
正信偈に聞く
42-1
平成24年1月10日
みなさん明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
先月、十二月は皆様に、それぞれ仏縁に依って仏法に出遇っておられる喜びなり悲しみなりをいろいろお聞かせ頂きまして、本当に尊い御縁であったとつくづくと感じておりまして、毎年十二月には、必ずああいう形にした方がいいなぁと言って、家内と話しをしたことでした。
昨年十一月のお話の最後に、曇鸞様が「大集経・だいじっきょう」の注釈本をお書きになろうとなさって、そして病気になられた。病気になれば仕事が完成致しませんので、それで道教の道に依って不老長寿といいますか、「不老不死」の道を求められた。そしてそのことを菩提流支三蔵(ぼだいるしさんぞう)から厳しく、それは迷いだと言われて、初めて自分の迷いに気づかれて、そしてせっかくもらってこられた仙人のお経を(梵焼仙経帰楽邦)と、仙経を焼き捨てて念仏の仏法に帰せられた、ということが『正信偈』の一番初めに曇鸞様(どんらん)のお徳をほめられるところで述べておられます。それはどういうことであろうかということを、みなさん考えておってくださいと言って十一月の終わりには申し上げておりました。
十二月の時に、みなさんお一人お一人の御了解を話していただきましたときには、必ずしもそれに触れて下さらない面もございました。
それで今日は、やはりその事は、どうしてもはっきりしておいた方がいいのではないかという思いがございまして、今日は資料を作ってみました。それでそれを通して、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
曇鸞様は、菩提流支三蔵に不老不死の道をたしなめられて仙経を焼き捨てられました。
そして菩提流支三蔵から「観無量寿経」を授けられて、お念仏の仏法に帰されたということは、今まで申しておりますので、皆さんご理解頂いておるわけでございます。曇鸞様の問題を考えるときに、今一度根本から仏教を一緒に考えてみたらどうだろうかと思って資料を作ってみました。
雪山童子(雪山偈―いろは歌)
釈尊が過去世において雪山で苦行した時の名前が雪山童子である。『涅槃経』にある物語。
雪山童子が修行中、羅刹から偈の前半を聞き、後半を聞くためにわが身を捨てて供養したという。いろは歌はこの偈の意をとったものといわれる。(広辞苑)
私は昭和五年生まれで、昭和十一年か二年頃に小学校に行ったと思います。支那事変が始まった頃が小学生でしたから、その時の国定教科書の国語の教科書の中に「雪山偈」の話が非常に詳しく入っておりました。しかし、お釈迦様の事とは書いてないのです。ただ「雪山歌」のことが書いてありました。
山の中で修行している修行者が居た。それが道を求めてなかなかその道に遇えないで苦悩しておった。そしたらどこからともなく声が聞こえてきた。その声というのが教科書では「いろは歌」になっているのです。
いろはにほへとちりぬるを、わかよたれそつねならむ、
という前半分が聞こえるのです。そこで修行者はぴっくりするのです。「あぁ、この言葉の中に私の求めていたものがあったのだと、しかし誰が今の言葉を言ったのだろうか」といって、そこら辺りを探すのですね。ところが、それらしい人は誰もいなくて、ただ羅刹(らせつ)、鬼ですね、羅刹がそこに立っているのです。修行者はその羅刹に「今の言葉には後があるはずだ。だからその後の部分を私に教えて欲しい」ということを頼むのですね。
そうすると羅刹が、「私は、今は腹が減っておる、だからうわごとたわごとを言ったかもしれない、しかし後の半分と言われたって、行者さんあなたは自分の事ばかり言っているが、あなたはその言葉が欲しいかもしれないけれども、私は腹が減っておる。だから食べ物が欲しいのだ」というのですね。それで修行者が「それならあなたは何を食べたいか」と聞いたら、羅刹が「驚いてはいけませんよ、私は人間の生肉を食べたいのだ」と言うのです。そしたらその行者が「それならば、後の言葉を教えてくれれば、私の体をあげる。だから後の言葉を教えてくれ。」と言うのです。それで約束が成り立って羅刹が後の言葉を言うのです。
うゐのおくやまけふこえて、あさきゆめみじゑひもせす。
と言うのです。それを聞いて行者が躍り上がって喜ぶわけです。これで私が本当に求めていたものが解ったというので、その言葉を岩といわず木といわず、ありとあらゆるものに書き留めていくわけです。そしてその行者は木の上によじ登って、羅刹の前に身を投げるのです。その途端に羅刹が帝釈天に変わったと。こういう物語なのですね。
私は僧侶になってから知りましたけれども、『涅槃経』の言葉なのですね。その時に『涅槃経』にある言葉は「いろは歌」ではないのです。
諸行無常(諸行は無常なり)、是生滅法(是れ生滅の法なれば)、
生滅滅巳(生滅滅しおわれば)、寂滅為楽(寂滅を楽と為す。)
この言葉を教えてもらった代わりに羅刹の前に身を投げるという、こういう物語が小学校の国語の教科書に入っておったのです。このことについては、「お前たちはどう思うか、帰ってお父さんやお母さんにその心を聞いて来い」という宿題を出して、親もこれは難しかったと思いますよ。
これは、私の勘ぐりですけれども、私は国語の教科書に載ったということは国家主義というようなものをここで考えておったのではないかと思いますね。仏法のことを言おうとしておるのではないということは明らかですから、国家主義、つまり「お前は、天皇陛下のために身を投げられるか」ということを教えたかったのではないかということを思いますけれども、その時が支那事変は始まっておりましたからね、とにかくこの「雪山偈」が載っておりました。
