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正信偈に聞く

 46-1 

​平成24年6月24日

みなさん今日は、雨の中をよう参り頂きありがとうございます。

今日は、引き続き曇鸞様の最後のところになります。

 

天親菩薩論註解  天親菩薩の「論」、註解して、

【曇鸞大師は、天親菩薩の「浄土論」に対する註解を造って、】

報土因果顕誓願  報土の因果、誓願に顕す。

【浄土往生の原因と結果は、如来の誓願によることを顕かにされた。】

往還回向由他力  往・還の回向は他力に由る。

【往相も還相も回向はいずれも阿弥陀如来の本願力である他力による。】

正定之因唯信心  正定の因はただ信心なり。

【往生が確定する因は、ただただ信心である。】

惑染凡夫信心発  惑染の凡夫、信心発すれば、

【煩悩に汚れた凡夫であっても、信心を発すならば、】

証知生死即涅槃  生死即涅槃なりと証知せしむ。

【迷いの状態が、そのまま迷いを離れた状態になることを曇鸞大師ははっきり、示された。】

必至無量光明土  必ず無量光明土に至れば、

【凡夫が必ず無量の光明が輝く浄土に至るならば、】

諸有衆生皆普化  諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。

【穢土のあらゆる衆生をみな例外なく教化することができると言われた。】

 

前回は「惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅繁なりと証知せしむ」というところまでお話を致しました。

今日は、「必至無量光明土。諸有衆生皆普化」のところに入ります。

必ず無量光明上に至れば、諸有の衆生、みなあまねく化すといえり、と、意訳が書いてございます。つまり教化するという、自利と利他の問題です。

大乘仏教は、特に自分自身が救われるだけではなくて、他をも救っていくという、自利と利他が円満であるというところに大乗仏教の基本があるわけです。

それを曇鸞様でいうと「必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生皆普く化す」となっております。これの語句の説明は、

 

⑨「無量光明土」無量の光明がかががやきわたる国土の意で、光明無量の願に報いあらわれた阿弥陀の浄土のこと。光明は煩悩の闇をてらす智慧を象徴する。

だから、はかりなき光明の「土」というのは世界ということですが、つまりお浄士のことを言っておられるわけです。お浄土に帰入すれば、「諸有の衆生、みなあまねく化すといえり」と。

⑩「諸有」―「あらゆる」と読む。また「有」は、衆生の迷いの状態の総称。

⑪「化す」―教法によって、煩悩でいろどられていた人間を、仏に関係する人間、すなわち衆生として根底から変革せられること。

 

つまり、仏法によって救われていく人にしていく。「感染の凡夫、信心発するならば、生死即涅槃と証知せしめられる」つまり、ここは信心の相を言ってあるわけです。信心の行者になれば、その行者は必ず無量光明土に至って、あらゆる衆生を教化する、つまりこの曇鸞様の最後の二行「必至無量光明上・諸有衆生皆普化」が利他の問題になってくるわけです。

そういうことがわざわざここに入っておるわけです。曇鸞様は、天親菩薩の教えをよりどころにして「浄土論注」を造られました。天親菩薩の浄土論の教えは「五念門・五功徳門」ということが説かれております。

五念門というのは、「礼拝門・作願門・観察門・回向門」。そして、その門には、それぞれに功徳があって、礼拝門に対して功徳は近門になります。讃嘆門に対しては大会衆門、作願門については宅門、観察門については屋門と、ここまでは自利です。つまり五念門の中の一から四までは自利になります。これは我々が救われていく相です。

 

『五念門』 『五功徳門』

礼拝門…………近門

讃嘆門…………大会衆門

作願門…………宅門

観察門…………屋門

回向門…………園林遊戯地門

 

