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​正信偈に聞く

 7-1 

​平成20年10月10日

今日も前回に引き続き(2 依経段)の弥陀章のところを勉強したいと思います。

 

(2 依経段)

(2―1 弥陀章)

法蔵菩薩因位時 法蔵菩薩の因位の時、 

(法蔵菩薩が因位(仏になられる前の地位)におられるとき、)

在世自在王仏所 世自在王仏の所にましまして、

(世自在王仏の所で教えを受けておられて、)

覩見諸仏浄土因 諸仏の浄土の因、

(あらゆる仏の浄土の成り立ちと、)

国土人天之善悪 国土人天の善悪を覩見して、

(諸仏の国々の人びとの善し悪しのありさまを見定めた上で、)

建立無上殊勝願 無上殊勝の願を建立して、

(この上なくすぐれた願を起され、)

超発希有大弘誓 希有の大弘誓を超発せり。

(かってない大いなる誓いを起された。)

五劫思惟之摂受 五劫、これを思惟して摂受す。

(五劫というはるかなる時をかけて思いめぐらせてこれを確かめられた。)

重誓名声聞十方 重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。

(「重誓偈」を説いて、自分の名が十方に伝わるように願われた。)

 

 法蔵菩薩というのは、阿弥陀仏の因位の時のお名前であると。そして法蔵菩薩の物語については「大無量寿経」の中に、この教えが述べられておるのだということを、前回お話ししたと思います。その法蔵菩薩が元は国王であった。その国王であった方が、世自在王仏の教えを受けられて、深い驚きと喜びの心をおこされて、出家され沙門となられた。そして、自らを法蔵と名のられたと「大無量寿経」にはそう書いてあります。そして、教えを受けられた世自在王仏の所に行かれて、世自在王仏の弟子になられるわけでございます。そして、「諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して」と書かれております。諸仏ということについて古田先生は、

 

(4)「諸仏」 多くの仏。

もともと、仏教は、「一仏(釈迦仏)のみ」という考え方であったが、釈尊が明らかにされた真実は、 

時間と空間を超えたものであるから、この真実を明らかにされるのは、釈尊に限定する必要はないとい    

うことから、後に多仏(諸仏)の思想へと発展してきた。

 

というふうに古田先生は書いておられます。

曽我先生は、「仏教以外の宗教は教祖からはじまる」ということを言っておられました。

つまり教祖が教えを説かれる。その教えが権威を持っておる。値打ち。教祖が持っておる力をその教えによって見ていく。だから、教祖が亡くなると、その根拠を失うということを仰っておられます。曽我先生のおっしゃる意味は、「法」ということを言おうとなさっておるわけです。「仏・法・僧」の三宝。

 「仏」というのは仏陀(ぶっだ)という。仏陀という意味は、ブッダというインドの言葉に字を当てただけですから音訳でございます。意味は覚者です。覚者というのは目覚めた人という意味です。その目覚めた人のことを、インドではブッダというわけです。だから釈迦という仏陀で、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)という。釈迦というのは種族の名前です。ですからお釈迦様は釈迦族として生まれられた方です。昔はインドだったでしょう。今はネパールといいます。その城がカピラ城といった。その城は釈迦族の種族の中心であったところ。その種族の王の子どもとして生まれられた。その中心ですから釈迦。牟尼というのは覚者という意味です。だから釈迦牟尼仏といった場合は、釈迦族出身の覚者という意味、それは仏であると。仏というのは、単なる聖者という意味ではなくて、ブッダという、目覚めた人という意味が仏陀です。何に目覚めたかというと、法に目覚めた。法をダルマと言います。ダルマを中国の学者が法と訳しました。この法という字は一般でも使われます。法則とか法律という時も、これは中国で出来た言葉ですが、使われるわけですね。どんな時代であろうと、どういう者の上にだって、それを嫌と言えない真という意味が、この法という字であらわしているわけです。だから、ダルマといった場合は真理のことです。真理を悟った人が仏陀です。