「諸行は無常なり。是れ生滅の法なれば、生減減しおわれば、寂滅を楽と為す。」と、これを「いろは歌」にしたのが弘法大師だということになっているのですが、百科事典を繰って見ていたら弘法大師ではないと書いてありますね。時代が違うということが書いておりました。
色は匂へど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ。
有為(うい)の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。
そういう言葉として、「雪山偈」を書き直したのだと伝えられておるわけです。「色は匂へど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ。」これは「諸行無常」ということです。これは誰もいやとはいえないと思いますね。その時に、「有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。」つまり、この「有為」ということは、
◎有為―さまざまの肉縁によって生じた現象、また、その存在。絶えず生滅して無常なことを特色とする。有為の奥山というのは、無常な世を脱することの難しさを奥山にたとえて言う。(広辞苑)
「有為の奥山」というのは、我々の諸行無常を知らない、自分の執着にとらわれて生きているあり方を言っているのです。だから「今日越えて」、浅い夢の世界を夢の人生を今日超えて、酔生夢死という言葉がありますが、酔っぱらったような生き方はもうやめようという教えの言葉です。それを「いろは歌」にしたのだと、こういうようになっているわけです。
なぜ私がこの言葉を引こうと思ったかといいますとね、十一月にお話をしました最後のところに安田理深という方の言葉を引いておきました。この方は教団の中で地位を得ることをあえてなさいませんでした。大谷大学で教授として引っ張りましたけれどもなられませんでした。自分で私塾を持たれまして、そこに大学の先生なども参加されて、その私塾で多くの人に教えを説いた人です。
その方が亡くなった時に、みんなでお葬式をしたわけですが、その時に奥様が、「主人は、若い時は、「朝に教えを聞けば、夕べに死すとも可なり」と、いつも言っておりました。」そして年をとってからは、
「仏道とは死することとみつけたり」と、こう言っておりました。」ということを奥さんが言われたということを、ある本でその事を知りました。そのことの紹介を十一月にいたしました。その時に「朝に教えを聞けば、夕べに死すとも可なり」という言葉ですね、
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(論語)
人として大切な道徳を聞いて悟ることができれば、たとえその日の夕方に死んでも心残りはない。道徳の尊さを説いた孔子の言葉。(広辞苑)
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というのは、私は中学校で習いました。漢文で論語を習いましたから、この言葉は知っています。それを安田先生はも知っておられるわけですね。「朝に教えを聞かば」です。つまりお念仏の仏法を聞くことができれば、「夕べに死すとも可なり」ということを安田先生は仰った。
そして「武士道と云ふは死ぬ事と見付たり。」という佐賀の「葉隠」の言葉をもじっておられるわけです。これは有名な言葉ですね、それをもじって、安田先生は『『仏道と言うは死することと見つけたり』と、晩年は言っていました」と安田先生の奥様が仰っておられるのです。
私たちは仏教を聞くということは、何か役に立つと、極端にいいますと、自分の心がけといいますか、自分の一つの依りどころにして、そして少しでも立派な人間になっていこうとか、幸せな日暮しをしていこうとか、そういうように私たちは考えるわけです。
しかし教えを聞いて解ったら羅刹の前に身を投げるということはどういうことなんだろうかということなのですね。聞いて解ったと言って羅刹の前に身を投げたら、何もならんではないかというように私たちは思うわけです。その時にその行者は、その言葉を岩といわず木といわず書きつけていくという、何かこういうところに釈尊という人の生涯というのは、実は押し詰めていけば、そういう意味があるのでないか。
釈尊は八十歳まで生きられました。そして多くの人々に道を説かれたわけですね。しかし釈尊は文字を書かなかったと言われております。後に、弟子によって文字になってお経になるわけです。しかし釈尊が、みんなに説きたかったことをギリギリ押していけばここに極まる。 私たちは未来ばっかり見ているわけです。こうしておけばこうなるだろう、ああしておけばああなるだろう。だからそのために苦労する。
例えば子供を育てておれば老はどうだとかね、自分が一生懸命苦労すれば、年をとってから楽をするとか、未来を見ているわけです。そしたら途中で死んでしまったら何のために働いたか判らんという話になるわけですね。だからいつも未来ばっかり、その未来もあるかないか判らないわけです。本当は今.今です。そこで、本当の現在を現在として生き切れる道が見つかったか。
私たちの考えは、いつも未来に向いているわけですから、逆に未来の方から現在に向かって、そういう私を私として知らせてくれる、そういうことを親鸞聖人の場合は他力回向と言っておられるのでしょう。
浄土がこちらにはたらく、浄土は未来です。この世は浄土にはなりません。しかし単なる死後ではないのです。絶対未来です。死んだら極楽に行くというのは親鸞聖人の教えで言えば正しくありません。そういう思いを蓮如上人の「後生」という言葉が非常に悪い方向にはたらいております。そうでなくて未来というのは、この世を超えた世界です。この世を超えた世界がこちらにはたらいている。
