top of page

​正信偈に聞く

 17 -1 

​平成21年8月25日

皆さんこんにちは。

 

本願名号正定業 本願の名号は正定の業なり。

(本願の名号は正しく(往生を)決定するはたらきをする。)

至心信楽願為因 至心信楽の願を因とす。

((第十八の)至心信楽の願が(往生の)原因となる。)

成等覚証大涅槃 等覚を成り、大涅槃を証することは、

(仏と成って、大涅槃のさとりに至ることは、)

必至滅度願成就 必至滅度の願 成就なり。

((第十一の)必至滅度の願の成就による。)

 

 このように古田先生は(注)を付けておって下さるわけでございます。この四句の中に真宗の教えのすべてが入っておるということを、繰り返し申し上げておるわけでございます。そして、これを当てますと、「本願の名号は正定の業なり。」というのが第十七願。「至心信楽の願を因とす。」というのが第十八願。「等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。」、この「必至滅度の願成就なり」ということは第十一願でございます。

「本願の名号は正定の業なり」というのは、一切衆生を平等に救いたいという願いを、阿弥陀如来が法蔵菩薩であられたときにお建てになった。そして五劫(ごこう)のあいだ思惟(しゆい)し、そして兆載永刧(ちょうさいようこう)のご修行をなさって、私たち全てのものが平等に浄土に往生できる道として、法蔵菩薩は南無阿弥陀仏という六字のみ名を成就なさった。それを本願の名号というわけですね。本願の名号というのは南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏というのは仏様の名前でございます。そして、その仏の名前を称えさせる。南無阿弥陀仏と我が名を称えるものを我が国、つまり阿弥陀仏の浄土にむかえとって仏にしたいと。しかし、我われにあるのは、この世の幸せに執着して生きていますから、浄土に生まれたいとか、さとりを開きたいとかというようなことは、決して思わないわけです。私たちは毎日の日暮らしの中で、要するに自分の思うようになれば幸せなんでしょう。だから、自分の思うようになることが私の幸せであり、自分の思うようにならんことは不幸せということでしょう。そして自分が努力しておれば、やがて思うようにならんことも思うようになってくるのだと、こういうかたちで皆頑張っておるわけですね。これも度々申しておりますけれども、金子大栄という先生は「人生における問題」と、「人生そのものの問題」ということをおっしゃいます。

 

人生における問題は、やがて人生そのものを問う

 

 行きつくところ、私の人生って何だったんだろうかということに必ずなる。そして、人生そのものを問うた時、その問いに正面から答えてくださるのが真実の宗教だと。ところが宗教の中には、人生における問題に答えて、あたかもその人を救ってやるというような宗教もあるわけです。しかし、それは現世利益の宗教だと。それは邪教だと。こういうことを金子先生はおっしゃっておられます。この世の日暮らしは、お互いみな理想を求めて生きていますが、結局何らかのかたちで、理想と現実の矛盾のはざまで苦しんで生きていかざるを得ません。何もかも思うようにいくということはありません。そこで神仏に祈るということがあるのでしょうが、どんなに祈ってもそれでどうかなるということは、やはり迷信です。だから「人生における問題」において、本当の安心と満足を得られるということは絶対にあり得ないわけです。しかし、そのことが私たちに信じられない。どうしても思い通りになることが幸せで、思うようにならんことが不幸せ。そして、その思いということは、自己中心の思いでございますから、お互いがその思いで行くならば、やっぱりどこかで争いは避けられません。例えば一軒の家の中でも争うというかたちにならなくても、どこかで皆が耐えて生きていくというかたちになります。我慢をして生きていくというかたちになります。それは不足不満というものを内面に持っているわけです。

 我われのように歳を取って、それで身体もだんだん思うようにならなくなり、そして棺桶が向こうにチラチラ見えはじめた時に、どうなるかといったら、ああでもない、こうでもないといっとったけれども、結局私の人生って何だったかなあというものが必ず出てくる。それが人生における問題は、やがて人生そのものが問われるという意味です。私の人生って何だったんだろうか。しかし、思うようにならなかったからというだけではありません。考えてみれば思い通りになったことも一杯あったわけです。しかし、そう言ってみたところで、自分の老病死は超えられないわけです。老となり病になって死んでいく。

 

 以前、NHKのテレビを見ておりましたら、あるおばあちゃんが歌を作った。

 

子育ての 終わりし我に 何残る 孫は子のもの 子は人のもの

 