 真理は、お釈迦様が悟ろうと悟るまいと存在するものです。そして、それは全ての存在の上にはたらいているものです。ところが、はたらいているけれども、それに気づかなければ無いのと同じですね。そうすると、どうしても自我に執われる。俺が俺がと自我に執われて生きていく。そういうものを超えてある真(まこと)。真理に目覚めない自我に執われた存在であるということを現わした言葉が凡夫という言葉です。凡夫というのは目覚めた人から言われる言葉です。我われから出た言葉ではないのです。私たちは自分のことを凡夫とはわかりません。凡夫とわかるのは広い世界に出て来てはじめてわかる。だから、これは法が問題です。法は釈迦という教祖が出ようと出まいとあるものです。だから、教祖からはじまるわけではないのです。教祖によって明らかにされた法です。その仏法によって集まる集団のことを僧といいます。サンガといいますけれども、それを中国で僧伽と音訳したのです。今の言葉でいったら教団のことです。仏法によって集まった集団のことを僧伽と言ったわけです。だから、法亡くして仏はありませんし、法は仏によって語られねば一般にわからないわけですから、仏と法は離れたものではないわけです。仏の教えを聞いたものが集まってくる僧伽。誰だって仏法を聞けばわかるというような問題ではありません。やっぱり仏法がわかるということは大変なことです。そこに法が中心ということが仏教の基本でございます。お釈迦様自身が「過去の諸仏」ということを仰っています。だから、お釈迦様が出てくる前に法を説いた人がいた。そして自分もその法を説いた人の教えによって、それを実践して目覚めたのだと。だから法というのは、私が私有化すべきものではないのだということを仰っておられるわけです。そうしますと、仏陀は釈迦だけではなくて、いろいろな仏が出てくる。そこに諸仏という考え方が出てくるわけです。

 

(5)「浄土」諸仏の世界、清浄な国土、真実がはたらく状態。

「穢土」に対する。浄土は、凡夫が本来の自己に還った状態。

「信」によって我執・我欲が浄化された状態。「還浄」という言葉がある。

 

ここのところは、注意しないと読み間違ってしまいます。要するに「凡夫が本来の自己に還った状態」というのが仏の世界です。その法に目覚めた。その法に目覚めたということは、自我というものを根拠として生きていることに対する翻りがあるわけです。回心というものがあるわけです。だから、本来の世界に還った状態が浄土だと。浄土というのは「土を浄める」という意味があるということは、一般に仏教では言われるわけです。だから、信によって、我執・我欲が浄化された状態が還浄と。浄土に還るという意味だということを、ここでは古田先生はおっしゃられます。そして今度は、

 

(6)「浄土の因」諸仏の浄土が成立している原因。諸仏の浄土の成り立ち。

 

ということがあるわけですね。

 

(7)「国土」ここでは、諸仏の浄土。

 

国土人天といってありますが、人天というのは、

 

(8)「人天」六道(迷妄・虚偽の状態)のうちの善趣。

  六道は、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天。

 

と書いてあります。つまり六道というのは「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天」です。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅は「悪趣」というんです。そして人と天は「善趣」と。善趣の趣というのは境涯というような意味なんですね。だから善なる境涯という。その中に人間が入っているわけです。だから「諸仏浄土の因、国土人天の善悪をみそなわす」と。つまり、世自在王仏によって、法蔵菩薩がいろいろな諸仏の世界を示してもらわれた。そして例えば、AならAという仏の教えに遇って、そのAという仏さまと同じようになろうと思って修行する。そうすると、やがてAという仏さまと同じようになると。そういう意味になります。それがAという仏さまの世界に生まれたと。つまり、同じ世界を自分の世界として持ったという意味になるわけですからね。法然上人の書物などを読みますと、そういうことが書いてある。 

 

                             

正信偈 7ー2

​正信偈に聞く

 7-2 

​平成20年10月10日

 これは以前に申し上げました。仏教は教行証とあらわされます。即ち教えがあり、その教の通りに修行して証を得る。だから問題は行です。諸仏が出てくるということは行の問題なんです。その教えというのは、説き方はいろいろあるけれども、要するに普遍的な法というものを説いてあるわけです。そうすると、その法の世界をどういう世界として説き、その世界に到るために、どういう修行がいるかということによって、諸仏の国がたくさん出来るわけです。そうしますと問題は行です。