そして私たちの今というのは、本当の今ではなく、迷いの世界を生きている今です。どういう迷いかと言えば、ああなったらこうなったらという、そこに人間の分別というものがあるわけです。人間の分別というのは必ずそうなってしまいます。だからそれが発展志向というものになるわけです。その発展志向のどん詰まりが現在の原子力発電所まで来ていると思いますが、まだ我々はこのことに目が覚めない。おそらく人間は目が覚めないでしょう。どこまで行くか判らないと思いますね。そういうものを見抜いて、本当の現在というものを、私たちの分別を超えた本当の現在というものを私たちに与えようとしている。
私たちはそういう意味では現在はないのです。私たちの分別の世界は「過去」と「未来」だけです。実は、本当にあるのは「現在」だけですよ。過去というのは現在の内容です。未来というのは方向です。だから本当は現在だけなのです。その現在が見えなくなっている。見えなくしているのは、人間の我執分別です。自己中心といいますか、俺が俺がと自分にとらわれた心です。それが破れない限り、人間はどうなったって助からないということを教えているのが仏教です。
ところが私たちは、それを分別で聞こうとするわけです。そうすると、教えさえ判れば先は幸せになるとか、そして少しでも立派な人間になると。そうでしかありえない自分を、そうでしかありえない自分と気が付かないわけです。やっぱり少しでもよくなるのではないかと、こういうところに人間の分別の問題があるわけです。
そのことを、どこまでも知らせようとするのが仏教です。そういう意味で言いますと、道が解った、そして羅刹の前に身を投げた。そしたら羅刹が帝釈天になったからよかったということになるわけですが、そこにまた迷いが始まってしまうわけです。
正信偈に聞く
42-2
平成24年1月10日
法隆寺に「玉虫の厨子」というのがあります。上の方が厨子になっているわけです。下が高い台のようになっておりましてね、それが四面になっているのです。この四面に密陀絵という技法による「雪山童子の物語」が描かれてあるのです。この「玉虫の厨子」の場合は羅刹ではなく虎になっています。行者が虎の前に身を投げるという絵になっています。
そういうところに、私たちがこの道が解れば「夕ベに死すとも可なり」と言える、そう言える本当の目覚めといいますか、本当の真実の道の発見といいますか、そういうことが、私たちが仏教において聞いかけられておる問題だということをはっきりさせていかねばならないと思います。
ここで「雪山偈」の説明をしておきます。「諸行は無常なり。」一切は因縁によって生じ因縁によって滅する。留まるものは何一つとしてないのです。そのことに私たちは目が覚めませんから、私というものがおって、そして私の外にそれを見ておるわけです。そう見ておる私は置き去りにされるわけです。そうしますと賭行無常ということが観念になるわけです。ですから、そう見ておるあなたが諸行無常なのだということがなかなかはっきりしないわけです。
そのことをはっきりさせるために、お釈迦様は出家されるわけです。そして一切を捨てていくわけです。しかし捨てれば捨てるほど捨てられないわが身ということが問題になるのだと思います。私たちは一切が捨てられませんから、もぎ取られたときに泣き悲しむわけです。しかしまた起き上がって、外へ外へと求めていく。そしてまた奪い取られたら泣き悲しむけれども、また起き上がっていくわけですね。そうしている私自身が問題にならずに置き去りになってしまう。そのことをお釈迦様自身は生涯かけて明らかにされ、一切衆生にその道理を説かれました。
しかしそういう世界を、私たち在家の日暮しをしながら、どこで引き受けていくかということに道を開いたのが法然様と親鸞様です。その依りどころにされた経典が浄土三部経です。
それまでは、浄土三部経はあったのですが、しかし出家して、お釈迦様の通りにするのが仏教と考えられていました。そうすれば一握りの人の道になってしまう。だからそうできない人のために、仮に説かれたのが浄土三部経に説かれる念仏の教えだと言うのが比叡山や奈良の仏教の人たちの考えでした。
それは解りますね。それは、お釈迦様は一切を捨てて捨て切った人ですから。そこで悟りを説いた人ですからね。
そうすると、普通の者は捨てるどころではない手に入れることばっかり考えているわけですから愚かですよ。そうすると当然、苦は免れません。在家の生活は、苦は免れません。
なぜかと言えば無常なる人生の中に常を求めているわけですから。何一つ頼りにならんものを頼りにして、しかも自己の満足を得ようと欲望の生活をしているわけですから。その生活を捨てないでお釈迦様の悟りを、いわば「朝に教えを聞かば、夕べに死すとも可なり」という世界をどうして手に入れるかということを実験した人が親鸞聖人です。
法然上人は原理として、はっきりされましたけれども、生涯出家を通されました。一日六万遍も念仏された。そしてお聖教を読まない日はなかったといわれます。ですから、法然上人は生活者とは言えないわけです。やっぱり出家者です。
親鸞聖人は初めて生活者になられた。子供が六人できるわけですから。そこには勘当しなければならんような子まで居るわけですから。こういう中で「朝に教えを聞かば、夕べに死すとも可なり」という世界をどうして私の上にはっきりさせるのかということを「念仏の信心」ということではっきりさせられたわけです。それはどういうことなのか、ここのところを、私たちははっきりしておかなければならないと思います。そうでなければ、曇鸞様が仙経を焼き捨てたということがなかなかはっきりしないと思うわけです。