 結局、人間の一生というのは、よく考えてみれば子育てということに極まる面があります。子育てが成功すれば後継者もできるわけですからね。子育てが終わり自分は裏方に回る。私も裏方に回っています。これはある意味で言ったら幸せなんです。昔から楽隠居という言葉があるように幸せなわけです。孫から爺ちゃん婆ちゃんといわれると、孫は可愛いですよ。子供より孫の方が可愛いという人もいます。私の友人と話しておりましたら、なぜ子供より孫が可愛いかやろうかと聞いたら、責任がないからと言いました。そうかもしれません。親になりますと責任がありますから、可愛いとばかり言っちゃおれん。老人はどうしても甘いから、孫を可愛がる。しかし、可愛がっている孫は、孫にとって一番大事な人はお母さんです。だから「孫は子のもの」。そして、「子は人のもの」です。我が子というのは命がけで育ててきた息子です。しかし、その息子はいつのまにか人のものになっている。人のものというのは嫁さんのものですね。そうすると、自分に何が残っているのかと言ったら、何も残っていない。ガタのきた身体と、惚けのでた頭と、向こうから棺桶がチラチラしていると、そういうことを詠っておるわけでしょう。だから思うようになれば幸せというかたちで、人生を生きていくわけですが、仮に思うようになった人生もそこに行きつくわけです。それは思うようになった世界のはずです。楽隠居になるのですから。まだ楽隠居の人は幸せですよ。苦労が報われなかったという人も結構おるわけです。

 

 以前、朝日新聞の夕刊(平成20年10月3日)に、山口県周南市の長久寺の住職有国智光(ありくにともみつ)さんの対談が記載されている記事をお配りしたことがあります。頭のいい長男さんが、中学3年の時に小児ガンで亡くなった。三年間の闘病生活があるわけですけれども、闘病生活ということは、本人にとっては闘病生活ですが、親にしてみたらどうにか治してやりたいわけです。そして、この子供の病気を治すということが親の幸せに繋がるわけですから、一生懸命手を尽くしたけれども最後は小児ガンで亡くなるわけですね。はじめは右足の足首のところに何か凝りのようなものがあって、親も本人も余り気にしていなかったそうですが、だんだん大きくなってくる。それが大学病院に行ったら小児ガンだとわかって、長くて三年の命と。それで転移しないように治療を尽くすわけですが、三年目に東京の癌センターで、その少年は亡くなったようです。東京の癌センターに入院して3,4ケ月だったそうですね。山口大学医学部で治療していたのですが、最後は右の膝の下から切ってそれでも転移は止まらなかった。とうとう小児ガンで亡くなった。一生懸命苦労して、それが報われなかったわけです。病魔という言葉がありますが、病気で子供は死んでいくわけです。その時両親は本当に絶望感を持つわけです。しかし、この世の中にこういう例は少なくないわけです。

 この世の中は、何でもかんでも思うようになるということはあり得ないわけです。だからこそ、またどうかしてみんな頑張って、思うようにしようとしていくわけですけれども、やっぱり思うようにはなりません。思うようになっても「孫は子のもの 子は人のもの」となるわけです。「孫は子のもの 子は人のもの」と言っているお婆ちゃんも、人生における問題が人生そのものを問う段階にきたということです。しかし、そのことを問う力が人間にはないわけです。つまり思うようになって幸せになろうという、それは分別です。自己中心の分別です。その分別は外へ、外へ向かっていく心です。そして、一生涯生きて、結局私の人生って何だったのかとなっても、今までそういうことを考えたことがない。そういう内観の智慧は私たちにはないわけです。宗教は人生そのものが問われたときに、それに応える宗教が真実の宗教だといわれるわけです。人間の一生は苦労の連続なんですが、そのこと自体が善かろうと悪かろうと、善し悪しを超えて、このことひとつを知らされるための人生であったというものが見つかればいいのですが、そのことを、私は外ばっかり向いて、どうかなれば幸せになるだろうということだけで生きて来た。しかし、それも無駄でなかった。人生全体が、このことひとつを知らしていただくために人生であったと。こういうかたちになれば無駄ではないわけです。ところが、人生そのものを問う智慧は我われにはないわけですが、それを問わせるものが如来の本願です。それは私たちの人生におけるいろいろな問題を超え転じて、浄土に生まれさせようとするかたちで教えは説かれているわけです。その浄土というのは「大涅槃・だいねはん」でございます。

 

本願の名号は正定の業なり。 至心信楽の願を因とす。

等覚を成り、大涅槃を証することは  必至滅度の願 成就なり。

 

「必至滅度の願」といわれる大涅槃に、私たちを生まれさせようと。その浄土に生まれさせようというのが「本願の名号」という意味です。毎日ああでもない、こうでもないといって生きているままが、実はこのことひとつを知らせるためのご縁であったと、言えるものを私に与えようと、そしてあなたの人生は無駄でなかったと。人生虚しからずと言わせたいというのが如来の本願でございます。