「近門」というのは、宗教の門ということです。宗教の門は礼拝から始まるわけです。近づくということです。

「大会衆門」というのは、多くの人々と出遇える場、御同行御同朋という世界が見つかってくるということです。

「宅門」というのは、家で言えば屋敷です。だからお浄土の屋敷ということです。光善寺で言えば寺の境内のことです。

「屋門」というのは、例えて言えば寺の本堂のことを言っているわけです。つまりお浄土の真ん中という意味です。

ですから近門・大会衆門・宅門・屋門と、どんどん中に入って、お浄土に生まれるのが観察門です、その功徳は屋門になるわけです。そこまでが「自利」です。つまり、その人自身がお念仏の仏法で救われていく相です。そして最後の回向門というのが「園林遊戯地門(おんりんゆげじもん)」になります。

つまり、この「縁林(おんりん)」というのは、園と林と書いてあるわけですから、公園のような所でしょう、そこに「遊戯」する、「地」というのは境地・世界という意味です。つまり顔をしかめながら人を救うということでなくて、このころは、みな弁当持って集まることが流行っていますけれども、ああいう形で非常に和やかな、そしてそこで人々と共に仏法を語っていく、そして多くの人々に迷いを転じて仏の悟りを開いてもらう、そういうはたらきをするという意味です。それを「園林遊戯地門」と言ってあるわけです。それが「利他」です。

ですから、天親菩薩で言いますと、利他の問題は最後の回向門です。回向門というのは、今最後にお勤めしめした、「願以此功德・平等施一切・同発普提心・往生安楽国」これを回向文と言っています。

「願わくは、この功徳をもって、平等に一切に施し、同じく菩提心を発こして、安楽国に往生せん」と。

単なる自利でなくて、利他の問題が回向ということです。だから天観菩薩の浄土論では、五念門・五功徳門ということが説かれているわけです。それを背景にして、曇鸞様の浄土論注が説かれておるわけです。そして、園林遊戯地門にあたる回向門は、親鸞様でいいますと「必至無量光明土・諸有衆生皆普化」という事になります。

こういうことを、私たちはどう受け取っていけばいいのだろうかということですが、特に真宗の教えにおいては、特別な人間になるわけではありませんから、「惑染の凡夫」は一生惑染の凡夫でありつつ利他がどう成り立っていくのかということは非常に大きな問題なのです。

   ですから「往還回向由他力・正定之因唯信心」というところがありましたが、往還の回向は他力によると、つまり阿弥陀仏の願力他力によるということです。そうすると利他の問題は還相回向になります。

私たちが浄土へ向かっていく往く相と、そして還相は還る相ですから、我々は迷いの世界から悟りの世界である浄土へ向かって往く、つまり我々が迷いを転じて浄土に向かって往くのが「往相」です。ただ浄土に往ってしまって、そこで安住するのでなくて、今度浄土に生まれた者は必ず穢土にもどって来る、「還相」です。じゃ、何しに戻るかといったら「利他」です。自分自身が助かっていくという事だけでなくて、他を救うていく、それが還相です。還る相です。だから往相は自利、還相が利他です。こういう教えになっているわけです。

還相の問題を、必ず無量光明上に至れば、みな普く諸々の衆生を教化する。「化す」と言われるわけですね。

私が子供の頃のお説教は、南無阿弥陀仏の信心で命終われば浄土に生まれる。しかしただ死ぬのではない。命終われば浄土に生まれるのだから、善いことをしなさい、善いことをしておれば、必ず死んだら浄土に生まれる・悪いことをして死んだら必ず地獄に行くという、地獄極楽のお説教をよく聞きました。だから浄土に生まれるということも死後の問題というように聞いておるわけですね。

私が小学生の頃は、理屈を言わないで、例え話をたくさんなさってお説教を聞きましたから、落語を聞くようなもので、けっこう面白かったですよ。ところが中学生になると、私は母に文句言うてましたよ。死んだ者はここには居ないし、お釈迦様も親鸞聖人も死んで戻って来た人ではないわけだし、死んだら極楽に往くと言うけど、死んだことのない者が、死んだら極薬が有るとか無いとかどうして解る、それがいかにもあるように言うということは、「見て来たような嘘をいう」と言って、理屈を言って母を悲しませていました。

母は、これは深い心の問題だと言ってました。母は非常に熱心な真宗の門徒でした。だから母は一生懸命聞いておったでしょう。なかなか理性的な人でしたから、今考えてみても教えの筋道もよく判っていたと思いますね。だから「見て来たような嘘を言う」と、私が言うと母は非常に悲しんだ事を、今でも覚えています。