ここに「雪山童子の物語」というような事を言われると、私たちは途方に暮れるといいますか、お釈迦様はそうだったろうけれども、我々にそういうことを言われても、それは問題だと思いますね。
大谷大学の学生だったときに、ある先生が、「仏教は、私たちの生活のためになるような話ではありません。」ということを言われたことがあるのですよ。講義を聞きながら考えこんだ覚えがありますね。この世の中にためにならんような教えなんて、何のためにあるのだろうかと、やっぱり「ため」を言うわけです。
なぜそのことを先生が言われたのかなぁということは、私自身が心のどこかに引っかかっていました。しかし、その先生は自信をもって講義の中で言っていかれるわけですね。人間が生きるのに「ためにならん教え」なんて、何のためにあるかと、また「ため」を言っておるわけですけれども、そこらの問題なのですね。
だから「ため」と言うたら「本当のためになるもの」ということですね。私たちがためになると思っているものを、仏教は打ち崩していくような教えなのですね。そこのところがなかなか私たちにははっきりしないわけです。そういう問題があります。そういうことを考えていくときに、参考に金子先生の言葉を引いておきました。
これは私が申し上げるというよりも、皆さんがお考えくださればいいのですが、
人生における問題はやがて人生そのものを問う。
そして、それに答えるものが真実の宗教である。(金子大栄)
これは「観無量寿経講義」の中にある有名な言葉なのです。韋提希の問題なのですね。この言葉は、私はお説教の中でよく話しをするのです。韋提希自身がその事でお念仏に遇うわけです。誰か、NHKの放送劇を見ていたら、あるお祖母ちゃんが歌を作るわけです。川柳でしょう。
子育ての、終わりし我に何残る、孫は子のもの、子は他人(ひと)のもの
と歌うのです。これはとても面白い川柳だと思うのですね。特におばあちゃんですから、女として一番大きな問題は、これは男もそうですけれども、子育てでしょう。今は子育てのできないお母さんが増えて来ておるといわれますけれども、それは豊かになったことから来ていると言われます。
昔の親は、子育てが上手だったのではないですか。そうして子育てが終わった。それでふっと立ち止まったわけですよ。一生懸命苦労してきて、私に何が残っているのかとふっと気が付いた。これが「人生における問題」です。これが人生における問題の象徴なのですね。そしたら、やがて「人生そのもの」が問われるのでしょう。
孫・孫言っておるばってん、孫はしょせん子供のもの、これは当たり前です。一番命がけで育てた息子は、年をとった母親よりも若い嫁さんがよくなったのでしょう。
だから「子は他人のもの」になったでしょう
自分に何が残っているかというたら、ガタのきた身体と、ボケの出た頭、向こうに棺桶がちらちらしている。これが『諸行無常』でしょう。当たり前のことなのでしょう。人生における問題は、「結局、私の人生ってなんだったのだろうか」ということが「人生そのもの」です。「人生における問題はやがて人生そのものを問う」そうなっているのだと。
犬や猫は我がないからですね、人間が考えるような分別はありません。生まれたときからずっとそのまま死んで行くわけですね。だから「ただ生きている」というのです。考えない。だから死は無いというのです。
人間は死をどのように考えるかというたら、生を否定するものとして考えてしまうわけです。なぜかというたら、生に執着しますから。具体的には自分ですね。自分を否定するものが死と考えてしまう。だから死を恐れるわけです。
ところが大や猫は、そういう形での生はないわけですから、死がないわけです。そのまんま死んで行くわけです。動物も人間以外のものはみなそうです。犬や猫には苦悩はないわけです。あるがままなのですね。自然と一緒です。
人間だけが自然から立ち上がってしまった。そこから人間の知恵が出てきて、そして人間の文化ができてきた。だから人間だけが進歩があると、こう言っているのですが、いつの間にか自然を材料にして、欲望で造った人工の世界で豊かになることを幸せと思うようになり、便利になることが幸せ、そのために自然を無茶苦茶に利用して、そして人工の世界を造った。人間の歴史はみなそうです。
それを根本から崩したのが今回の津波です。しかし、今でもそういうことを繰り返してきたわけです。その中から、また自然の驚異というものに恐れをなし、そして自然の大切さというものを気づいたりしながら生きて来たわけです。しかし今は、現代という時代はそういう時代ではないわけです。むしろ人工の世界をどこまでも伸ばしていこうとする、だからそういう意味で言うたら自然に対する謙虚さといいますか、そういうものはどんどん失われていっているわけです。
そこに人間の根本的な問題を、「子育ての終わりし我になに残る、孫は子のもの子は他人のもの」と言っている私が居ります。しかし親が子を育てるということは、親が子を育てたのですが、子によって親が育てられていることも事実です。親と子との因縁ですね。親は子によって育てられ、子も親によって育てられておる。
だから私はいつも言いますが、「誰のお蔭で大きくなったか」と言うのもよかばってん、「親らしい親でもなかったばってん、お陰でよう大きくなってくれた。」と、こう言ってもいいのではないか。親としてそれを言いたくないのが「おれ我」です。そういうおれ我が、自分自身をどんどん暗い洲に落とし込んでいっているのではないのかという、つまり「人生における問題は、やがて人生そのものを問う」という、これが観無量寿経の根本的課題だというのが金子先生の観無量寿経講義の中での一つの視点なのですね。