例えば布施という行があります。これは六度の行の布施です。度というのは渡るという意味と同じですが、悟りの世界に渡る修行を六度の行といいます。彼岸と此岸ということを言うでしょう。彼岸という行事があるでしょう。パーラミッタというインドの言葉があるわけですね。それを中国の学者が訳したんです。波羅蜜多という音訳ですね。これは字に意味はないんですね。それが六つありますから六波羅蜜というんですね。また、波羅蜜を彼の岸に到ると訳したんですね。そこから彼岸という言葉が出てきます。彼岸という行事があるのは日本だけです。彼岸という言葉は中国で出来た言葉ですからインドには無いんですね。意味は到彼岸。彼の岸が悟りの世界です。悟りに到る六つの行で六度の行と教えておるわけです。これが大乗菩薩の行の基本だと言われるわけです。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧、これに波羅蜜をつけて六波羅蜜というんですね。例えば布施を中心に考えて、布施の中に全部入れ込んで、そして浄土を開くと。そういう国があるはずだと。そして今度は、戒律を保つということを中心において、その他のものをそこに含めて、一に全部入るでしょうね。これなら、これで修行していこうとするならば、布施が出来る人はいいけれども、出来ん人は駄目ではないかという言い方で、法然上人は説明をしておられます。忍辱の辱という字は「はずかしめ」という字ですね。辱めを忍ぶという意味です。例えば、その忍辱に対する行ということで、常不軽(じょうふぎょう)菩薩という菩薩のことを若い時に聞きました。どんな相手でも、その人を軽んじない。だから、どんな人でも手を合わせて、そして尊んでいく。そうすると、いつもどんな人を見ても手を合わせて相手を尊ぶもんですから、かえって子供たちが可笑しがって石を投げたりする。そうすると石の届かないところまで行って、また手を合わせる。徹底してそれを行じたと。だから私たちの思い付ぐらいではどうにもならんのです。それを徹底していくというのが精進でしょう。そこに静かな心が出てくる。それの極まったものが悟りの智慧になるわけですね。これが彼の岸に到る六つの行、だから六波羅蜜と。だから、彼岸というのは悟りの世界という意味です。こういうことを仏教は教えておるわけです。仏によって行じられ悟られた世界がある。その悟りの世界を通じて、その人の姿、その人の教えに深い感銘を受けて、その人と同じようになりたいと思っていく。そうすると、やはり出来る人とできない人があるわけです。そこにすべての者が平等に生まれることの出来る行を願われたのが法蔵菩薩だと。意味はそういうことを書いてあるわけです。だから「諸仏浄土の因、国土人天の善悪」の善悪というのは、善いとか悪いという意味ではなくて、その在り方をいってあるわけです。その在り方をご覧になって「無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり」と。こうなっておるわけです。

 

(9)「無上殊勝の願」 この上なく殊のほか勝れた願い。

他の諸仏による浄土建立の因となった願とは違った、勝れた願い。

「大無量寿経」に説かれた四十八願。

 

 が、無上殊勝の願だと言われます。そして

 

(10)「希有の大弘誓」 まれにしかない広大な誓い。

どのような衆生も救うことにならないのならば、正覚を取らない。

(仏にならない)という誓願。

 

ですから、四十八願はご存じのように、一番はじめに「設我得仏」と誓われているわけですね。そして願意といいますか、いろんなことが願いの中に入っておりまして、最後に「不取正覚」と必ず入っております。「たとい我、仏を得んに」と。たとえ私が仏になりましても、こういうことが成就しないならば、正覚を取らない。仏とはいわないと。つまり、仏に成ったとはいえないわけですね。だから、四十八願全部「設我得仏」となっています。そして、「不取正覚」となっておるんです。だから、必ずせしめずにはおかんという。こちらは約束した覚えはないんですけれども、仏さまの方は衆生に誓いを建てるわけです。だから本願ということを誓願ともいわれるわけです。どのような衆生も救うことにならないならば、正覚を取らないと。だから「希有の大誓願」だと。希にあることはめったにないということになります。その仏さまと私との深い因縁というものを、どういうかたちで、どう思いだしていくのか。私たちが回復していくのかということが、私たちの問題になります。信というのは、そういう内容を持った問題ですね。そういうことが言われておるわけです。そこで「希有の大弘誓」ということを、どのような衆生を救うことにならないのならば、正覚を取らないと仰っておられるのか。そこで古田先生は、四十八願の中の第十八願文をあげておられます。