私たちは、生きている間は仏に成れない。だからお浄土へ生まれれば仏に成ることができる。つまり死後の「往生即成仏」だということを、私は大谷大学で習いました。お西は今でもこれは非常にやかましく言うのです。

お東は曽我先生や金子大栄先生等が出られて、こういう問題を正面から取り上げて、いろいろ論じられました。そのために曽我先生や金子先生は教団から異安心と言って追われます。

私は二十歳の時に初めて接解照海という先生に遇いました。その先生は「往生は死後ではない、信の一念で往生が始まる。命終わるということは往生の素懐をとげる」ということだと、私の先生は仰って、往生は死後の問題ではないという事を言ったがために西本願寺を追われて、そして木辺派になりました。当時、門主は木辺孝慈という方で西本願寺で生まれた人です。子供の時に木辺派の本山錦織寺に入寺した人です。婿養子ではありません。

よく勉強をしておられました。御親教と言っても、この方はお説教をしておられました。

昭和天皇のお母さん、大正天皇の皇后を貞明皇后といいましたが、貞明皇后の臨終を看取った人です。貞明皇后は年をとられてから、教えを聞きたいと言われて、この木辺孝慈という方が、その皇居に行っておられたそうです。そして貞明皇后は、「私のような愚かな人間は如来の本願による以外にないんだね」と、確かに仰ったと、力を入れてお説教をなさっていました。

その人に私の先生は遇って、「西本願寺派はあぁいうことを言っておるけれども、あんたが言うのが正しいのだと言ってくださったから、私は木辺派になったのだ」と、藤解照海先生は言っておられました。しかしその後、私は大谷大学に入学したのですが、大学でも死後の往生ということを教えられました。

正信偈 46-2

正信偈に聞く

 46-2 

​平成24年6月24日

 

ある時、授業中に「還相の問題はどうなるのですか」と言って、私はわざわざ聞いたことがありました。そしたらその先生が、「それじゃ君は、生きている時から救われると思うかね、」と聞かれるわけです。私はまだ青年で解りませんけれども、「それは生きている間は凡夫だと思います」と言ったら、先生が「それはそうだと、命終わったら本願のはたらきで仏にしてもらう。例えば亡くなった人が単なる亡くなった人でなくて、亡くなった人のことを思う時に、亡くなった人の生涯が非常に仏法を大事にして生きた人であるならば、その人の生涯が後に残った者の上にはたらく、そしてその人のことを思う時に、その人が救われていく道を歩んでいくようになる、だから決して生きている時に人は救えんけれども、その人が死後であっても、その人の生き方が、後に残った人を導くのだという説明をされました。

しかし、そこのところは非常に面倒なんで、面倒という意味は、親鸞聖人はそういうことを言っておられないのではないか、ああいうことは後になって本願寺が言い出したのではないかということです。

「愚禿鈔」という親鸞聖人の書物がありまして、そこの中に善導大師の言葉を引いて、

 

前念命終・後念即生

 

という言葉(教え)があるのです。これは前念・後念と言いますけれども一つの心を道理として分けているわけです。両方とも「一念」の中身なのですね。我々の「ひとおもい」といいますか、ひとおもいの中身です。それを道理として「前」と「後」に分けでいるわけです。

善導大師の場合は、この「命」と言うのは肉体の命です。肉体の命が終わった時に「前念」と言われます。「後念」は、命終わった時に「即生」、つまり往生です、浄土に生まれる。

だから、前念の命が終わった時に、後念はその時ですね、後念すなわち往生すると、こういう意味で言われている事は顕らかです。

これは善導大師の「往生礼讃」の中にそういう言葉があるのですね。だから、私が大谷大学の時に、往生は死んでからと言われることも一応判るわけです。しかし親鸞聖人は『愚禿鈔』の中で、「本臨を信受するは、前念命終なり」と書いてあります。そして、「即得往生は後念即生なり。」と書いておられます。

 