また金子先生の「人間の犯す罪と、人間であることの罪」という言葉も、これは有名な言葉ですね。「人間の犯す罪」というのは、お互いに自分でよく判るのですね。しかし、そうでしかあり得ない人間、「人間であることの罪」というものがあって、そういう私というものを知り尽くすということは、人間の分別では不可能だと。これは人間を超えた大きな真に遇うて、むしろ人間の方が崩れていく、わが身を頼む心が破れる以外に、実はそのことに気づくということはあり得ないということを金子先生は仰るわけですね。そういう問題が、仏教という宗教が私たちに問いかけている事だと。こういう意味なのですね。
人間がものを問うときには、おおよそわが身以外のものを問うものである。わが身のことを潤うということがあっても外部との関係において、どうすべきかという事を問うのである。
たとえば身の苦痛についても、その原因はどこから来たか、どうすればその苦痛を除くことができるかということの他はない。日常われわれが関心をもつことは衣食住である。なぜかなれば、これがわれわれの身命にかかわることだからである。そして、そこに政治・経済・文化の向上が求められるのである。わが身はついに、わが身を問うことがなかった。わが身以外のものを問うことがわが身のためと思っていた。ここに衣食住に追われることを身命にかかわることと思っていたものが、その身命を顧みないで親鸞を尋ねて十四カ国の境を超えてやって来た。その人々に対して、親鸞は生死を解脱する道として往生極楽の道を説かれた。
(蓬茨祖運著 『歎異抄講座』)
これは歎異抄第二章ですね。「十余カ国の境を越えて身命をかえりみずしてたずねきたらしめたもうおんこころざし」ということについての講義です。
蓬茨先生は、九州大谷短期大学の学長をなさっていた方です。これはとても面白い表現だと思いますね。
私たちは、自分のことと言っておりますが、本当の自分の事が自分の事と解っていないのではないかと、何か自分の外のことを自分の事と考えているのではないかという言い方でしょう。皮肉ですけれども、なかなか面白い表現だと思うのですね。私たちは確かにそうなっています。
今、やかましいのは政治でしょう。政治に対しての不満でしょう。そして一番関心は経済であり文化でしょう。しかし本当は「わが身」、私と言っていますが、そういうことが問題になったことがないのですね。だからいつも不満ですよ。何かあればみんな他人のせいにしてしまう。政治が悪いのだと、どうかすれば親の育て方が悪いという子が増えて来ています。「親の責任と言っているあなたは何か」と、問うてくれる人がおらん。なぜかと言ったら、そう言われておる親の方も、そういう同じ生き方で来たもんだから、何かそこのところを言われでもはっきりしない。「何を言っておるのか」と、「お前自身の問題なのだ」と。そのお前自身の問題は、おかあちゃんの問題かと言われかねんから何も言ってはいかんと。今は何か本当の問題を明らかにしていく方向ではないのですね。
みな人ごとにしている。そういう問題があるでしょう。
正信偈に聞く
42ー3
平成24年1月10日
我々の表面に現れて来る所の善とか悪とかというものの根底に、人間の謂ゆろ自我愛とか我執とか、そういうものがあって、人間は助け合わねば生きてゆけないことは余りにも明瞭なことであるにもかかわらず、自分自身の思い通りに生活しようとすれば、害し合わずにおれないという風に運命づけられている。人生そのものが何時でも、そういうふうな問題をはらんでいる。これは特殊な個人の問題ではなく、つまりこの世というものが問題になる。この世の事柄がこの世を問題にせしめるのである。(金子大栄「浄土の機縁」より)
「人生における問題は人生そのものを問う」ということを、もつと具体的に金子先生は仰っておられるわけですね。私たちの根底に、仏教が言おうとするのは人間の自我愛とか我執とかというものがある。人間の自我愛が確立するのは二歳半から始まると。二歳半から始まるということは、人間の歴史がそこにあるわけです。その人がそういう二歳半から始まるということは「曠劫以来の迷い」と仏教は言いたいわけです。そういうものを引き受けてみんなが生きて来た。そして結局は苦悩より他に有り様がありませんよ。それが「人生における問題がやがて人生そのもの」の問題なのですね。
真宗の教えにおいて罪悪というのは煩悩の生活ということである。よく真宗の罪悪感というような言い方があるが、聖教の上には、罪悪感というような思想的なものはない。つまりすべて深い生活をしているということである。真宗人の心では、善といっても悪といってもすべて煩悩であり、罪の深い生活であると感じているのである。その生活が非道徳的であるとか、法律に背いているということではない。何かしらんが、おはずかしい生活をしておりますということである。人間はすべて愛と憎しみを離れない。それが庶民の生活である。それにたいしてどうすることもできないというところに人生生活の悲しみがあり、その悲しみにおいて、それを介してはじめて大悲の本願をいたくことができる。そこに深い喜びがある。 (金子大栄「浄土の機縁」より)
ここのところですよ。そこのところに法然上人や親鸞聖人によって顕らかになった釈尊の本当の精神というものを普通の我々がどういう形で受け取っていくのかという一点をこういう形で金子先生は書いておられるのです。
それをもっと具体的に判りやすく、金子先生の弟子ですが、寺田正勝という人の「歎異抄講話」の中に書いておられます。
私たちの「善悪沙汰」は、常に煩悩に左右されてしかあり得ません。極論すれば自分に気に入るものは善であり、気に入らぬものは悪です。愛憎に左右されて利害に左右された善悪しか、人間の世界にはありえません。すべては迷いの世界のできごとです。