 。

​正信偈に聞く

 17-2 

​平成21年8月25日

正信偈 17ー2

 この頃、三潴一組(みずまいちそ)で大衆供養(だいしゅうくよう)がございまして、五日間お話に参りました。その時に再来年が親鸞聖人七五〇回御遠忌でございますから、それを迎えるについて、私たちがどういう心で御遠忌を迎えればいいかということを、皆さんと一緒に考えていきましょうということで、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということをテーマにいたしました。宗祖というのは、浄土真宗という宗派を開かれたという意味がもちろんあるわけですが、そこでいわれる「宗」ということは、一人ひとりの真実のよりどころという意味が宗という意味です。ですから単なる宗派の名前ではないのです。親鸞聖人が浄土真宗とよばれるときは、単なる宗派の名前ではないんですね。真実のよりどころ、宗(むね)ですね。よりどころという意味が真宗という意味なんです。

 

謹んで浄土真宗を案ずるに二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり。

往相の回向について、真実の教行信証あり。

それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。

この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、

選びて功徳の宝を施すことをいたす。

釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を救い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり。ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。  (教行信証 聖典P152)

 

 浄土真宗というのは二種の回向だと。南無阿弥陀仏だということを親鸞聖人はおっしゃっておられるわけです。そのことを、皆さんと一緒に尋ねていきましょうということでお話をしました。親鸞聖人は法然上人に遇われることで、はじめて浄土真宗に目覚められました。

 

曠劫多生のあいだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびみなしくすぎなまし  (高僧和讃 聖典P498)

 

 法然上人のお徳をほめられた和讃が二十首ありますが、その中の中心になる和讃です。親鸞聖人は私が法然上人にお遇いできたということは、どういうことかということをおっしゃるんですね。曠劫(こうごう)というのは、いつはじまったか分からん昔からです。多生(たしょう)というのは、生まれたり死んだりという意味です。つまり、ながいながい時間の中で生まれたり死んだりしてここまで来た。なぜ曠劫多生の間、生まれたり死んだりしたかと言ったら、それは、出離の強縁(しゅつりのごうえん)しらざりきと。本当のことに遇えないからだと。このこと一つに遇うための私の人生だったというものに出遇えば、命終わる時に浄土に生まれます。二度と迷いの世界を経めぐらないのです。

 藤代先生は光善寺の御正忌報恩講にずっとお出でいただきました。先生は「南無阿弥陀仏のご縁に遇うこということは、この人生が野球でいえば九回裏、延長戦なし。」という言い方をなさっておられました。野球の好きな人でしたから、野球に譬えてお話をしておられました。この人生が九回裏延長戦なし、だからこの試合はおしまいです。私は今まで、生まれ変わり死に変わりしてきました。しかし、私はこの度遇うべきものに遇うことができたものですからもう迷いません。誰かを親にして、もうこの迷いの人生に生れません。私はこの度、命終われば浄土に生まれて仏になります。だから、今までずっと生き死にしてきた人生はこれでお終いです。だから、野球でいえば九回裏延長戦なしです。こういう言い方を藤代先生はなさっておられました。私たちが浄土に生まれるということは、曠劫多生のあいだ本当のことが分からんで来た。じゃあ、なぜ本当のことが分からんのかといったら、思うようになって幸せになろうという心が離れないからです。結局、この世の中を思うようになって、思うようにして幸せになろうとします。ところが旦那さんの思う幸せと、奥さんの思う幸せがうまく合わなかったら喧嘩になるわけです。何故かと言ったら自己中心ですから。奥さんは奥さんの思いを中心に幸せを求める。旦那さんは旦那さんの思いを中心に幸せを求める。その利益が合っている時は仲良くします。利益が合わん時は喧嘩になります。だから、喧嘩しちゃいかんというぐらいで片付くような問題とは違うわけです。本質的に問題が深いわけです。本質的に問題が深いということを教えるのが仏教です。

 本当のことに遇えなかったもんだから、生まれ変わり死に変わりしてここまで来ましたと親鸞聖人はおっしゃるわけです。私は「曠劫多生のあいだにも、出離の強縁しらざりき」、出で離れる強縁を知りませんでした。「本師源空いまさずば」、源空は法然上人のことです。「このたびむなしくすぎなまし」、せっかく人間に生れながら空しく、本当のものが見つからんままで、あれかこれかと言っておる間に命は終わったと。だから、法然上人にお遇いできたお蔭で、出離の強縁である南無阿弥陀仏の仏法に遇わせていただくことが出来た。もしも、法然上人に遇っていなかったならば、私はこのたび空しく終わったであろうとおっしゃっています。だから、「宗祖親鸞聖人に遇う」ということは、親鸞聖人の教えにおいて、そういう意味をもった出遇いですね。こういうことを三潴一組の大衆供養でお話を致しました。

 親鸞聖人の御遠忌を迎えるということは、ただ真宗という宗派を開いてくださった方のご恩を思って御遠忌を迎えるなら、それは宗祖としての親鸞聖人に遇うということにはならないでしょう。じゃあ、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということはどういうことかと言ったら、親鸞聖人が嘗て法然上人に遇われたような遇い方です。その遇い方はどういうことかと言ったら、もしも法然上人に遇えなかったならば、出離の強縁を知ることはできなかった。その時「このたびむなしくすぎなまし」と。それが、人生における問題は、やがて人生そのものを問うというところまで来なければ、人生における問題というものに振り回されて一生終わってしまうだろう。こういう意味でございますね。ここが私たちに分かりにくいんですね。