真実浄信心は、内因なり。摂取不捨は、外縁なり。

本願を信受するは、前念命終なり。

「即ち正定聚の数に入る。」(論註)文

「即の時、必定に入る。」(十住論)文

「又「必定の菩薩」と名づくるなり。」(十住論)文

即得往生は、後念即生なり。

他力金剛心なり。知るべし。

(愚禿鈔 五一〇頁)

 

「前念命終・後念即生」というのは善導大師のことばです。それを『愚禿鈔』の中に引かれて、「前念命終」ということについて「本願を信受するは」と言っておられます。つまり本願を信受した時です。

この「前念」の念と「後念」の念は一念です。一念を二つに分けているわけです。前と後に分けているわけですが同時という意味です。その時に「木願を信受するは、前念命終なり、そして「即得往生は後念即生なり。」とあります。「すなわち往生を得」、死後ではないのです。

信受本願の時に、すなわち往生を得と、それが「即生」という意味です。「後念即生」という意味は、本願を頂いた時に往生を得るという意味ですから、臨終ではないと、こういうことをわざわざ親鸞聖人は『愚禿鈔』「の中で仰っているわけです。

そして「前念」の念と「後念」の念は同じ時なのです。一念を道理として二つに分けているわけです。善導大師はそう言っておられるわけですから、それは間違いない。そうすると、即得往生ということは、現生正定聚ということになります。信受本願の時に正定聚に住すと、そのことを往生といってある、現生正定聚です。つまり信心が定まる、お浄士参りが定まると言ってあるのです。だから今です。

「死んでからというのは、親鸞聖人の教えとは違う」と、曽我先生や金子先生は、そういうことを強く言われたために異安心だと言われて教団を追われました。そしたら、昔「広島文理科大学」と言っていました。今の広島大学ですが金子先生を受け入れました。

国立大学ですから東洋哲学という新しい科を設けて、そして金子先生を迎えました。それで金子先生は教団を離れて、自由にいろいろな物が書けるようになりました。普通、お坊さんの書いたものは一般の出版社はあつかいません。仏書専門店からしか出さないわけです。

そして一部の人しか読まないわけです。

ところが岩波書店が金子先生に目を付けたわけです。岩波といったら日本で一番大きな書店です。その岩波から「仏教概論」という有名な書物を出されました。だから金子先生は逆に教団を追われてから有名になりました。曽我先生も追われて東洋大学の先生になっていかれますけれども、教団と言うのは面白いですね。世の中の動きが変ってくると、また迎えに行くのです。

問題は生きている時に「利他」を行うということはどういう事なのかということが非常に大事になってくるのですね。お手元のプリントを見て頂きます。東本願寺が出しております「宗祖親鸞聖人」というテキストの中の「正定聚に住す」という科文の部分です。

「宗祖親鸞聖人」(二)正定聚に住す

建保二年(一二一四)、家族とともに越後から関東に向かわれる途中、上野佐貫の地で、親鸞聖人は浄土三部経を千部読誦することを思いたたれたという。

そのころ、関東一円には飢麗がひろまり、人々は地をはうようにして、その目その日の命をつないでいた。

そして力つきた人々がつぎつぎと倒れていく。その姿から目をそむけることのできなかった里人は、ただひたすら経典を読誦して、世の平安を祈らずにはおれなかったのであろう。

しかし、どれほどいとおしみ、不憫に思っても、その思いのままにすべての人々をたすけることはできない。

その事実があらためて、聖人の心を重くとらえ、聖人は、浄土三部経千部読誦の行を捨てられた。

この体験は、聖人に、いよいよ本願念仏の一道を生きとおすことを決定させたのである。その後、聖人はただひたすらに、本願の名号に徹していかれ、人々が正定聚に住するものとなることを願いつづけていかれたのである。 (テキスト「宗祖親鸞聖人」)

正信偈46-3

正信偈に聞く

 46-3 

​平成24年6月24日

 

(五)善信の御房、寛喜三年四月十四日午の時ばかりより、風邪心地すこしおぼえて、その夕さりより臥して、大事におわしますに、腰・膝をも打たせず、天性、看病人をも寄せず、ただ音もせずして臥しておわしませば、御身をさぐれば、あたたかなる事、火のごとし。頭のうたせ給う事もなのめならず。

