弥陀仏ということをいただく体験でした。そして、それはそのまま、その生(い)き方に自然に現れました。例えば今私は隠居所で妻と二人で日暮をしていますが、朝起床して洗面をすませ、二人で机に向き合ってお茶をいただくのが習慣になっているのですが、その時私は机に手をついて妻に向って「おはようございます。今日もお世話になります。有難うございます」という挨拶を始めました。はじめ妻はびっくりしてあわてたようですが、妻も同じように挨拶してくれる、それが習慣のようになりました。私は広島県の田舎の人間です。妻は宮崎県都城の人間です。その二人が結ばれ今日までこうして寄り添って生かされていることの不思議を改めて気付かされたのです。そして、妻は今日まで本当によく尽くしてくれました。然しお互い明日は分かりません。何時(いつ)までも今の状態が続くように漠然と考えているのです。その思いこそ「自己に固執する執着心、つまり自力の心」です。確かに存在するのは現在、唯今です。一寸先はわかりません。「念仏のみぞまこと」であることをこの度の体験が私の迷いの心に厳しい警告を与えていただいたのです。念仏、南無阿弥陀佛は自力の心で迷いの中でさまよう私たちに、そこに真実の救いはない、真実の世界である浄土を願えと呼びかけてくださる他力、大悲の呼び声です。私達の知恵はこの自力の心の虜になっていて、結局自己中心の境涯を超(こ)えることは出来ないのです。この度の病気は私にとって本当に有難いご縁でした。しかし、それも尊い仏法、念仏の教えのご縁をいただいていたお陰であります。              

   

 

                             

 

​ 浄土真宗の教え 

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「願海」2021年1月掲載

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は私達にはその生き方全体に自己に固執するみにくい執着心があり、その為にその行為が結局「自と他をへだて」共に苦悩の世界に陥る結果になるということ、そして、その「自力(じりき)の心」をどう乗り越えるかという根本問題を教えられているのが念仏の教であるとお示しくださっています。

 私は以前、東京新宿の専福寺から出されている寺報の中の、今も忘れる事の出来ぬ記事を思い出しています。それは寺の報恩講でご講師がお話しなさった事を要約されたものですが、認知症になられたお母さんの介護で、非常に苦労されたある一人の女性のお話しでした。その人は滋賀県の岩根ふみ子さんという念仏者のお話です。お父さんが非常に熱心な念仏者であられた影響もあり、幼い頃から仏縁(ぶつえん)が深く、成人され結婚されてからもその御門徒(ごもんと)の寺で熱心に聞法(もんぽう)されている人のようです。

 ところがその人のお里のお母さんが老化からくる痴呆症になられ、お兄さんからそのことを聞き、お里に帰ってお母さんに会われます。お母さんは静かに座っておられ、その前にふみ子さんが座って話しかけるのですが、肝心のお母さんがその人の話しかけに対し分かっておられるのか、分かっておられないのかが分からない。全く反応を示されない。そのお母さんの姿にふみ子さんは愕然とされます。

 そして一番困ったことは、そのような状態であるために、昼間家族と共に家事を手伝ったり、会話をすることも無くなり、お母さんはただ部屋にこもって昼間から寝ておられるような状態である。そして夜になって家族皆が寝静まった頃、一人戸外に出てそこらあたりを徘徊されるようなことが始まった。そのため警察のお世話になったり、近所の人から連れてこられたり、家族はそのために困りはてているが、かといってどうすればよいかが分らないのだという話を聞かされ非常に驚かれます。

 それからしばらくして何人かの兄弟みんなにお兄さんから呼び出しがかかり、みんな集まったところで、お兄さんから夜だけでよいから交代でお母さんの面倒を見てくれないかという話があり、結局兄弟みんなで協議し、そうすることが決まります。ふみ子さんもそれを了解して決められた日の夜、お里のお母さんの部屋でお母さんのそばで寝るために出かけることになりました。結構大変だけれどもお兄さん一家の事を考えると、むしろ苦労をかけた母への恩返しと考えて出かけましたが、それが実は大変な事であることを思い知らされる事になります。ただ黙って座っているお母さんのそばに居ても会話も出来ず、娘の自分を娘と分かってもらっているのかさえ分からないで、ただ向き合って座っている状態は耐えられない姿でした。そして昼の間眠っているお母さんは夜になっても中々寝ようとしないのです。そのうちふみ子さんは耐えられなくなって横になり眠ってしまい、そうした中でお母さんの徘徊という事件が起き大騒ぎになったこともありました。

 そうした事が自分だけでなく、他の兄弟の時も起き、次第に皆その為に疲れ果ててしまうという状態になってゆきました。皆それぞれに家庭があり、それぞれお母さんのことだけに関わっているわけにはゆきません。そうかと言ってお兄さん夫婦だけに押し付けてもおけず、そうしたお母さんの痴呆症はいくつもの家庭をバラバラにすることがおきてくるとその方は話しておられる。兄弟が代わり番でお世話をしてきたのです。然しそれが長く続いてくると、皆疲れはてて、正直「いいかげんに死んでくれたらいいのに」という気持ちになってきたと言われている。 