 一休さんというのは堺の商人と非常に接触が深こうございました。京都の大徳寺という禅宗の本山ですが、応仁の乱で京都の町は焼け野原になって、大徳寺も焼けてしまいました。その時に大徳寺を再興したのが一休という人です。この人は天皇の御落胤(ごらくいん)といわれています。堺の商人と非常に親しくありましたから、そこから茶禅一味(さぜんいちみ)という茶道が生まれます。一休さんは堺の商人や京都の商人に非常に愛されましたが、ある商人が「縁起のいい言葉を書いてください」と言って来たそうです。商売人は縁起を担ぐ人が多いでしょう、だから縁起のいい言葉を書いてくださいと頼んだそうです。そうしたら、よしよしと言って、

 

親死に 子死に 孫が死ぬ

 

と書いたそうですよ。死ぬる言葉が三つもあるものですから、商売人は一番好かん言葉ですけれども、それが一番幸せだと。縁起がいいとは、それは思うようになったという話でしょう。それは世の話です。人生における問題の話です。人生における問題というのは、苦悩を免れないわけですから。そうしたら生死流転です、曠劫多生になります。それを超えるということはどういうことかと言ったら、此方から向こうへということでは成り立たんのです。向こうからこっちへはたらくものによって、こちらがはじめて目が覚めるといいますか、気づかされる。向こうからのはたらきを回向と親鸞聖人はおっしゃるわけです。つまり、如来の方からのはたらきです。他力です。人生そのものを問うた時に、それに正面から答えてくれる宗教が真実の宗教。人生における問題に答えてくれる宗教は邪教。邪教という意味は悪いように聞こえますけれども、それではあなたの人生が曠劫多生になってしまうということを言いたいのです。今まで曠劫多生できた私の人生が、出離の強縁に遇う。「出離の強縁」ということは、向こうから此方にはたらくまことという意味です。それが本願と表されます。阿弥陀如来の本願を、私たちは頼んだ覚えはないでしょう。如来様の方が本願を建てるわけです。そうして具体的には、我が名を称えよというかたちではたらいてくるわけです。それが私の口から南無阿弥陀仏と出てくるわけです。しかし、南無阿弥陀仏を称えて幸せをもらうということになったら逆になります。浄土に生れさせようということは、つまり思うようになれば幸せと言っている思いを超えさせようというわけです。超えることが出来れば、こちらがたすかるわけです。いろいろあったけれども、このこと一つに遇うための人生だったんだと言えるのは、向こうからのはたらきに遇って、はじめてこの人生がお蔭の人生になるわけです。何もかもお蔭であったということになるわけです。都合のいいことをお蔭と言っているのとは違うわけです。ここのところはなかなか分からんのです。自分の都合のよいことがお蔭様といってる人が多いのです。何でもお蔭様と喜ぶのが宗教だろうという人もあります。そういうものは真宗の宗教ではないのです。邪教です。私に先だって如来様が本願を建てた。どういう本願を建てたかといったら、私の人生を真実の世界に生まれる意味を持った人生にしよう。そういうことですね。

 金子大栄という方は大谷大学の名誉教授でしたが、昭和51年に95歳で亡くなられました。『光輪抄』という書物を最晩年に書かれました。これは、自分が長い間親鸞聖人のお育てをいただいた。そして、それはどういう教えであったかということを奥さんに残したいということから、親鸞聖人の教えを分かりやすく、しかも短く要点を書かれた文章でした。金子先生のお弟子に加藤辨三郎という方がおられました。これは協和醗酵工業という会社の社長さんでした。もう亡くなられましたけれども、『在家仏教』という雑誌を発行しておられまして、大石先生も投稿されたことがございます。私が三十年前ですが、長崎の教務所長を仰せつかっていたころです。教務所というのは、お寺・教会という意味もありまして、教会主幹者が教務所長で、総代をつくらねばなりません。その時に長崎に「ぜにや」という大きな質屋さんがありまして、そこの社長さんに責任総代になってもらっていました。「ぜにや」の社長さんは経済人ですから、経済人で念仏者であるということで加藤辨三郎さんを大変尊敬しておられまして、年に一度加藤先生をお招きして、長崎の市民会館などで講演会を開催しておられました。随分沢山の人が参っておられました。金子先生が亡くなられまして、奥さんのために書き残されたものに、加藤先生が自分の了解なども入れまして、一冊の本して出されました。それが『光輪抄』という薄い本です。その中にこういうことが書いてあるのです。

 