さて、臥して四日と申すあか月、苦しきに、「今はさてあらん」と仰せらるれば、「何事ぞ、戯言とかや申す事か」と申せば、「戯言にてもなし。臥して二日と申す日より、『大経』を読む事、ひまもなし。たまたま目をふさげば、経の文字の一字も残らず、きららかに、つぶさに見ゆる也。さて、これこそ心得ぬ事なれ。念仏の信心より外には、何事か心にかかるべきと思いて、よくよく案じてみれば、この十七、八年がそのかみ、げにげにしく『三部経』を千部読みて、衆生利益のためにとて、読みはじめてありしを、これは何事ぞ、「自信教人信、難中転更難」(往生礼讃)とて、みずから信じ、人をおしえて信ぜしむる事、まことの仏恩を報いたてまつるものと信じながら、名号の外には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするやと思いかえして、読まざりしことの、さればなおも少し残るところのありけるや。人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべしと思いなして後は、経読むことは止まりぬ。さて、臥して四日と申すあか月、今はさてあらんとは申す也」と仰せられて、やがて汗垂りて、よくならせ給いて候いし也。

 『三部経』、げにげにしく千部読まんと候いし事は、信蓮房の四の歳、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申す所にて、読みはじめて、四、五日ばかりありて、思いかえして読ませ給わで、常陸へはおわしまして候いしなり。信蓮房は未の年三月三日の昼、生まれて候いしかば、今年は五十三やらんとぞおぼえ候う。

弘長三年二月十日    恵信

(惠信尼消息 七五七・七五八頁)

 

「善信の御房、」は親鸞聖人の事です、

「寛喜三年四月十四日午の時ばかりより、」寛喜三年は親鸞聖人五十九歳の時、「午の時(うまのとき)」は、お昼ごろという意味です。今でも正午という言葉を使うでしよう。「風邪心地すこしおほえて、その夕さりより臥して、大事におわしますに、」夕方から風邪ぐわいがわるくて、とうとう寝込まれてしまうわけですね。「腰・膝をも打たせず、天性、看病人をも寄せず、」「天性」というのは生まれつきという意味です、親鸞聖人はそういう人だったと、寝込んでしまっても腰膝を打たせたり、看病人を置いて、どうしてこうしてと言われないというわけです。「ただ音もせずして臥しておわしませば、」じっとして寝ておられるというわけでしょう。「御身をさぐれば、あたたかなる事火のごとし、」というわけですから、高熱が出ているわけです。

「頭のうたせ給う事もなのめならず。」「なのめならず」というのは熱が高くて異常な状態だと言うのです。「さて、臥して四日と申すあか月、」寝込まれて四日目のあかつき、奥さんは側に居れないものですから隣の部屋におられたのでしょう。しかも三日も四日も親鸞聖人は高熱が出ているわけですから、奥さんは気が気ではなかったでしょう。そしたら、隣の部屋で、「苦しきに、「今はさてあらん」と言う声がしたというわけです。「何事ぞ」何ごとですかと、「たわごととかや申す事か」あなたが、たわごとを言ったのですかという意味ですね。「と申せば、たわごとにてもなし。」いやたわごとではないと。「臥して二日と申す日より、」つまり寝込んで二日目でしょう、だから、「大経を読む事、ひまもなし。たまたま目をふさげば、経の文字の一字も残らず、きららかに、つぶさに見ゆる也。」はっきりとよく見える、だから夢現なのでしょうね。夢現の中で一生懸命大無量寿経を続んでいるというわけです。