 

第十八願「念仏往生の願」「至心信楽の願」

「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し、信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずば、正覚を取らじ、唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」

 

これは四十八願の中の中心の願だと、こういうようにお考えになったのは、善導大師や法然上人でございます。

 

(11)「超発」諸仏の願いを超えた、すぐれた誓願を起すこと。

また、順序次第を超えて誓願を起すこと。

 それが、つまり諸仏の誓いを超えた「超発」です。勝れた誓願であると。こういうように親鸞聖人は『正信偈』に中に書いておられるわけです。そして、それを起されて、五劫これを思惟してと。五劫というのは、

(12)「五劫」「劫」(カルパ)は時間の単位。途方もない長い時間。

多くは「磐石劫」の説が用いられるが、ほかに「芥子劫」の説などもあって、異説も多い。

 

と書いてあります。「磐石劫」(ばんじゃくこう)というのは、皆さんも度々お説教の中でお聞きになったことがあると思います。広さも高さも四十里立方という、四十里立方という大きな岩があると。説によって違うんですけれども、三年に一回とか、毎年という説があるんです。一年に一回、天から天女が降りて来て、天人が着ている羽衣がその岩をなでると、また天にもどっていく。毎年降りて来ては羽衣でなでていく。そうすると四十里立方の岩が磨滅する。それだけの長い時間をいうわけです。「芥子劫」というのは、四十里立方の蔵があると、そうして毎年ネズミがやって来て、一粒ずつ運んでいく。そうしてその芥子が無くなる。どっちにしたって天文学的な数字だと思いますけれども、そういうことをインドの人は考えるわけですね。それが「劫」だと。劫という長い時間をお考えになって、それを思惟したと。

 

(13)「これを思惟して」 「これ」は前の句の「無上殊勝の願」「希有の大弘誓」を指す。「思惟」は「三  

昧」と同義。心の散乱を静めて一つのことに専念すること。

 

そして、摂受なさった。

 

(14)「摂受」 摂(おさ)めて受け入れること。

法蔵菩薩は、「無上殊勝の願」「希有の大弘誓」を起された後、その誓願が本当に一切衆

生にとって適切なものであるかどうか、途方もなく永い時間をかけて、じっくりと思案

に思案を重ね、これでよいと確認された。

 

そして、参考として歎異抄の後序を引いておられます。

 

〈参考〉「歎異抄」

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ   (歎異抄 後序 聖典P640)

 

「五劫思惟の願」という言葉を親鸞聖人は使っておられますね。

 

(13)「重ねて誓うらくは」「仏説無量寿経」によれば、法蔵菩薩は四十八願を立てられた後、あらためて「重

誓偈」を称えられた。

「三誓」①満願果 法蔵菩薩が立てられた四十八願をすべて満たそうとする誓い。 ②大施果 四十八願を苦悩する凡夫へのすぐれた施しにしようとする誓い。 ③名聞果 凡夫に安楽を施すために自分の名前、つまり「南無阿弥陀仏」という名号を広く聞信させようとする誓い。

 

これが「重誓偈」(三誓偈)です。

 

我建超誓願 必至無上道  我、超世の願を建つ、  必ず無上道に至らん、

斯願不満足 誓不成正覚  この願満足せずは、  誓う、正覚を成らじ。

  

「法蔵菩薩が立てられた四十八願をすべて満たそうとする誓い」です。これが、①の満願果

になります。その次が

我於無量劫 不以大施主  我、無量劫において、  大施主となりて

普済諸貧苦 誓不成正覚  普くもろもろの貧苦を済わずは、  誓う、正覚を成らじ。

 

その「貧苦」というのは私たちのことです。「貧」というのは貧しい、心貧しい。そして、

智慧がない。そういう私たちを貧苦といってあります。もろもろの貧苦を救わなかったなら

ば、私は仏に成らないと。それが、②大施果です。テキスト言うと「四十八願を苦悩する凡

夫への施しにしようとする誓い」ですね。そして最後が、

 