 清沢先生は宗教とは有限と無限の対応であると道破せられた。有限より見れば無限は有限の外にあり、無限より見れば有限は無限の内にある。これは対応ということである。しかればその対応とは、即ち相応ということであろう。・・・・中略・・・・それが相応としての対応である。しかるにその相応は即ち感応であらねばならぬ。そしてとくに量深先生に依りて強調せられたように思われている。それは二種深信の体験というべきものであろう。自身を信ず、乃至。信を超えて願に帰す というようなことは、すべて感応せられたものではないか。・・・・中略・・・・こうして感応であることが明らかにせられた。しかるにその感応を成立せしめるものこそ、呼応というべきものではないか。本願に感応せしめるものは、その本願は招喚の声であるからである。真実の教は本願を宗とし、名号を体とすといわれる。その体とは法であり、宣(おお)せであり招喚の勅命といわれている。しかれば感応ということもその勅命を感じ、それに応答するの外ないであろう。こうして如来と衆生との対応は相応感応呼応として身心に行証されていくのである。 (『光輪抄』 対応の行信P7-9)

 

 有限というのは我われ衆生のことです。そして、無限というのは如来のことです。そして、私のこの人生は「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益にあずかる」ことだと。どういうことかというと、私の人生は善いことも悪いこともあります。しかし、全体は光明摂取の中の出来事であったと。そうなった時に、藤代先生の言い方いうと、私の知識や私の希望を光にしておった時は、光が小さなったり大きくなったり、どうかすれば闇になったりするわけです。自分の能力とか健康とか、健康な時は光っているし不健康になったら闇になる。そうじゃなくて、善い悪いと言っている全体が、大きな如来の光明の中に摂取されておったと。如来の光明、光明はそのまま智慧ですが、そのまま慈悲です。光明摂取の中であがいておった私ということが受け取れれば、私の救いです。それが「出離の強縁」です。ところがなかなか、それがはっきりしないわけです。観念的にするのでなくて、具体的には南無阿弥陀仏です。だから、無限なる如来が有限なる私の上にはたらくわけです。どうはたらいておるかといったら、「我が名を称えよ、我が名を称えてわが国に生まれんと欲え」と、呼びかけるという本願を建てた。そういう教えになっているわけですよ。

 無限というのは形がありません。形があれば有限です。どんなに大きいと言ったって、どんなに宇宙が広いと言ったって形がありますから有限です。有限なるものは無常を超えられません。形あるものは生死流転します。この地球だっていつまでも有るはずはないです。ただ、私が生きている間は大丈夫だろうと、私はその思いを光にしているわけですから、明日滅ぶか分かりません。そうしますと私の思いは崩れるわけでしょう。そうしたら真っ暗になる。しかし、私が真っ暗になると言っておるのも、みんな無限なるものの大きなはたらきの中での出来事だったというかたちで無限なるものに触れる。その触れる道は、無限なるものは形がないわけですから、形あるものが形のないものにどう触れるかといった時に、無限なるものからはたらいている。それが本願ということです。どうはたらいておるのかといったら、我が名を呼べと。我が名を称えよとはたらいている。だから、有限から無限はとどかないわけです。有限はどんなに積み上げても有限です。その有限と有限が縁あって顔を合わせておるわけですから、別の言い方をすれば「みな凡夫」ということです。「ともにこれ凡夫のみ」という自覚は、無限なるものに触れて、有限なるものに初めて起こる自覚です。だから凡夫の言葉ではないのです。凡夫という言葉は、無限なる如来が有限なる私たちを見て、「凡夫よ」といわれるわけですから、その「凡夫よ」という如来の呼び声に私がうなずく。うなずく心は如来(無限)からとどいた心が信じられたということでしょう。そうしたら、私を凡夫とうなずく心は如来からもらった心です。だから真実なんでしょう。

正信偈 17-3

​正信偈に聞く

 17-3 

​平成21年8月25日

 一般には「私は凡夫だけん」といっているのを聞きますが、本当に凡夫ということが分かって言っているのか、どうでしょうか。凡夫というのは、無限なるものが有限なるものに対して、凡夫であることに目覚めて欲しいと呼びかけておられる。そして、無限なる私に依って欲しいという。これは大悲です。その大悲は大智です。智慧と慈悲は一つです。智慧の方は光明無量です。慈悲の方は寿命無量です。それが阿弥陀という意味ですから、阿弥陀というのは無限ということです。無限なるものが私にとどく。とどいた時に、私は有限だと気づく。愚かな凡夫だと気づかされる。だから、大石先生はよく言っておられました。「私の見る私と、如来によって観られた私の違い」ということを言っておられました。私たちは自分の見た私というところで、仏法を受け取ろうとしているんですね。ちょっと反省しとるとか、自分も努力しとるとか。そういうものは、私の見た私のところをひねくりまわしよるわけです。昔のお説教は面白いですね。炭の上にどんなにお化粧したって根が炭だと。ところが私たちはお化粧して白粉を塗ったら綺麗になったと考えるけれども、それは迷いだということは凡夫の自覚ということでしょう。それは、無限なる如来のまことに遇うことによって、はじめて私たちが我が身を凡夫と知るということです。凡夫がつくった社会が穢土です。