この迷妄・流転の世界にあっては、すべては中途半端で、相対的で、しかも自己本位でしかないのです。聖人が言われる「是非知らず、邪正もわかぬこの身」と真実に自覚せしめられる時、その心が南無阿弥陀仏となって日からほとばしり出てくるのです。念仏に到達しなければ納まりのつかぬ人間世界の事実です。
(寺田正勝著「歎異抄講話」より)
これは非常に金子先生が仰っていることを、もっと具体的に寺田先生という人が仰っておられます。
寺田先生という人は田川の人です。九十歳過ぎておられたと思いますが、最近亡くなられました。大谷大学の助教授をしておられたのですが、寺の都合でお帰りになって、ずっと最後まで寺に居られました。しかし九州で嗣講(しこう)という教団の学位を持っておられた方は寺田先生だけです。
結局、私たちの人生において「念仏に到達しなければ、納まりのつかぬ」のが人間だと仰います。ここで「是非知らず」という親霊聖人の言葉がありますし、「煩悩」という言葉が次々に出てきますから親鸞聖人の言葉を引いておきました。
凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。
(一念多念文意 六六七頁)
そうですね、「貪欲・瞋恚・愚痴」といって三つの煩悩をここでは「欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむ」と言うてあります。
「欲は」貪欲です。「怒りはらだち」が瞋恚です、そして「そねみ、ねたむ」と言う形で愚痴を言うてあります。しかも「こころおおく、ひまなくして」ですね、「臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえに」あらわれておる。「無明煩悩われらが「み」にみちみちて」と、親鸞聖人は心と言わずに「み」身と言っておられます。そして必ず「われら」と言われます。そうすると「我々」というと対象がぼけてしまうでしょう。だから「赤信号みんな(われわれ)で渡れば怖くない」という「われら」ではないのです。
親鸞聖人は必ず「われら」と仰っています。金子先生はそれを「らをわれにする」と言われました。「われわれ」という意味ではない。「ら」というのはみんなです。それをわれ一人に引き受けている。「らをわれにする」表現だと。これは、法蔵菩薩はすべての人々の苦悩を我が身に引き受けるのです。そこに阿弥陀仏の心があるわけですから、「ら」というのは、すべての人々をわが身に引き受けているのです。だから「われら」という金子先生の表現は「らをわれにする」表現だと、こういうように言っておられます。これはとても大事な表現だと思います。
2、「凡夫は、すなわち、われらなり。本願力を信楽するをむねとすべしとなり。
(一念多念文意 六六七頁)
つまり南無阿弥陀仏ですね。如来の本願を信じ頂くと言う、それを依りどころとすべし。
それ以外に我々のような者が救われる道はないのです。そういう意味で凡夫ということについて親鸞聖人の表現が「一念多念文意」に出てきます。
そしてその次に、先ほど寺田先生が「是非知らず」と親鸞聖人の仰る言葉を引いてありましたからここに引いておきました。
3、是非知らず邪正もわからぬ、この身なり、小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり
(正像末和讃 六二六頁)
慈悲は無いと、解ったようなことを言っておるけれども、小さい慈も悲もないくせに名利に人師を好むなり。何か人を救っていくような人間と言われる事を、どこかで喜ぶといいますか、そう言われたい自分がおると。そういう悲しみを仰っておるのですね。「是非知らず」何が「是」で何が「非」か知らない。何が「邪」であるか、何が「正」であるかも解からない。本当は、そういう私なのだと。こういうことを何故言えるかというたら、そう言わしめるものに遇うたということですよ。
それが本願力を信楽する世界ですよ。本願力に遇って初めて、わが身をわが身と私たちは知ることができる。その時に私たちは、そうでしかあり得ない私を私として承知できるといいますか、言い訳をしない、他人のせいにしない、たとえどういうものが自分の中から出てきても、そこで「業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」です。
私たちは親鸞聖人との出遇いに幸せを感じるのは、言葉があるということですよ。真実の言葉がある。結局、私たちはなんでたすかるかというたら言葉で助かるのです。真実の言葉に遇って、私たちは救われるのです。
私などは、夜の目覚めにトイレに二度も三度も起きるようになりましたから、そうするとすぐには寝れませんから、じっと機になっていると、親鸞聖人の言葉が出て下さることがあります。その時は有り難いですね。「正信偈」はもちろんですが、「歎異抄」も出てきます。今、家族と一緒にお内仏で歎異抄を一章ずつ読み始めましたけれども、あらためて唯円という人は親鸞聖人の教えを本当に頂ききっておられますね。
私たちの幸せというのは、よき人に出遇い、よき人の仰せが頂けるということですと。自分なりに解釈するのではない教えを頂くわけです。縁によって心の中から何でも出てくるわけですから。鸞聖人は「業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」と仰ってくださってます。親鸞聖人は誰かに言われたのではないのです。自分自身がそう頷いておられるわけです。だから私たちに響くのだと思いますね。