我至成仏道 名聲超十方  我、仏道を成るに至りて、  名声十方に超えん。

究竟靡所聞 誓不成正覚  究竟して聞ゆるところなくは、  誓う、正覚を成らじ。

   

これが、③名聞果です。「名声」です。名声というのは南無阿弥陀仏です。「凡夫に安楽を施

すために自分の名前、つまり「南無阿弥陀仏」という名号を広く聞信させようとする誓い」

です。 

                             

正信偈 7ー3

​正信偈に聞く

 7-3 

​平成20年10月10日

(16)「名聲」 名号「南無阿弥陀仏」 

第十七願「諸仏称名の願」

「たとい我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟(ししゃ)して、我が名を称せずは、正覚を取らじ。」

 

 南無阿弥陀仏という名号を、十方衆生に聞信させようという。それが三つあるようですが、それに極まるのです。何を施すか。そして何をもって本当に真に衆生の心を満たすのか。そこに五劫の間思惟なさって、法蔵菩薩が成就なさったものが、南無阿弥陀仏の六字のみ名によって、私たちを救おうとおっしゃるのです。そこに法蔵菩薩のご苦労の極まりがあるのですね。大悲の極まりがあります。ご存じのように、この歎異抄の中にですね、「たもちやすく、となえやすい」といわれますね。

 

誓願の不思議によりて、たもちやすく、となえやすき名号を案じいだしたまいて、この名字をとなえんもの 

を、むかえとらんと、御約束あることなれば・・・(歎異抄 聖典P630)

 

 つまり、称えやすい南無阿弥陀仏は誰でもいえる。称えやすいというのはそういう意味です。学者の人たちの本を読みますと、南無阿弥陀仏は真言だという言い方があります。真言宗には「オンコロコロ~ソワカ」というような真言があるんです。インドの言葉をそのまま言うんです。歩いているときの真言とか、ご飯を食べているときの真言とか、そしてトイレに行った時の真言とかあるんだそうです。それをずっと言う。そうすると真言によって、真理と自分が一体になっていくという。そういうとらえ方が真言宗にはあるんです。南無阿弥陀仏は真言だと。そうかもしれません。そうかもしれませんが、そこに「となえやすき名号」と。南無阿弥陀仏は誰でもいえますね。「たもちやすく」というのは、道を歩いていようと、仕事をしていようと、何時でも南無阿弥陀仏といえます。「となえやすき名号を案じいだしたまいて、」つまり、五劫の間思惟なさって考えつかれたということです。そして、「その名字をとなえんものを、むかえとらんと、御約束あることなれば」、我が名を称えんものを、我が国に生まれさせようと、法蔵菩薩は我われにお誓いになって、そして阿弥陀仏になられたと。