 

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。 歎異抄 聖典P640~641

 

 その念仏というのが無限なるもののはたらきです。此方から向こうはとどかんわけです。向こうからはたらいておってくださる。それが本願のみ名という意味です。だから「本願の名号は正定の業」ということは、私の救いがそれで定まるということでしょう。何故定まるかといったら、如来によって観られた私がうなずけるということです。救われようのない凡夫だと納得できる。私の思うようになったぐらいで幸せになれんということが分かってきたと。どうかなれば、どうかなると思っていたのは迷いだったんだと。そのことをどこまでも知らせて、そこに座り込むんじゃなくて、南無阿弥陀仏と如来の真実に依っていく。それを浄土を願うという意味です。そういうことが、私の上に定まれば、私の人生は空しくない。それが定まらなかったならば、結局どうなったって、私たちの人生は空しいものになるんですね。そういうことが、私たちの現実の生活の上に自分の問題となるのは、やっぱり人生における挫折がご縁になるのでしょう。

 私が思うようになることで幸せになると思っている思いは迷いだったんだと。その思いが、私を迷わし人を迷わしている元だと気がつくということが難しいんですね。だから、韋提希(いだいけ)は自分が産んで育てた子供が父親を殺します。牢獄に入れて餓死させて死なせるわけです。それを韋提希は止めようとして、時期が来たらこの子も気づくだろうと思って、とにかく頻婆娑羅王(びんばしゃらおう・紀元前5世紀頃のマガタ国の王)の命を長らえさせようとしたことが、逆に息子を怒らせてしまい韋提希も殺されかけます。その時に二人の大臣がやって来て、お父さんを息子が殺した分には文句を言わんというんですよ。何故かといったら位があるからと言うんです。お父さんは単なるお父さんではない。王様という位があると。位があるということは、そこに国民がいるということです。王様は、単に大様ではない、国民がいての王様ということです。政治があるということです。そうすれば、今やっているお父さんの政治よりも、次の息子の政治がいいかもわからんわけですね。ただクーデターのやり方が、子供が親を殺すというかたちでクーデターをするということは感心せんと。しかし、ともかく政治の変革ですからね。だから大臣は役人ですから、まあ黙ってみていようと。『観無量寿経・かんむりょうじゅきょう・観経疏』にはそうなっています。ところがお母さんを殺そうとしたときには、大臣が来て止めるんです。何故かといったら、お母さんは位がない。しかもあなたの命の元だと。そのお貴方の命の元である母親を、ただ自分の気に入らんというかたちで殺すなら、そういうことをする人は、もう国民の鏡にはなれない。そういう人を支えて、私たちはあなたを王様にする気はない。追い出すか、また私らは支えないと。『観無量寿経』はどちらともとれる言い方なんです。母親には位がないと言っていますね。ともかく、そうして母韋提希偉が殺されかけたのですが、二人の大臣にたすけられたけれども、座敷牢に入れられるんです。その時はじめて、この韋提希夫人が「人生とは何なのか」と。これほど私は頑張って来て、あの子を育てて来たし、夫に対しても尽くしてきたのに、それが全部裏目に出てしまった。これは事実ですね。それを阿闍世(あじゃせ)をそそのかした提婆が悪いんだでは済まんわけです。善い悪いということを言い出したら立場が違えばいくらでも言葉は出るんです。我が身中心で生きている人生に救いはない。今まで平和で来とったという、しかし、そこにも本当はいつも闇があったんだということに、はじめて韋提希夫人は気づいたわけです。気づかしたものは挫折です。人生における問題の挫折が人生そのものを問わした。その時に、韋提希夫人は教えがなかったら狂うほかないんです。座敷牢に入れられたら狂うほかないですよ。