ある学者の方は、唯円と言う人はメモ魔でなかったかと言われています。親鸞聖人が亡くなって二十年ぐらい経っているわけでしょう。そうしましたら記憶は消えるものも多いし、また自分の考えが入りますからね、そうすると、どうしても自分なりの解釈した言葉になります。親鸞聖人はこう仰ったと言っても、解釈になるわけですよ。
だからある学者は唯円と言う方はメモ魔でなかったかと言われるわけです。親鸞聖人の側に居られて、歎異抄第九章では唯円房との対話の場面が出てきます。そして第二章では、十余カ国の境を越えて尋ねて来た中に唯円房が居られたのか、また親鸞聖人の側に居られたのか、それは判りませんが、その時に親鸞聖人が仰ったことをさっと書いていく。メモしたものをたくさん持っておられたのではないか。ですからそれを唯円なりに整理しておられるわけですけれども、それが非常に正確です。正確に書いておりますからメモしていなければ、記憶だけではとても書けませんよ。そういう事だと思いますね。
そこに「有縁の知識によらずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや」と総序におります。「易行の一門」というのは、念仏の教えというこということです。南無阿弥陀仏が基本ですよ。私たちの生活に南無阿弥陀仏がなかったら、私たちの生活が宗教生活には絶対になりません。そして、そこから限りない教えが出てくるのですからね。
親鸞聖人が南無阿弥陀仏申された生活から出てきた言葉です。親鸞聖人の脳を絞り出して出てきた言葉ではないのです。それをきちっと唯円という人は「歎異抄」に書いています。歎異抄を毎朝拝続していますが、今までにない感銘がありますね。唯円という人はすごいなと思いながら読んでいますけれども、そういうものが夜の目覚めにも出てくださいますからね。「よき人のおおせ」というものをきちっと覚えておくことは大事ですね。
そうすると、私の心の中に何があっても、それで消えますね。その言葉が出てきてくだされば、私の中に何があっても、それは消えます。このこと一つに遇わせて頂くための人生であったと。
私たちにはいろんなことがあります。私も八十年、過去が出てきます。夜の目覚めにも悔やむ心やら出てきます。なぜあの時に気が付かなかったのだろうかとか、どんなにか相手の人は悲しい思いをなさっただろうとか、そういうものが次から次に出てきます。しかしもう間に合いません。それが私自身を責めるといいますか、私の人生というものを暗いものにしていきます。そういうときに、よき人の言葉が出て来てくださいますとひっくり返る。一切はこの言葉一つに遇わして頂くための、全部御縁だったと。どんなことでもみな南無阿弥陀仏一つに遇わしていただくために用意された御縁だったと、全部肥やしになるといいますか、どんなことでも、みなそれが肥やしになっていくといいますか、そういう教えに遇わしていただいたことの驚きと幸せ。こちらにそういうものに遇う値打ちは何もありません。
Mさんと大石先生のことを話すことがあるのですよ。大石先生は、私たちが教えに遇う遇い方とは違うとですよね、と言うて話すのですよ。大石法夫という人は京都大学の法科の学生だったのです。お母さんが「法夫は小学校から二番になったことがない」と言われました。本当の秀才だったのでしょうね。
広島県の大竹の人ですが、大竹の小学校を出て、広島の文理大の附設中学に行っておられます。それから広島高等学校を卒業して京都大学に行かれます。京都大学の学生だったときに学徒動員で軍隊にとられたわけです。山口県光市で人間魚雷の搭乗員だったと言われます。
魚雷に人間を積み込んで突っ込ませるという潜航艇で、それが人間魚雷だったというのです。だから死というものがいつも目の前にあった。二十四歳といっておられましたかね。その時にあらためて生が問われた。大石先生はそう言われました。「私の二十何年間は何だったんだろうか、競争から競争だった」と言われました。「一日として心休まる時はなかった。このままでは死ねない」と。死ぬることは怖くなかったと言われましたよ。しかし自分の人生そのものを考えた時に、本当に心休まることはなかったと思うたときに寂しかったと。
大石先生は幼稚園に行っていたときに日曜学校に行っておられたそうですね。そしたら寺の奥さんが古いオルガンを引いて仏様の歌を教えられたそうですね。それを二十何歳の青年が、昼休みの時に海岸に出て、じっと海を見ているときに、その仏様の歌が思い出されたそうですね。そこに本当に安らかな世界がある。仏様の世界に本当に安らかな世界があるのでないかと。それが見つからないままで死ねないということを思われたそうですね。
そして日本は戦争に負けた。「負けた時にどういう気がしましたか、助かったと思いましたか」と聞いたら、「そんなことは思わないですよ。」上官が、日本は戦争に負けたと言った時に、「バカなことを言うな、今からじゃないか」と思ったと言われますからね、やっぱり搭乗員の人はみなそうだったのでしょうね、そう言われましたよ。上官が「荷物をまとめて帰れ」と言ったと。それでも判らんもんだから、いろいろ聞いたら日本は本当に戦争に負けたと知って、それで自分は広島の大竹に帰ったと。
それから大学が一年残っているわけですね。それで一年行ったそうですね。その時にほとんど教室に出なかったと言われました。哲学者の所に行ったり禅宗の寺に行ったりして道を聞いたそうですよ。しかしきちっとしたことを教えてくれる人は誰もいなかったと大石先生は言われましたね。それから卒業して、就職も結婚も決まっていたそうですが、その頃、藤解照海という方に遇っておられるわけです。そしてこの人は私が求めているものを知っておられると。それで「弟子にしてください」と言って大石先生は藤解先生の弟子になられたのですね。『六光学苑』というところです。 大石先生がお坊さんになると言うた時に、お父さんは「俺はお前を坊主にするために教育したのではない」と言って怒られたそうですね。