 だから、私が念仏申すということは、いわば大行(だいぎょう)と言われますね。私が称えて、少しでもいい人間なろうとか、腹の立たない人間になろうとか、こういうのであれば、それは私の分別にもとずく私の考えです。私の考えにもとずく私の努力でしょう。それは一つの夢です。理想として掲げるわけです。そうなったらいいだろう。そうなりたいという理想を掲げるわけですね。なっていないわけです。だから、人間の分別で努力して理想をとげようとする行を、「小行」と親鸞聖人はおっしゃいます。それに対して南無阿弥陀仏は「大行」だといわれます。大というのは如来の行です。凡夫の行は小行です。私に先立って如来が成就して、私に与えて称えさせたいと願われた。その願いが、私が称えることで成就するんです。私が称えてどうかなるんじゃないんです。称えたことが願の成就なんですね。成就は誰の上に成就するのか。私の上に成就するんです。如来さまが如来さまの心で成就するんじゃないんですね。如来の願が南無阿弥陀仏申すという、私の申すという事実において、如来の願が成就しているんです。たすかるもたすからんもないわけです。そこに如来が私になっている。 だから、大石先生は、「私の名前は南無阿弥陀仏」とおっしゃる。そういうことを、どこではっきりさせていくかということは、私の問題です。信の問題です。だからたすかるたすからんという問題じゃないんですね。本当にこれが、信じられるか信じられんかということが、私の問題ですね。そういうところに真宗の教えの基本があるということを明らかにしていかなければなりません。名声というのは南無阿弥陀仏ですね。その南無阿弥陀仏が、私の上に本当に念仏申す身の事実になったかどうかということが問題です。「帰命無量寿如来 南無不可思議光」は、南無阿弥陀仏ですから、南無阿弥陀仏のおいわれを、ここに「大無量寿経」の教えに依って書かれております。南無阿弥陀仏は「すくわねばおかん」と願われる如来のまことが、私の念仏申す姿になっておるのですから、そこに、たすかるもたすからんもない。大きな大悲の本願の前に、私たちは立たされておるということを、親鸞聖人はおっしゃっておられるわけです。そのことに眼が開くということが信心だと。だから、蓮如上人は、親鸞聖人の教えは信心という教えですよとおっしゃる。信心の教えは、どういう信心ですかというたら、南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらく信心だと。南無阿弥陀仏にはいわれがある。そこに私と如来との深い因縁がある。それが私が念仏申すことによって気づかしていただく。念仏申すことによって、南無阿弥陀仏のおいわれに気づかしていただくところに真宗の教えの要があるのです。こういうことをハッキリさせておかなければならんでしょう。そういうことを、私たちに教えてくださるのは、この『正信偈』なのです。いま、お配りした刷り物は、10月3日の「朝日新聞」の夕刊に載っていたものです。

 

「亡き息子とずっと対話」

 

語る人 僧侶 有国智光(ありくにともみつ)さん

57年生まれ。山口県出身 東京大学大学院でインド哲学を専攻。塾講師などを経て、浄土真宗本願寺派の長久寺住職。著書に「遊雲さん 父さん」がある。

 

 山口県周南市の長久寺の住職、有国智光さん(51)は二年前、15歳の息子を小児ガンで亡くした。三年におよぶ闘病。宗教者として、一人の父親として揺れ動いた心は、やがて平穏を見いだす。静かな山寺で、かつての葛藤と今の思いを尋ねた。 (磯村健太郎)

 

―長男の遊雲さんの右足に腫物ができたのが2003年秋。小児ガンが疑われ、医師に「最悪の場合、あと3年の 

 覚悟を」と告げられたのですね。

 

―いったいどう受け止めたらいいのか、持ち合わせの言葉はありません。でも不思議にパニックにはならなかっ 

た。状況を把握していれば、不必要におびえなくていい。だから「こわいのは転移するからだよね」と、科学 

的に一つひとつ説明していくことにしました。「楽しむ」のが上手な子でした。腫物には「影丸」と名をつけ

た。自分の影に向かって「おとなしく収まってちょうだい」という響きですよね。きつい抗がん剤での治療中

も歯を食いしばるのではなく、ポテッと横になっている。つらさに軟らかく身を寄せ、それと一つになってい

る。つらさそのものに下から支えてもらっているような、つらささえも楽しんでいる姿に見えました。つらさ

を認め、逆らわない。どんなにつらくとも直視する。そのこと自体に救いがありました。

 

―親もつらいですね。

 

―「この子が死んでしまうとはどういうことだろう」との思いで、はらわたがねじきれてしまいそうだったこと

もあります。そのとき、自分のつらさの実体を見つめようとしました。だれかを「かわいそう」というと 

き、自分は高みに立ったまま、安全圏にいる。相手のことを慈しんでいるようで、実は、自分がつらさを観た くない、ということではないでしょうか。私は我が子を亡くす現実を認めるのが一番つらく、目をそらしてい 

たんです。結局、大切にしていたのは自分自身のことと気づきました。

 

「宇宙にぽっかりしているような孤独感」

―そこからどのように現実を受け入れていったのですか。

 

―「孤独」という言葉が手がかりになりました。社会的な孤独感ではなく、宇宙にぽっかりといるようなむき出 

しの孤独感のことです。我が子であろうとも代わってあげられない。私もまた、だれにも代わってもらえない 

唯一の存在。そんな宇宙的な孤独を受け入れていくしかありませんでした。

 

—「代わってあげたい」という発想とは違いますね。

 