 私は小学校の時でしたか、シェークスピアのリア王というのを習いました。その時に自分が信じておった娘に背かるというかたちで、そのリア王は荒野に彷徨うという悲劇ですね。三大悲劇の一つですから。何も荒野に彷徨わなくても、布団抱いて寝とっても荒野に彷徨うわけです。だから、そうでしかないものが人間にあるわけです。もしも、身体が思うようにならんようになって、極端にいったら一週間や十日の病人ならば皆も大事にしますよ。非常時ですから。ところが、それが非常時でなくなってくると、だんだん病人もきついし、看ている家族もきつい。かといってすぐは死なない。そこでいろいろ出てくる。その世界はどちらに転んでも救いがない。しかし、それが人生だと。だから、そこに無限なるものの有限なるものに対するはたらきです。それが大悲ですから。それが智慧です。そういうものに「対応」というています。対応というのは、有限と無限は絶対に一つにならないですからね、「対」です。そのかわり「応」じている。つまり如来を離れて衆生はおらん、衆生を離れて如来はおらん。私は如来様のお慈悲を離れて、私の存在自体が成り立たないんだということを、もしある人が言い出したならば、それは無限なるものに触れた言葉です。それが信心です。その無限なるものに触れるという、触れ方が南無阿弥陀仏です。つまり、無限なるものが有限なるものにはたらいているわけです。南無阿弥陀仏という言葉としてはたらいているわけです。私たちは不思議なご縁で、親からのご縁で南無阿弥陀仏を言っておるのですけれども、南無阿弥陀仏といって、どうかなろうとしているのならば、無限なるものに触れとらんわけです。つまり、真(まこと)に遇っとらんわけです。自分の有限な根性を絶対化して、無限なるもののはたらきさえも利用しようとしているわけです。それではたすからん。つまり「出離の強縁」に遇ったことになってないわけです。「出離の強縁」の目覚めになってないわけです。そういう意味を教えてあるのが「本願の名号は正定の業なり」という意味ですし、それを信ずる心が私たちにないんだと如来は見通したというのが親鸞聖人の眼です。それが「至心信楽の願」十八願。つまり、私が如来を信じる信心まで如来が本願で建てたと。

 浄土宗は南無阿弥陀仏は向こうから来た、無限なるものがはたらいておる。しかし、信ずる世界は私が信じる世界だそうです。それを親鸞聖人は法然上人の側におられて、その持っておる問題に気づかれたのでしょうね。その時に大慈大悲である如来の真実さえ、信ずる力の無い私だと。その信ずる力のない私に、信ずる力を与えようと。つまり、信心そのものを私に与えようというのが第十八願。「至心信楽欲生我国」と信心が誓われてあると。信心まで本願を建てた。

 

 

『大無量寿経』第十八願

「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至して信楽して我が国に生まれん欲(おも)うて、乃至(ないし)十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」   『大無量寿経』 聖典P18

 

 ところが、法然上人は善導大師も同じですが、至心・信楽・欲生というんです。心を至し信楽して我が国に生まれんと、これは信心ですね。そして、乃至十念せん。十声の念仏を称える。至心がついているから一声でもいいと南無阿弥陀仏申す。そうすると、信じて念仏する者を必ず浄土に生れさせようというのが十八願。私が信じて、そして仏の国に生まれたいと欲うて、仏が生まれさせたいと成就した「乃至十念」ですね。南無阿弥陀仏申したものは救われる。だから、この第十八願が四十八願の要だと。だけど、この信心も念仏も誓ってあるのだから、南無阿弥陀仏申す。ただ申すのじゃなくて、心を至し信楽してと。

「心を至し」というのは真実心ということです。「信楽」というのは疑わないということです。「楽」という字は「たのしむ」と書いてありますけれども「ねがう」という意味です。信じ願うて、仏の国に生まれたいと欲うて、乃至十念せんと。十声でも念仏申すものは、我が国に生れさせようというのが第十八願。要するに、それはどういうことか言ったら、無限なるもののはたらきである南無阿弥陀仏を信じて称えなさいと。そうすれば浄土に生れられる。別の言い方をしますと、本当の私の迷いが終わるということを言ってあるのが第十八願だと。このように法然上人や善導大師は受け取られたわけです。

 だから、浄土宗の人は、ともかく南無阿弥陀仏と称えるとおっしゃる。だから、如来様の称えよとおっしゃるんだから称える。ただ称えるんだと。ただ称えるということは、称えてどうかしようというんじゃなくて、称えて来いという仰せですから「ハイ」と答える。信心といわれたら、信じますと言うとる信心じゃないですかね。本当に信じるということは、言葉がいらんということです。例えば、親子は信じるか信じないか言わんですよ。親を信じるか信じないかと言い出したらお終いです。それは疑いが入ったということですから。その信を超えた信を、至心信楽欲生と言ってあるんだというのが法然上人の教えです。だから、称える中に「三心(至心・信楽・欲生)」がみなこもっているのだと『一枚起請文・いちまいきしょうもん』の中に書いてあります。

 

一枚起請文

                                        源空述

  もろこし(唐)、我がちょう(朝)に、もろもろの智者達のさた(沙汰)し申さるる観念の念にも非ず。又、学文をして念の心を悟りて申す念仏にも非ず。ただ、往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思とりて申す外には、別の子さい候わず。但、三心四修(さんじんししゅう)と申す事の候うは、皆、決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内に篭り候う也。此外におくふかき事を存せば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。

  念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能く能く学すとも、一文不知の愚どん(鈍)の身になして、尼入道の無ち(智)のともがらに同して、ちしゃ(智者)のふるまいをせずして、只一こう(向)に念仏すべし。

    為証以両手印(しょうのためにりょうてをもっていんす)

  浄土宗の安心起行、此一紙に至極せり。源空が所存、此外に全く別義を存せず。滅後の邪義をふせがんが為めに、所存を記し畢(おわんぬ)。

    建暦二年正月二十三日

                             源空(花押)  聖典P962

 