お兄さんがいたのですね。二番目のお兄さんは京都大学を出てお医者さんになっておられたのですが、軍医になって駆逐艦か何かに乗っていて、そして戦死されたそうですね。だから大石先生が戦地から帰って来られたときはお父さんは抱き着いて泣かれたそうですね。だから期待をしておられたのでしょう。そしたらお坊さんになるというものだから、お父さんは怒られたそうですね。親族会議まで開いたそうですよ。そこに藤解先生は呼ばれたそうですよ。
その時に先生は「これは私がどうこう言う問題じゃない。この人の中にはたらいているものは、誰もどうすることもできない。だから私が善い悪いと言う問題ではないのだと言うて断った」と、藤解先生は言っておられました。お父さんはお内仏の部屋で、大声で泣かれたそうですね。その声を聴きながら自分は隣の部屋に居たと大石先生は言われました。そしたら、しばらくして出て来て「解ったと、大学出すまでは親の責任だ、それから先は自分で自分の道を開いていくのだ。しかし将来のことを考えた時に、困った時は言ってくれ、親はずっと心配している。」と言われたそうですね。それで大石先生は藤解先生の所に行かれます。我々と出発が全然違うわけです。その一筋道をずっと生きておられます。とにかく全然心がぶれていませんね。
それでも藤解先生が生きておられる間は究極のところが解らなかったと言われますからね。藤解先生が亡くなられてから信心の体験があったと言われます。だからMさんと話すのですが、「我々と違うとやんねと。お釈迦迦様が生まれかわっているようなところがある人だから」と言って話しますけど、この方のお母さんがすごい人だったですね。源信僧都のお母さんのような人でした。ですから学生時代、お母さんが「法夫、お前坊さんになってくれ」と言われたそうですね。「そして私を救ってくれ」と、お母さんが言われたそうですね。その時に大石先生は「あんな、景気の悪い者にはならん」と言ったということを言われますからね。京都大学の法科ですから将来を夢見ておられたのでしょう。その方がお坊さんになられるわけです。
大石先生が学園に行かれて、夏に、涼み台に座って涼んでいたら先生が出て来られて、そして、しばらくして、
「大石さん、あなたは私と初めて会ったとき、『遇うべき人に遇いました。私の求めている人あなたのような人でした』と、あなたは言いましたね。」、「はい申しました。」、「しかし、それはそうじゃないのです、本当のあなたに、あなたは遇いたがっているのです。」と言われたそうですよ。
「本当のあなたに、あなたは遇いたがっているのです。私ではないのです。それを時間かけていいから尋ねていきなさい」と、藤解先生は言ってくださったそうですね。その時に、仏教というのはこういう教えだということが解ったと、NHKの宗教の時間の時に金光さんとの対話の中で言われましたね。「びっくりしました。仏教というのはそういう教えなのだと。『本当のあなたに、あなたは遇いたがっている。』その御縁になれるかなれんか」と、藤解先生が仰った。」と。
そういう問題でしょう。だから、それがはっきりすれば、後は、どんに悲惨な、どんな悲しい人生であったって、嬉しい人生であったって、そんなことはみんな迷いの中の出来事なのです。しかしそれがなければ、今日の今日はなかったという、その一点ですよ。その一点が見つかるか見つからないかです。
それをお釈迦模のようにしていくのでなくて、普通の目暮しをしている、その中で見つかるということが念仏に通うということだということを金子先生や寺田先生は仰っておられるわけですね。だから、このお配りしました資料はお帰り下さって、是非何度もお読みください。何かそういう問題として、曇鸞様の問題を親鸞聖人は受け取っておられたのです。
だから極端に言えば、曇鸞様はよう迷ってくださった、曇鸞様が迷ってくださったおかげで、私達がお念仏の教えに遇うということはどういうことかということがはっきりしましたということを、親鸞聖人は仰りたかったのですね。本当は、曇鸞様の個人的に言えば、名誉の話ではないですよ。しかし、それを一番初めに出される。曇鸞様の人間的なお徳といいますか、教えの事でなくて人間的なお徳をほめるのに本当は、そこは言って欲しくないことを、あえてきちっと仰って、それがなければ後はないと。
そして天親菩薩が「浄土論」を説いておられても、曇鸞様の「浄土論註」がなければ、浄土論の本当の心が解らなかったということを親鸞聖人は仰っておられるのです。
曇鸞様は四論宗の学者だったのですからね。その曇鸞様がなぜお念仏の教えに帰されたのか、何がきっかけになったのかということを言われるわけで、親鸞聖人は、よう迷ってくださったと。そのおかげで私たちの人生における迷いの意味が、はっきりしましたと。
そういうことから、仏教の基本を「朝に教えを聞けば夕べに死すとも可なり」と言う安田先生の言葉がヒントになっているのですが、この「雪山偈」というのは非常に大事な視点だと思うのですね。
これを是非、皆さんがお考え頂くと有り難いと思うのです。その一点が「信の一念」というかたちで教えてある。それさえあれば、たとえ自分の人生がどんな悲惨な人生であっても、自殺する必要がない。そして人のせいにする必要がない、みんな、なにもかにもがこの事一つに遇わしていただくための、みな御縁だったのだと、このことに遇わしていただいたことによって、一切がっさいは、みな生きる。意味のあるものになるという意味ですね。
そういうことを親鸞聖人は、私たちに教えて下さっておるのだというように、私は頂戴をしておるわけでございます。
話がながくなりました。今日の話はこれで終わります。有り難うございました。合掌