—彼のつらさは彼にしかわからない。だから「遊雲のつらさ」に寄り添うのではないのです。私の中に投げ込ま

れている私自身のつらさに寄り添うしかない。つらささえも楽しむ遊雲。じゃあ、父さんも同じことをしよ

う。子を失う父であることを楽しもう。子に先立たれる父として、のうのうと生きていこう。そう覚悟しまし

た。遊雲よ、あなたはあなたの生を生きよ。父さんは父さんの生を生きる。そう思いました。やがて体中への

移転が見つかります。しかし私には、死にかけているかわいそうな遊雲ではなく、精いっぱい、その時にいの

ちを輝かせている遊雲として見えてきました。私は死の瞬間には立ち会っていません。母親に「ありがとう。

みんなにもありがとうって言ってね」と告げたそうです。そして「ぼくもう往きます」と。

 

「大きな悲しみは慈しみにつながる」

 

―今はどのようなお気持ちですか。

 

―はるか昔のことのような気もするし、今もあの子がいるような感覚でもある。あれから二年という実感はない 

ですね。思い出すのは彼の目です。好奇心いっぱいで、話に聴き入るときのキラキラした目。何かいたずらを 

考えているときのクリクリした目。思い出していると、見つめているつもりが、見つめられる。自分がどれだ

け成長したか、いろんなことに気づくことができたか。ずっと対話している感じです。あの子は「大きないの ち」へ還っていった。「全宇宙」と呼んでもいい。私を包んである一切のものです。遊雲のことも重なって、

より親しみを増した「大きないのち」になりました。それがつねに私を見守り、支えてくれている感じなので

す。小さな悲しみはやがて消えていく。深い悲しみは私を育てる。大きな悲しみは慈しみにつながるー。そん

なことを考えます。まったく悲しくないと言えば、うそになります。でも私はもう、「小さな悲しみ」を超え

た「大きな悲しみ」に触れている。そのように納得しています。

 

非常に厳しい中に、きちっと問題を受けとめておられると思います。「我が子であろうとも代わってあげられない。私もまた、だれにも代わってもらえない」という孤独です。そこに「社会的孤独」と「宇宙的孤独」という言い方をしておられます。「社会的孤独」というのは、人との対立の世界の中で、私が分かってもらえないとか、なんで私ばっかりがこんな目に遭わんとならんとか、人と比べて文句をいう。でも言ったって誰も聞き入れてくれない。何か言えば言うほど虚しくなってしまうような、そういう孤独感がありますね。そういうものを、皆どこかで持っておるんです。これを「社会的孤独」と、この人は言っておられます。そして「宇宙的孤独」という、非常におもしろい言い方をしておられます。つまり、我が子であろうと、代わってもやれないし代わってももらえない。しかも今度は、相手を本当にかわいそうだと思ったときは、やっぱり自分が高いところに立って向こうを見ている。それが本当に相手を慈しんでいるように思う。それは違うのではないかと。そこに本当に、代わってあげられない、代わってもらえないということに思い知らされる世界を、この方は言ってくださっています。

 先ほど、南無阿弥陀仏を受けとる場所ということを申しましたけれども、その一人のところです。相手がかわいそうだということは、自分の分別で言っておるわけですね。自分の考えでいっておるわけです。それが間に合わない。間に合わないということは、自分の分別でいっていますから、どうしても今の自分の状態に文句をつける。私の苦しみや悲しみなど誰もわかってくれない、とか、なぜ家の子どもだけがこうなって、私だけがこんな目にあわんとならんのかというかたちになってしまいます。そうでなくて、確かに病気をもった子どもは事実を引き受けている。そういう子どもをもった親という業です。子供と引っ付くんじゃなくて、そういう子供をもった親としての業ですよ。何故そういう子をもった親にならなければならんのか、それはわかりません。しかし、病気をもった子ども、この子の人生がこういうかたちで終わらねばならない我が子。しかし、そういう子供を抱えて苦しまずにはおれない私。それが親子の縁をもったんです。つまり、子どもは親のもんじゃないんですよ。親という業によって、病気になった子どもをもち、子という業によって親と向き合う。そこに、このことを通して、この子が何を見いだしていくのか、その子をもった親として何を見いだしていくかということは、一人ひとりの問題です。そういうことを仏教は私たちに教えるんですね。だから、そこに本当に代わってもやれなければ、代わってももらえない。やるせない思いというものを突き抜けて、「いずれの行もおよびがたき身」という、どん底で南無阿弥陀仏という如来に遇う。私が如来に遇うことによって、子どもも如来に遇う道が開ける。如来に遇う道がこの子に開ければ、私も如来に遇う道が開ける。南無阿弥陀仏は、その共通なものです。そういうことを、この人は悩み切ったどん底で、的確に表現しておられます。私は非常に感銘を受けたわけです。