 つまり、臨終のときにおっしゃった法然上人の言葉です。三心というのは、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲う。これを三心といい、信心ともいいますが、これは南無阿弥陀仏申す中に、全部こもるのだと法然上人はおっしゃっています。それを信ずる力さえないのではないかと、このように親鸞聖人は考えられました。しかし称えてどうかしようとする心が入っとるのでないか。ということは、こちらの思いが入っているのでないか。向こうからのはたらきなのに、それをこちらの思いで握ろうとしているのではないか。つまり、それは信じていないのではないか。そういう問題が念仏申す者の中にはたらいているのではないか。無限なるものが有限なるものにはたらいている。こちらから手はとどかんわけですからね。無限なるものがはたらいているが、それをそのまま受け取ることができない。そこに人間の計らいがはたらくという問題が、人間にあるのでないかということを、親鸞聖人が法然上人の教団の中に見ていかれた。 それで親鸞聖人は本願を二つに分けて解釈されます。

 「本願の名号は正定の業」は十七願だと。これは諸仏がほめ讃えているという十七願。十八願は信心を誓ってあるのだから「至心信楽の願」といわれるのです。つまり信心の願だと。如来様は、私が信ずる心がないというところまで見通して、そして私の上に信心を成り立たせたいという、つまり信ぜしめたいという心が、「信じよ」という仰せになっているのでないか。その心が私にとどいた時に、私が本当に念仏申すというならば、如来の方から信ぜしめたいという願いがとどいた姿だと親鸞聖人はお受け取りになって、本願の名号の方は十七願、それを信じる信心の方は十八願。だから、如来の方が本願を建てたわけです。名号の本願を建てた、信心の本願も建てた。つまり、私の問題は如来が全部答えた。南無阿弥陀仏申させて、たすけたいというのは十七願。それを信じなかったらできんという信の問題は十八願。私に信ずる力さえないんだということを見通して、信ぜしめたいという如来のまことが十八願を造った。それが私にとどいたのが、私が信じるという意味だと。これは十八願成就文を見ればそうなっております。そういうように親鸞聖人は、十七願と十八願を分けて考えたんですね。    

 だから「本願の名号は正定の業なり」というのは十七願。そして「至心信楽の願を因とす」というのは十八願。これが信心です。十七願は行、南無阿弥陀仏。そして十八願は信心、その信心をもって「至心信楽の願を因とす」ると書いてある。なんぼ南無阿弥陀仏が成就しても、それが信じられなかったならば、如来の本願は空しいものになります。それを蓮如上人は「自力の心をふりすてて一心に弥陀たのむ」という表現になっています。自力の心というのは、自分の分別とか考えていることを光にしているということです。我が身をたのみ、我が心をたのむ、我をよしと思う心、人を善し悪しと思う心を、親鸞聖人は自力の心と表現しておられますけれども、「ふりすてて一心に弥陀たのむ」それが信心でしょう。こういうことが、私たちの念仏申して救われるという教えになっている大きな意味だとおっしゃるわけですね。要点は、「本願の名号は正定の業」は十七願、これは行の願。「至心信楽の願を因とす」は、信の願。願というのは如来が建てたということです。私に先だって如来が建てて私に回向した。それが願という意味です。願というのは、如来様が建てなさったげなという話ではないんです。私のために十七願を建てて名号を成就した。それを私に与える。つまり無限なるものが有限なるものにはたらいておるわけですね。その名号を私が信ずることができればいいんですよ。ところが、私たちに信ずる力さえない。だから如来様は十八願の本願を建てて、信ずる心まで私に与える、それが十八願という意味だと。それが絶対他力という意味です。つまり、南無阿弥陀仏は他力。信ずるのは自力と、こういうのが浄土宗だそうです。ところが、行も信も他力。それより他に有限なるものは、有限なるものと自ら深く信じ、無限なるものに依るということはあり得ない。こういうことを言うてあるのでしょうね。

 曽我先生が「感応」と言われるのは、こころと心が通じるという意味です。金子先生が「呼応」と言われるのは、「水火二河の譬え」です。如来が呼ぶと、それに応える。だから清沢満之先生は「対応」とおっしゃる。有限が無限にはならないですから、しかし、有限と無限は離れられない。如来と衆生は離れられない、「対応」です。それを曽我先生は「感応道交・かんのうどうこう」と言われました。こころと心が通じている。そして金子先生は「呼応」といわれたんですね。呼ばれて、それに応えるということは、いろんなもののたすかる世界ですよ。如来は呼び続けておられるわけですよ。そういうのが「呼応」です。こういうかたちで、「本願の名号は正定の業なり 至心信楽の願を因とす」は、おのずから「必至滅度の願」という意味が受け取れるんです。来月は「証」、真宗における悟りということは、どういうことかということについて、お話し申し上げたいと思います。

bottom of page