私などは、お経の字を見ても間違いばかりしていますけれども、親鸞聖人は頭の中に入ってしまっているわけでしょう。だから一文字一文字というわけですから、はっきりと見えると。「さてこれこそこころえぬ事なれ」、これはどうしたことか、納得できない。「念仏の信心より外には何事か心にかかるべきと思いて、」念仏の信心の他に心のかかることのないと思っているのに、なぜ自分は一生懸命経を読んでおるのたろうかと、「よくよく案じ見れば」そこであらためて考えてみると、「この十七八年がその上、」これが佐貫の話しです。十七・八年以前ということです、「げにげにしく「三部経」を千部読みて、衆生利益のためにとて、読みはじめてありしを、これは何事ぞ、自信教人信、難中転更難とて、自ら信じ、人を教えて信ぜしむる事、まことの仏恩を報いたてまつるものと信じながら、名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとする やと、思いかえして、読まざりしことの、さればなおも少し残るところにありけるや。」思い出したということです。

つまり十七・八年前、親鸞聖人が五十二歳の時に現生利益のためといって三部経を一生懸命読んだ、そして、「これは何事ぞと、」はっと気がついて、「自信教人信」というのは、(自ら信じ人を教えて信ぜしむ)と読みます。これは善導大師の言葉です。

「自ら信じ人を教えて信ぜしむということは、難しい中にもうたた、さらに難しとて、」自ら信じ、人を教えて信ぜしむ事の、まことの仏恩を報いたてまつるものと信じながら、名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするやと、思いかえして、読まざりことの、」止めたのですね。「さればなおも少し残るところのありけるや。」つまりそこで止めたけれども、そういう一つの気持ちというものはちゃんと残っていて、だから高熱を出して夢現の中に、その時の体験が出て来た。

「人の執心、自力の心は、」人の執念、そしてわが身をたのみわが心を頼む、つまり自分の力で助けようとか、何かそういうような心は、「よくよく思慮あるべしと」考えていかねばならんと、「思いなおして後は、経を読むことは止りぬ」そのことに改めて気づかされた。もうそれから十何年経っているのに、やっぱりそういうものが夢の中に出てくるということは、何かそういうものによって人を助けようとするような自力の心というものは、なかなかこれは超えられないものがあるということに改めて気づかされて、そして読むことをやめたと。

「さて、臥して四日と申すあか月、「今はさてあらんとは申す也」と仰せられて、やがて汗垂りて、よくならせ給いて候いし也。」

親鸞聖人は法然上人に二十九歳の時に遇って、そして「ただ念仏して」ということになってからは、ずっと「ただ念仏」で生きた人。そしてそのことを人に伝えた人と、みんな思っていたわけです。またそういうお説教ばかりしていたわけです。

ところが大正十年にこれが出て来て、学会に発表されます。そしたら親鸞聖人にはこういうことがあったと「ただ念仏」一つではなかった、親鸞里人にもいろいろ迷いがあったということが解って、あらためて生の親鸞聖人がはっきりしてきたわけです。その時に困っている人を見れば親鸞聖人も助けてやりたいと思いなさった。ところがそれは迷いだったということに気がつかれた。

この寛喜三年(親鸞聖人五十九歳)という年は、前の年から関東は大飢饉だったそうですね。多くの人が亡くなって、そして鎌倉幕府も非常に心配して「お救い米」を出したりしたけれども、ただ形式的だったようです。

「人身売買を許す」というふれが出ているのです。ということは、たてまえとしては人身売買を禁じていたのでしょう。ところがお百姓さんにしてみたら、コメは出来ん、そして家族を養っていかんならん、そうすると娘を「苦界」に売ると言うことによって急場を凌ごうとするということは、貧しい農家には昔からあったわけでしょう。それを禁じていたのをわざわざ許すと、許可を出したことが、この寛喜三年にあっているわけです。そうしますと、親鸞聖人が佐貫の時は通りすがりですから、知っている人はいなかったと思いますよ。

ところが三年という年は、親鸞聖人が関東に行って十何年経っているわけでしょう。そうすると自分の周囲に仏法で御縁のあった人はたくさん居るはずです。そういう人たちが飢饉に遭って、なかには、それが理由で亡くなっている人もおられるでしょう。そういうのを見たら親鸞聖人としては、佐貫の時とは違った意味で苦しまれただろうと思いますね。そういうことと、夢の中に十何年前の佐貫での体験が出て来たということは無関係ではないと思いますよ。