 そしてお母さんが亡くなったお通夜のとき、これでヤレヤレということをみんなで話していたそうです。丁度その時ふみ子さんの婚家のご住職さんから弔電をいただいた。「お母さんは老いた身をあげて、精いっぱい私たちの中にある地獄をえぐり出して見せて去られた仏様である。そう思われませんか。先に往かれたお父さんは、お前ご苦労だったと迎えられたでしょう」とあった。

 ふみ子さんはこの弔電を読んで愕然とした。痴呆のお母さんを看護するということは、いくつもの家庭を破壊するほどの大変な事である。そういう縁にあえば、いい加減に死んでくれないか、亡くなるとヤレヤレと。そういう生身の人間におこってくる気持ちを誰が責めることができるでしょうか。

 然しその弔電を見てふみ子さんはお母さんを殺してきたという自分。手に掛けないけれど気持ちの中では母を殺してきた。人間の顔をしながら修羅(しゅら)の心を持って生活していたんだ。然しこの弔電に出会わなかったら、お母さんが死んだことでヤレヤレ、粗大ゴミの処理が済んだくらいにしか思わなかった自分が問題にならなかった。「弔電にふれて私の中の修羅地獄(しゅらじごく)がハット知らされ、そこで初めて私は人間になれたのだと思います」と言われている。

 

 その話しをされながら講師の方が大切な事をおっしゃっていることに私は気付かされました。この方が仏法聴聞(ぶっぽうちょうもん)を重ねられた方であったという事です。聞法を重ねながら、現実の生活の中でそういう心がおこってくる。聞法を続けていれば問題はおこらない。そんなことではないのだ。聞法を通して、始めて煩悩(ぼんのう)の身なのだと教えられるのである。聞法がなければ自分は善人で問題はないというあり方を通そうとするだけです。ふみ子さんは弔電によって、自分を知らされて、痴呆になられたお母さんの全体の生活を、お母さん済まなかった、有難うと頂かれた。「そこで初めて私は人間になれたのだと思います」と岩根さんは語っておられると講師の先生はお話しを結んでおられます。

 このお話しを読みながら、改めて仏法は現実の人間関係の中に生きている。現在自分の目の前にいる人から呼びかけられ、語りかけられ教えられているのではあるまいかということを感じられた事でした。              

   

 

                             

​ 浄土真宗の教え 

 06 

「願海」2021年3月掲載

 

「問題は常にあり、問題は内にあり。」

 これは住岡夜晃(すみおかやこう)という先生のお言葉です。私は若い頃先生の書物でこの言葉を知り、これはどういう意味であろうかと色々考えさせられたことがあります。そこで先生は「仏教はこの事を教えられているのだ」と言われているのです。

 この人生において国家社会の問題から、身近な我々一人ひとりの「日暮らし」の中においても問題の無い人生など有り得ず、むしろ、次から次へと起きてくるいろいろな問題に悩まされていると言っても決して過言ではありません。その時その問題は常に外にあり、その問題が内なる我々を苦しめている。その外なる問題をどう取り除いて、その苦しみから解放されるかということで、その為に日夜苦労しているのが我々の姿ではないでしょうか。

 しかし先生は「問題は内あり」と言われる。これはどういうことを言われているのであろうかと色々考えさせられるのであります。例えば親子の問題とか、夫婦の問題とか、身近かな人間関係において色々気苦労させられる時、ただそこで子供の問題という形で問題は出ているけれども、実はその事を通して親である自分の在り方が問われているのではないか。妻の問題という形で夫自身が、夫の問題という形で妻自身が問われているのではないかと考えれば、つまり問題は内にあるという言葉の意味がそういう事を言っておられるのかとも思ってみます。

 ただこういう身近な問題は、他人の方が案外よく見えるようです。しかし肝心の自分自身の事になると問題は別です。どんな立派な人格の人でもこの事は大変です。特に相手が身近であればある程、それを超えることが困難で、問題は内にあるということは中々はっきりしない問題のように感じます。しかし仏教はそういう事を教えられているのであると先生は言っておられるように感じられます。いろいろな問題を通して自分が問われている。然しその事に気づく事は非常に難しい。然しその事を私たちに分からせ、真の安心を与えたいというのが仏教の教えだと住岡先生は言っておられるのであろうと考えています。 

 そこで私は親鸞聖人のお言葉を書き残している「歎異抄」(たんにしょう)の次のお言葉を思い起しています。

 

「善悪のふたつ総じてもって存知(ぞんじ)せざるなり。そのゆえは、如来の御(おん)こころによしとおぼしめすほどに知りとおしたらばこそ、よきを知りたるにてもあらめ、如来のあし(悪)とおぼしめすほどにしりとおしたらこそ、あしさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。とこそ仰せ候いしか」と。

 

唯円(ゆいえん)さんは書き残しておられます。私は何時も事あるごとにこのお言葉を思い出させていただいています。特に、

 

「ただ念仏のみぞまことにておわします」

 

というお言葉を繰り返しいただいています。