 南無阿弥陀仏なしに向き合えば、私の思いで子どもを見る。子どもの思いで親を見る。これでは本当の出会はないわけです。そこに仏の大悲がはたらいているわけです。だから、「深い悲しみは私を育てる」、「大きな悲しみは慈しみにつながる」と書いてあるでしょう。つまり、そうしてあがいている私を、如来は我に依れと悲しんでいらっしゃる。そういうどん底で、私の分別が何一つ間に合わないと知らされて、南無阿弥陀仏というまことに遇う。そこで、私もたすかり子どももたすかる。ここではじめて、子どもを化仏といただけるでしょうね。私がたすからんのに相手を化仏とはいただけません。私をすくいに出てくださった仏さまだった。そういう世界は大きな大悲をいただかねば、とても出てきません。小さい私は、分別でやっていく。我われはみなそうです。それが間に合えばいいですけど、間に合わん。そういうどん底で、如来のまことに遇っておられる人の言葉だと思いますね。何かそういうものを感じたわけです。やっぱり仏縁の深い方だったんだと思いますね。

あの子は「大きないのち」へ還っていった。「全宇宙」と呼んでもいい。私を包んである一切のものです。遊 

雲のことも重なって、より親しみを増した「大きないのち」になりました。それがつねに私を見守り、支えて

くれている感じなのです。小さな悲しみはやがて消えていく。深い悲しみは私を育てる。大きな悲しみは慈し

みにつながるー。そんなことを考えます。

 

こういうことを言われます。

 五劫の間、思惟して見出してこられたものというのは「いつでも・どこでも・誰でも」です。修行や学問が問題ではないんですね。どのような境遇の中におっても、ここに道ありというものに出遇う道です。それを、南無阿弥陀仏と成就してくださったのだということですね。そういうところに本願念仏のまことに遇っていく世界というものがあります。親鸞聖人の浄土真宗は「本願史観」だということを曽我量深先生はいっておられます。今の歴史は唯物史観というんだそうです。つまり科学的にものを見ているわけです。歴史を「人間と人間の権力争い」とか、特に政治を動かしていた人たちを中心にして歴史を見ていくというのが一般的なものでしたが、それは違う。一般庶民を中心に歴史と言うものを見ていく。そういう歴史観もありますが、いずれでもない。権力があろうとなかろうと、男であろうと女であろうと、どのような人であろうと、そのなかにはたあらく本願。その本願を通して、どこまでも人間の歴史を見ていった方が親鸞聖人です。だから、親鸞聖人の歴史観は「本願史観」だということを曽我先生はいわれた。そう思いますね。

 ですから「唯物史観」でいうならば、本願寺というのは民衆を搾取した歴史だという言い方があるわけですよ。一般の人から寄付を集めて、あんな大きなものを建てて、しかも門主はいいところに住んで、だから民衆を搾取した歴史だと。しかしそうでない。やっぱり本願寺というのは一つのかたちですけれども、そういうものを支えずにはおれんものが庶民の中にあるんです。そういう深い心といいますか。以前お話ししましたが、清沢満之先生は「独立自尊」というておられますね。何ものにも頼らない。しかし、例えどのような境遇の中にあろうとも立っていける。独り立ちができる。そういうものが、南無阿弥陀仏なんです。そこのところから歴史を観ていく。そうしないと歴史が見えないということを、親鸞聖人は教行信証に明らかにされた。だから「本願史観」ということをいわれる。これは非常に大事な問題を指摘しておられると思いますね。今日はこれで終わります。

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