本当の「利他」ということは一人ひとりが如来と真むきになって、その人がたとえどのような境遇の中に居っても、「念仏一つ」という人になってもらえば、そこでその人は、すべての事を御縁にして生きていけるし、命終わるということも、決してその人にとっては不幸なことではない。つまり、自信数人信ということは、如来の真に一人ひとりが遇うということです。「誰かが、誰かをどうかする」ということではないわけです。

今は政治がはたらきますから、政府が金を配ったりいろいろします。しかし本当は一人ひとりが一人ひとりの問題としてあるはずです。

ある心理学者が、東日本大震災の被災者の中で差別が始まっていると言っていました。

同じ被災した人の中にも違うでしょうね。かなり経済的なものをもって被災した人もおるでしょうし、ギリギリの人もおるでしょうし、そして若い後継者がおる人もおれば、本当に年とった人もおるわけですからね。しかしどのような境遇の中に在っても、そこに今、いま、往生という意味をもった今日を持つような体験(信心)を、その人にもってもらう以外に、本当にすべての人が助かる道はないということを、あらためて親鸞聖人は、自分自身の上に自問自答していかれたということでしよう。そのためにどのくらい親鸞聖人自身が、具体的な世界の中で苦しまれたかと言うことが逆に判るわけです。

もう一つの紙は、そのことに触れていますが、これは『歎異抄』の第四章です。

 

一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。

浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々  (歎異抄 第四章 七六九頁)

 

これは親鸞聖人の言葉です。親鸞聖人はそういうことを仰ったと、唯円は『歎異抄』に書いておられるわけです。

「慈悲、いつくしみ愛して楽を与え、悲しみ憐れんで苦を抜く心。」抜苦与楽と言いますから、苦を抜き楽を与える、それが慈悲だと。

「聖道、自分の力によってさとりを得ようとする仏道。」といってあります。つまり慈悲に聖道の慈悲と、浄土の慈悲というものがある、聖道の慈悲というのは、自分を頼んでおる人ですから、「利他」は自分の力で相手をどうかしようとするわけです。だから聖道の慈悲というのは、ものをあわれみ、「もの」というのは物質という意味ではないのです。あらゆる人という意味です。命あるものすべてです。

「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。」これは非常に大事な言い方だと思うのですね。本当に思うように、つまり徹底してということです。徹底して助けるということは無いとは言っておられないのです。「有り難し」というわけですから、まれであると、「有ること難し」で有り難しです。極めて有り難いと。

それに対して「浄土、本願を信じて浄土に生れていく仏道。」と書いてありますけれども、つまりすべての者、一人一人が、念仏によって救われていく。

聖道の慈悲というのは、世間の慈悲と同じですから、横に並んでお互いがお互いをという形になるわけですね。しかし救おうとする人間は凡夫です。

ですから、この度の東日本大震災は大変お気の毒だと、みんな言っていますよ。しかし北九州市が、そのゴミを受け入れようとすると反対します。あの人たちはお気の毒だとは思いますよ、しかしあのゴミが来たことで、もしも放射能が北九州にばらまかれたらどうするのですか、」と市民は言います。「いやそんなことはありません。よく調べております、」と言って、市長さんは一生懸命言ってますが、…

「試験的に焼却してみました、そしたらけっしてそういうものはありませんでした」と、議会で受け入れを決めたら、住民は反対運動をします。反対運動をしている人が悪人ではないですよ。なぜかといったら、人が気の毒だと思うということと、私が助からんということは別なのです。相手を気の毒だと思う心の中は、わが身が許す相手の話なのですよ。わが身の問題になったら話は別なんです。そういうところに人間のもっている、これは善い悪いを超えた人間のもっている薬です。悲しいことですけれども、しかしそれはそうでしかないですよ。

例えば、隣の旦那さんが死んでも夜寝れないという事はないでしょう。しかしその奥さんに向かって、お気の毒にと、みな言いますよ。しかしそれが苦で、夜も寝れなかったということはありませんよ。自分の旦那さんが死んだら大事ですけど。人間の業の身というのはそういうものです。

そうしますと、人間が救われる道は、こういう形(聖道)では無理だと。一人ひとりが、一人ひとりの問題だという意味でしょう。一人ひとりが阿弥陀如来のまことによって救われていく。

