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​ 浄土真宗の教え 

 05 

「問題は常にあり、問題は内にあり」(5)

 

 前回、評論家の芹沢俊介さんが、青少年の心の深い闇について、そこに英語で言うイノセンス、つまり「強制的贈与」、「何で頼みもしないのに、こんな俺を生んだのだ」と親に文句を言う気持ちが、青少年の心に深く横たわっていて、それが彼らを悩ませている。しかし、彼らは現にその父母を縁にしてこの世に生まれ、多くの恩恵の中で生かされている。それが受け取れない。身の事実に安立できないでいる。それを乗り越えて、たとえ、どのような状態であっても、他人のせいにせず、それが自分の責任だと、与えられたものをも自分の責任にして生きる人間になることを、仏教では「宿業としてわが身を受け取る道」と教えられていると書きました。しかし、このイノセンスは青少年だけではなく、人間に一生つきまとう深い迷いの心ではないかと思っています。つまり、どんなことがおきても、一切は自分の受けていかねばならぬこととして、引き受けられるかといえば、そんなに簡単ではありません。

 ところで、これは随分以前に、私が長い間仏法のお育てをいただいた藤代聡麿という先生に聞いた話です。先生は京都の仏教大学の先生を永く勤められ、また全国に講演をして回られました。柳川の光善寺にも毎年親鸞聖人の報恩講にお出でくださいました。先生は、その晩年は八女郡の矢部村に居を定めておられましたが、その晩年のお話です。ある有名な俳優さんが東京から飛行機とタクシーを乗り継いで訪ねてこられたそうです。その俳優さんは、もとは歌舞伎役者でしたが、やがて時代の流れで映画や芝居、テレビにも出演し非常に有名なスターで、演劇などにまったく無知な私でも、話を聞いてその名前とその顔を思い出すような人です。その俳優さんが仏教のお話を聞きに、わざわざ先生のところにこられたのです。それまでお話などほとんど聞かれたことはなかったそうですが、もともと、瀬戸内海の島の出身で、真宗の門徒の家に生まれた人でした。ところで、それほどの俳優さんも年齢とともに老いがやってくる。その美貌にも、その演技にも当然かげりが見えてきて、スターとしての全盛はもう下り坂です。映画会社をその人ひとりの人気で支えたような時代にも終焉がやってきた。会社は当然新しい若いスターをつくります。そうなれば、会社の人や、他の若い俳優さん達のその人に対する態度も次第に以前のようではなくなってくる。そのことを感じさせられることが増えてきたときの、その人の悲しさと、淋しさ、また一種の憤りに似た感情もその人を苦しめたであろうことは容易に想像ができます。しかし、はたから見ると、その人もそうなる以前から、やがてその日のくることは早くから分かっていたはずです。また、そうして消えていった先輩を何人も見てきたはずです。しかし、お互い人間は自分もいつかはそうなることは頭では分っていても、このことばかりは、自分がそうなってみて初めて分かることですし、そこで人間はみんな苦しみだすのです。仏教には「老苦」(老に苦しむ)という言葉があります。そこでその人はある人の紹介で藤代先生を知り、訪ねてこられたのです。そして、先生の前でありのままの気持ちを正直に語り、語りながら男泣きに泣かれたそうです。その話の中でその人はやはり「自殺」を本気で考えたと言われたそうです。フアンのイメージの中にいる若い颯爽としたスターの姿のままでこの世から姿を消したい。老いさらばえた姿をさらしたくないと本気で考えたとか。人間がその身の事実を、ありのままに受け取ることがいかに難しいか、ということを教えられている私たちには他人事ではありません。しかし、幸いにしてその人は仏法に遇って助かりました。つまり、ありのままをありのままに受け取る道を念仏で教えられなした。

                   

「願海」2006年11月掲

浄土真宗の教え 6

​ 浄土真宗の教え 

 06 

 前回は、ある俳優さんと藤代先生とのご縁について書きました。その俳優さんは先生のお話を聞いて救われたそうですが、そのお話の中身については紙面の関係で書きませんでした。その時先生は「自分も一人の学者として、また一人の人間として、幾度も困難な時代を経て生きてきました。そして、時には八方塞りのような深い苦悩の中で、フト自殺を考えたこともありました。しかし、そのどん底で私が気づかされたことは、私などよりももっと深い悲しみの中で、静かに念仏をしておられる方がいらっしゃった。その方が親鸞聖人だった」とその俳優さんに語られ、念仏の生活を勧められたそうです。その先生の言葉がその俳優さんに深い感動を与え、大変喜ばれたということでした。私はそのお話を聞き、親鸞聖人は私などから言えば、手も届かぬ高い悟りの世界におられる方と思いがちだが、そうではない。私たちと同じ人間としての深い苦悩の真ん中で、仏のみ名(南無阿弥陀仏)を称え、そのみ名となってはたらいておられる仏に念じられて生きる身の幸せを喜んでおられた人であった、ということを改めて教えられました。