昔のお説教はそういうことを言っていましたよ。これはなかなかいい例えですよ。「何ぼ仲のいい夫婦でも、お浄土参りは一つ船には乗れん」と言ってましたよ。それはそうだと思いますね。「ひとりひとりのしのぎなり」、これは蓮如上人の言い方ですね。

だから本当に、一人ひとりが、一人ひとりのしのぎを生きることができる位です。信心です。それを得てもらうということ以外に、本当にみんなを助けるという道はない。「私が、誰かを」と言う道は、聖道の慈悲という事です。だから、これは結論になります。

 

しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々。

 

と、こういわれるわけです。それが浄土の悟りだということを仰っておられる。こういうことが親鸞聖人自身に本当にはっきりするのには、親鸞聖人自身もひまがかかったということの体験を奥さんの手紙に書いてあるということです。

だから親鸞聖人御自身も佐貫を通ったときも群馬県を通ったときも、非常に苦しんで、どうかして助けてあげたいと、しかし家族を連れた坊さんができることは、かつて比叡山で学んだ読誦の功徳というもの以外に、自分ができることはないということで、本当に部屋に籠って、何日も、昼も夜もない、三部経千部読もうとなさった。

しかしその時、ハッと気づかれた。ああそうだったと、親鸞聖人は法然上人から「念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と、習ったことにあらためて気づかれて、そして関東に行かれます。

そして関東の人々に「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と勧めておられたのだけれども、自分の周囲で苦しんでいる人があれば、やっぱり夢にうなされるようにお経を読まれるわけですよ。そういうことが親鸞聖人にあったということでしょう。

しかし我々の日暮しは、親子でも夫婦でも何かあれば、ほっとくわけにはいきませんよ。それはあなたの問題だと言うて片づけることはできないですよ。それが業の日暮しです。

しかし改めて、本当に一人ひとりが、この道を頂いていくより他に道はないと思い知らされるということは、自分がたすからなければ思えないですよ。その心は如来様からもらった心です。金子大栄という先生は、

 

すべての人のすくわれる道において、我もすくわれる

 

という言い方をなさっておられました。「全ての人の救われる道」です、それがお念仏です。老少普悪の人を選ばない。「ただ念仏申す」ことによって本当に救われる。そうすれば、たとえどのような境遇の中に在っても、その境遇を恨んだり憎んだりということはないのです。私がそうなるというより「そうせしめてくださる」ということです。それが「前念命終」ということです。「信受本願は前念命終。即得往生は後念即生」ということは、とにかくということを基本にすえなかったら、私たちの人生において本当に尊いご縁だったとは言えないということです。

「すべての人の救われる道において、我もすくわれる」と、そういうことを親鸞聖人が本当にはっきりなさるのはけっして簡単ではなかった、法然上人にお遇いになって何もかにも片付いたという、そんな簡単な事ではなかったということが奥さんの手紙に書いてあります。

「必至無量光明土」つまり私達が浄土に生まれるということが、私にはっきりすれば、その道においてすべての人が救われていくわけです。私が判って誰かをどうかするというのではなくて、私が本当に救われていく道において、すべての人がすくわれていく道が開けていく。

そして少しでも自分自身が明らかになれば、すこしでも皆さんにわかっていただきたいということを思うわけですね、それは私がどうこう言うのではなくて、仏様の大きな計らいです。そういうことをはっきりさせていただくということにおいて「諸有の衆生普く化す」と言う言葉を頂いたらどうだろうかと思って、今日はこういうものを参考資料としてお渡ししたわけです。

みなさんお帰りになって、また読み直してみてください。私たちの日暮しは縁によって何でも出てきます。いろいろありますから、そういう事を通して、私たちは不足や愚痴が出てきます。政治の世界だけではないです、お互いの日暮しがそうです。そういうことはすべて私たちに「念仏申せと、救われていきなさい」ということを御催促いただいておるのだということを頂いていかねばならんのだろうなということを改めて思うわけでございます。

今日はこれで終わりにします。雨の中をようお参り下さいました。有り難うございました。

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