 今ここでもう一つ思い出すことがあります。大谷大学の名誉教授で世界的な仏教学者であった金子大栄という先生がいらっしゃいました。昭和51年(1976)に95歳で亡くなられた高僧です。その先生がまだお若いころのお話です。先生の故郷(新潟県)におられたお母様から、京都におられる先生にお手紙がきて、そのなかで「年をとり、病になって、体が不自由になってくると、苦しさや痛みのために、いくらお念仏を申してもお慈悲が喜べない」と書かれていたそうです。それに対して出された先生のご返事は、今拝読しても非常に感銘深いものです。「さて、お慈悲を喜ぶ心が起こらないというお嘆きですが、それは病める身には御もっとものことと存じます。私たちの心は、苦しいときは苦しいだけであり、悲しいときは悲しいだけにしかできていません。それがありのままの姿であります。その心の中へお慈悲を喜ぶ心を注ぎこもうとしたり、その心を転じて、ありがたい心になろうというのが無理と言わねばなりません。されば唯せつなまぎれにてもお念仏の申さるることが有り難いのであります。お慈悲を喜んでお念仏申すのではなく、お念仏の申さるることがお慈悲であります。せつなまぎれの中からも、お念仏の申さるるがお慈悲であって、それは母上のお計らいではありません。凡夫のせつなさにお慈悲が紛れ込んで、お念仏となってくださるのであります。さればお念仏を申して有難うなるのではありません。お念仏の申さるることが有難いのであります。お念仏の申さるることのほかに有難いことがあると思わるるは計らいであります」と書いていらっしゃいます。

 明治生まれの先生が書かれたお手紙ですから、ちょっと、堅苦しいところがありますが、お母さんの気持ちを精一杯受け取りながら、しかし、先生の教えに対する厳しいお姿が読み取れる有難いお手紙であります。その中で「お念仏を申して有難うなるのではありません。お念仏の申されることが有難いのです。」と言われるお言葉は、私はずっと忘れることのできぬものです。そして、いつも愚痴の心を持ちながら、なかなか念仏に帰れぬ自分を本当に悲しく思うことがあるのです。

                 

「願海」2007年3月掲載

浄土真宗の教え 7

​ 浄土真宗の教え 

 07 

 有名な書家に「相田みつを」という人がおられました。もう早く故人になられましたが、この人は詩人としても有名な人でした。若いときから禅宗のすぐれた老師に師事され、仏教の影響を強く受けた人で、その詩にはその精神がよく表れています。「人間だもの」という詩集に「のに」という題のこんなものがあります。 

 

「あんなに世話を してやったのに ろくなあいさつもない。

 あんなに親切にしてあげたのに  あんなに一生懸命 つくしたのに。 

  のに… のに… のに… 

 (のに)が出たときはぐち。 こっちに(のに)がつくと

  むこうは 「恩に着せやがって」と思う。

  庭の水仙が咲き始めました。 水仙は人に見せようと思って 咲くわけじゃないんだなあ   

  ただ咲くだけ  ただひたすら…  人が見ようが見まいが そんなことおかまいなし

  ただ いのちいっぱいに 自分の花を咲かすだけ 

  自分の花を…。  花は ただ咲くんです  それをとやかく言うのは人間。

  ただ…  ただ…  ただ…   それで全部  それでおしまい  それっきり。

  人間のように (のに)なんてぐちは 一つも言わない だから純粋で 美しいんです。」

 

 この詩を読むと、座敷からでしょうか、水仙の花の前にしゃがみこんででしょうか、ともかく、じっと水仙と向き合って、水仙に語りかけている相田みつをさんの姿が目に浮かんできます。そして、その水仙の「ありのまま」の美しい姿に感動し、その姿を鏡にして、必ずといってよいほど恩にきせたがる、私たち人間の愚かさ、悲しさと向き合っています。

 人間も水仙と同じように、自然を離れては存在しません。水仙の美しさは、水仙を生み出した自然の「いのち」のままを姿としてあらわし、その「いのち」のかぎりを生ききっている美しさです。 しかし、同じ「いのち」を生き、その自然の「いのち」の中から生まれながら、人間だけが知恵を持ちました。そして自然から立ち上がって、その知恵を使って他の生物にはない文化を作りました。

 現代は科学技術が非常に発達し、以前からいえば考えられないほど便利な世の中になりました。しかし、その人間の知恵は、現に自分を生み出し、それの働きで生きている「いのちの親」の自然を自分の外に見て、それを恵みと考えないで、自然を人間の便利追求のための材料と考え、化学技術はその手段になっています。その考えによって環境破壊が進み、公害問題などが発生して、人間もようやく自然との関係を正すために、本気で考えざるを得なくなりました。われわれ一人一人の問題であります。

 盆栽が大好きな老僧がおられました。そして盆栽を作るので一番難しいのが「水やり」だとおっしゃいました。季節によって、またその盆栽の種類によって、何時、どれだけ水を与えるかが一番難しいので、それが身につくのに、昔から「水遣り3年」と言ったものだそうです。ところが最近出版された「盆栽全書」という本を見たら、「水遣り5年」と書いてあった。それだけ人間が盆栽の気持ちを受け取る心が退化しているのだとおっしゃるのです。人間は余り科学的なものに頼りすぎるようになると、本来人間が持っている純粋な本能が退化するのだということのようでした。そういえば、昔の篤農家の言葉に「稲のことは稲に聞け」というものがあったことを思い出します。しかし、稲どころではありません、今日は人間が人間の心をはかりかねている。自己主張ばかりが強くなり、相手の身になって考える気持ちが弱くなってきているのではないでしょうか。いろいろと考えさせられる詩です。 

「願海」2007年5月掲載

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